44金沢宿~上諏訪宿  歩行地 図
 金沢上町-権現平-木船-宮川板室-茅野-上原-神戸-細久保-清水  12.7km
44 金沢宿
 元は青柳宿と称して、北西の権現原平に設置された。しかし度重なる宮川の氾濫や大火で焼失するなどの災難に見舞われ、現在の地に移り、金沢宿と改称した。宿場は伊那道を通じて高遠、飯田方面と通じ、塩や雑穀の通る中馬道であり、飯田、高遠藩の参勤道でもあり、物資流通上重要なところであった。上町、中町、下町に分けられ、それぞれ枡形が設けられた。
本陣1 旅籠17

2008年3月30日の続き。金沢宿に入る 9:50
●本陣小松家跡
 宿の中程、小松家は代々本陣問屋を勤めていたが、隣村茅野村との山論で、町民の先にたって働いた四代三郎左衛門は、延宝六年(1678、伝馬を怠ったとの廉で、はりつけの刑に処され家は悶所断絶した。その後明治初年まで白川家が本陣問屋を勤めた・・・という義民三郎左衛門は宿内に手厚く葬られている。1軒先の左側に、明治まで茶屋だった近江屋の建物があり、二階の連子格子の下の支え木が魚型の木彫りになっている。

 またその1軒先が旅籠屋、「松坂屋武右衛門」で二階に連子格子を残す家。入り口に昔のくぐり戸も残している。また「旅館 HOTEL 松阪屋」と英語が使われている古い看板も掛かっている。明治時代に掛けられた看板と思われるがこういう看板は始めて見る。日光でさえも見なかった。なにか歴史を感じさせる風情だ。隣の理髪店の例の回転式サインポールがなんともミスマッチで面白い
10:00

 先に数分歩くと右手に、これまた二階に連子格子を持つかなり大きな建物が見える。昔馬方宿を営んでいたという小林氏宅である。家の前の大きな石の前に「馬継ぎ石」が一つだけ残っている。
 馬方はこの穴に馬を結びつけて、同家に宿泊などしたわけだ。この先宮川橋へ向かいますが、軽く右へ枡形となって、国道脇を通るようになっているはずのところ、失われているので、国道を通ります。  10:05

 宮川にかかる金沢橋の手前右の駐車場のフエンスに面して、仏像や石碑などが十数基も並び、刑場がこのあたりにあったというので、その供養碑かも知れない。橋を渡って行きますが、ここから急角度に右折して枡形になっていましたが、枡形は失われています。
●権現の森
 国道は左折して権現の森の前へ出る。ここが青柳宿だった、名残の場所である。参道正面には1694年(承応3)建立の石祠などがあり、森は信仰の場として、憩いの場として今も江戸時代の名残をとどめているという。  10:10

 参道に鳥居があり、中には「不動明王石像」や、牛頭天王・蚕玉大神があるなどあり、顔が赤く塗られている。鳥居あり、神社あり、石仏なんでもありの神仏混淆の森である。この神社の前の街道、400m程が金沢宿の前身、青柳宿であった。宮川の水害により慶安4年(1651)現在の金沢の地へ移った。

 権現の森を過ぎると再び国道をしばらく歩きます。左手の川向こうに49里目の木船一里塚があるというけどわからず。タイヤショップ茅野の所を右へ上がるようになっているが、ショップは閉店していて、看板がなくなっている。右折する坂があるので、そこを上がる。登って行くと大きな石碑があり、簡単な鳥居があり、御柱と称して良いのだろうか、柱が4本立っている。外に説明板は立っていない。石碑の文字は読めない。 10:55

 中央線を跨線橋で渡る。橋を渡りきったらすぐ左折し線路に沿って下って行きます。旧道図ではタイヤショップから斜めに線路を横切る形になっているが消滅してしまった。JR変電所を通り、のぞみ大橋の下を通る。しばらくは宮川に沿った、静かな道を通ります。しかし通行する人は一人もいませんでした。 
11:05

 小早川橋を渡って、左手に「南無阿弥陀仏碑」が立っています。JRのガードくぐり、線路に沿ってしばらく歩き、やがて国道と合流します。合流する宮川坂室交差点手前右側には「文化十三年」の銘のある古い石碑と石仏、秋葉山常夜灯が並びます。ここまでの道も本来の旧道ではなくて、線路の向こう側に旧道が走っているようになっている。ここも通ることはできませんでした

