45上諏訪宿~下諏訪宿   歩行地 図
 清水-元町-諏訪-湯の脇-高木-諏訪大社-下諏訪  6.2km
45 上諏訪宿
 甲州街道として最後の宿場。諏訪大社の門前町であり、別名高島ともいい、江戸時代は高島藩城下町としても発展した。 宿は上町・中町・本町により形成され、街道沿いには酒蔵が建ち並び、それらの多くが今も現役で活動している。甲州街道は次の下諏訪宿が終点となる。諏訪大社は、全国に1万有余の末社を数え、諏訪湖南側の上社本宮、上社前宮、諏訪湖北側の下社秋宮、下社春宮の4つからなる変わった形をとっている。
本陣1 旅籠14

2008年3月30日 14:20上諏訪宿へ入る。
 4時過ぎの特急を予約したので、あと5km程。ゆっくりしていられない。
清水町、左側にあった蔵造りの呉服屋さん。”呉服のかねさ” いかにも呉服店が似合う老舗でした。元町角の●「宮坂醸造」です。このあたり酒蔵が並びますが、あんまり酒には興味がないので、各蔵のHPを見ていきます。ここは創業1662年、「真澄」で有名だそうですが、なんと「神州一味噌」の製造元でもあるそうで、こちらの方はよく使います。    http://www.masumi.co.jp/

●「伊東酒造」です。創業は新しく、昭和33年。「横笛」という酒を造る。  http://www.yokobue.co.jp
  次は●「麗人酒造」。名前の通り「麗人」というお酒創業は寛政元年(1789年)。 井戸には、その霧ヶ峰の伏流水が、毎分150リットルあまり、止むことなく涌き出ております・・・と
              http://www.reijin.biz/

 ●「舞姫酒造」です。
 蔵造りのがっしりした、古めかしい風情のある蔵元です。創業は明治27年。銘柄の「舞姫」は、当初の「亀泉」を大正天皇のご即位の大典を記念して改名。優雅さと気品、そして華やかさの中にも歴史の重みを漂わす酒でありたいとの願いを込めております・・・・・と。               http://www.maihime.co.jp/home/
 隣は呉服店の「扇屋」。建物は比較的新しいが看板が古そう。 14:35

●諏訪1、2丁目界隈
 諏訪市一番の繁華街と思いますが、あんまり人通りは少ない。商店は古い町らしく、看板造りの店が目についた。蔵造りの店も同居している。
 蔵元見て歩いていたら、旧道はここではなく、1本北側であったのに気がついた。そこで第八十二銀行前の諏訪1丁目信号を右折して行く。

 ●吉田のマツ
 諏訪市の天然記念物で、樹齢は300年くらい
高島藩士吉田式部彦衛門が、元禄3年大阪城守備の任務から帰ったときに持ち帰った伝えられる。しばらく歩くと、街道が直角に右へ曲がった先で道は二つに分かれる。角の公民館脇に小さな屋根をかぶったような大きな地蔵が鎮座している。右へ行くと、温泉寺がある。旧甲州街道は左方向へ行きます。 14:50

 ●先宮神社
 は創立が古事記の「国ゆずり」に起源があり、建御名方命が諏訪神社に鎮座する以前の産土神であったが、命に屈服したため、他の場所へ移ることを許されず、境内前の小川には橋も架けられなかったと伝えられています。
 この先、珍しいケヤキがあるとの話を聞いたので見に寄ります。酒屋の脇にあって、幹の太い葉の落ちたケヤキが左手に見えます。根元には甲州街道の石柱があり、目通りには注連縄が巻かれている。このケヤキ、中身が空洞で表皮だけで生きているそうで、裏を見ればわかります。

 初めて諏訪湖の湖面が見えました。先ほどから雨が落ちており、眺望は良くありません。
 結構アップダウンの激しい道を進み、電車の時間も気になるので、また足の筋肉が突っ張るので、少し走り出すことにしました。筋肉が柔らかくなって、楽な感じがします。
 左側に、江戸時代の面影がそのまま残る茶屋がある。江戸時代に高島藩の御用商人をしていた「橋本屋」が建築したもので、案内板が掛けられている。 15:15

●明治天皇駐輦跡の碑と石投場の碑
 が並んでたっています。駐輦(ちゅうれん)とは、天子が車をとどめることという意味。明治天皇も諏訪湖の眺望をこの場所に車を停めて、楽しんだのでしょう。石投場というのは昔は諏訪湖が真下まで迫っていたので、湖面に向かって石を投げた場所なのだそうだ。
 ●富部の一里塚
 最後の一里塚跡の碑にやってきました。ここは江戸から53番目の塚で、両塚であったが、全く失われ、跡に石碑が立っている。あと十一町(1100m)で賑やかな下諏訪に着き、中山道とつながるとあります。

 とうとう「諏訪大社下社秋宮」へ到着しました。雨がしとしとと降っています。信濃国一宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社の本社である。毎年8月~翌1月に神体が祭られている。よって、初詣は秋宮で行われる。記紀によると、武甕槌命(たけみかづちのみこと)と、大国主の長男である建御名方命が、国譲りで争い、結局屈服し、建御名方命は諏訪まで逃れ、その地に鎮座したという。しかし本来は古来から信仰されていた土着の神であり、武勇の神であって、天皇支配の為に記紀の神話に組み込まれたというのが本当のところと思う。残念ながら時間がなくて参拝はできなかった。いずれゆっくり出直すこととします。

15:35

 ●下諏訪宿
ここは甲州街道の終点ではあるが、中山道の宿場に属している。塩羊羹で有名な店、新鶴本店の前を過ぎ、御宿まるやと、桔梗屋旅館、「聴泉閣かめや」真ん中が中山道との合流点になり、そこが甲州道中の終点となります。

15:40

 合流点にはいろんな物が集まっている。「下諏訪宿問屋場跡碑」。甲州道中・中山道合流之地碑」。「木曽路名所図絵 下諏訪宿」

 さてこれで甲州街道もゴールとなりましたが、旅の余韻に浸ることもなく、走るように駅に向かい、4時過ぎの特急で帰ることになりました。
 今日で街道歩きも通算1300kmを越えますが、五街道をいっぺんに同時進行で歩いているため、まだ完歩したのは、水戸街道、日光街道とこの甲州街道だけ。東海道は浜松、中山道は軽井沢で止まっています。今年の夏には、この下諏訪宿に軽井沢から入って来たいと思います。

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