 宮川坂室交差点から右折して行くと「酒室神社」がありましす。酒室神社は、御射山祭りに濁酒を作り、山の神に供える前夜祭をとり行った神聖な地に祀った神で、酒解子之神を祭神とする。
  神殿は文政八年(1825)大隅流の建築家矢崎玖右衛門の建築したものである。なお境内
 の東の隅に「雨降り塚」と呼ぶ古墳があり、明治三十四年に発掘された・・・とあるが古墳の方はよくわからなかった。 11:30

 酒室神社を出た後、国道20号を真っ直ぐ歩き中央高速のガード下を通って行く。このあたりに50番目の一里塚ありとの情報もよくわからず通過して行った。
 高速をくぐり、この先宮川の三叉路へぶつかる。ここで真ん中の道が旧道なので、そこを行きます。  11:50

 すぐ先に左右に神社やら、味噌の醸造元が並び、車が沢山駐まっています。左側に神社が二社
●鈿女(おかめ)神社
 鈿女神社の祭神は古事記や日本書紀に書かれている天照大神が天岩戸に隠れたとき岩戸の前で舞を舞った「天鈿女命」(あまのうずめ)で後には猿田彦神と共に「道祖神」として祭られるようなりました。●三輪社
 こちらは古く今から約810年前、大和の国の三輪神社から分社あり、宮川・茅野地区の産土神になっています。この建築が類を見ないもので、本殿の屋根が前方に大きく張り出しているのが特徴です。

 ●丸井伊藤商店
 マルイ味噌の味噌蔵です。ここは工場と店舗を兼ね、あたり味噌の香りが漂います。盛んに宣伝している「貧乏神神社」は、この工場内らしく、参拝するには工場内を通過する必要があるので、失礼した。向かい側には「明治天皇御小休所跡碑」がある。 12:00
 ●宗湖寺
 諏訪藩主、諏訪頼忠(頼重の従弟)の菩提所。頼忠は諏訪家中興の祖とされる。山門は明治天皇巡幸の折、旧諏訪藩家老、千野の門、通称三の丸の御門を移築した門であるとのこと。 

 上川にかかる上川橋を渡り、茅野市街地に入ってきます、右側に昨日泊まった、茅野ステーションホテルがあり、歩いてきて又再会するとは変な感じがします。ベルビア裏を通過すると、「諏訪神社上社参拝道の大鳥居」があります。参拝したいと思えどかなり遠く、行くことはかなわず。その先の茅野駅西口三叉路で、左手の道を進みます。
12:40

●上原
 上原の信号で国道20号と合流しますが、この先の上原は戦国時代北東の永明寺山腹にあった上原城の城下町で栄えた所と言われます。街道としては単調で、あちこち横町へ入る所には、「鍛冶小路」とか「塔所小路」とかの石柱が立っていますが、特に説明は付いていない。途中「上原八幡社」があり、何の変哲もない小さな神社だけど、上原城下の中枢として崇敬されたという歴史がある。現在はなぜか金網で囲われて入ることもできない。 12:55

 郵便局の所を右折して行きます角に「甲州街道 渋沢小路」碑があるのでわかります。JR中央線ガード下くぐり、坂を道なりに上ると右角に石造道標があります。ここが大門追分で左側の道が大門街道という。奥の大石に「右江戸道」とあり、前の燈籠には「右とうきょう」とあるので明治の物だろう。

●火燈(ひとぼし)公園
 神戸村では御柱年の盆の15日の夕、頼重院の裏山で諏訪大社へ鳥居火を灯して奉納したそうで、公園は附近の地名を後世に伝えようと命名されました。公園の先、「頼重院」に出ます。諏訪頼重の菩提寺です。先へ進み、神戸一里塚碑があります。江戸から51番目の一里塚です。周囲五間で榎が植えられていたという。明治12年頃壊された。
13:30

 その先の道の真ん中のゴミ置き場の陰に、巨大な燈籠と道標があり、「左江戸みち 右大明神江」と刻まれている。道標は諏訪方面を向いており、諏訪からは左方向が江戸になる。諏訪湖へ下る方を「大明神江」というのだろう。蔵のある旧道を行くと右手に「足長神社」がある。この神社は見たことはないが、御柱祭で参道石段を登りながら柱を引き上げるので知られているそうです。足長とは八岐大蛇神話の足摩乳命のこと、手長神社もあり、手摩乳命のことという。 13:45

 神社の先、旧道細久保、旧道赤羽と続き、また国道の合流しますが、その手前公民館脇に大きな双体道祖神があります。隣は秋葉山の石柱のがあり、貴族風な衣装で寄り添っています。
 ここで国道に合流する頃辺りから上諏訪宿に入ります。
14:05

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