39 甲府栁町宿~韮崎宿  歩行地 図
 善光寺入口-城東通-荒川橋-美術館-竜王-下今井-塩川橋-韮崎   14.8km
39甲府栁町宿
 甲府の市街は武田信玄の父信虎が石和から移って甲府駅の北部、躑躅ヶ崎に居館を構えたことから始まる。武田滅亡後、家康は現在の「舞鶴城公園」の地に城を計画し、繁栄は南部に移った。江戸時代にはここを下府中といい、武田時代の駅北部を上府中、あるいは古府中と呼んだ。宿の正式名称は「甲府柳町宿」という。宿場の中程にある柳町に問屋場などがの機能が集約されていたことに由来する。
本陣1、脇本陣1、旅籠21軒。

2008年2月11日 特急あずさ3号にて甲府9時07分甲府着
 9日は大阪、名古屋が大雪、東京でも少し雪が降りました。甲府では10数センチ積もったようでしたが、1日経った為にかなり乾いていました。宿入り口地点へ向かいますが、その前に甲府城跡、長禅寺へ回ります。駅を下りた南口には武田信玄公之像。駅前から「舞鶴城公園」に到着する。
●稲荷櫓(いなりやぐら)
 城内の鬼門(北東)に位置することから良櫓(うしとら)ともよばれ、江戸時代には武具櫓として使われていた建物で、平成16年の復元によるもの。  9:40

●甲府城天守台跡
 徳川家康が築いたこの城も、明治以降は放置状態であったが、石垣の積み直しが行われるなど整備され、坂下門からに上って行くと「天守台石垣」が立っている。 甲府城の石垣は、戦国時代末期の先端技術である穴太積みと呼ばれる技法で構築されたものだそうです。天守台に上ってみる。天守台からの眺望は素晴らしい。少し霞がかかっているものの富士山も見える。

●長禅寺  9:50
 城を降り、線路沿いに長禅寺に向かう。甲府五山の筆頭にあげられる名刹。武田信玄の母・大井夫人の菩提寺で有名。寺に着くと、いきなり壮大な山門が現れる。が、屋根と柱だけのシンプルな門で、最近のものに違いない。境内に入ると雪でぐちゃぐちゃで、注意して歩く。犬が二匹門番のようにいた。本堂前には三重の塔が建っている。古そうな感じはするものの、案内板などがないので、帰ってから色々調べてみると、昭和53年頃の完成だそうだ。建立の目的は仏塔ではなくて、大型仏塔建立の技術研究のための建立とされているらしいです。

 ●五重の塔
 本格的は五重塔は東国ではあまり見ないので珍らしい。古さはないがすっきりして美しい。平成元年完成だそうで、各階に高欄が付いていないので高さはそんなにはない。長禅寺全体としては戦災で焼かれてしまったそうで名刹といっても、建築は新しい。
 ここの梵鐘は変に縦にドローンと長く、形が良いとは言いかねる。このような形の鐘は初めて見る。
●大井夫人の墓  
 墓は本堂脇から参詣道を進んだ一番奥にある。雪が積もって滑りやすいので、注意して進みました。

 前回終わった身延線を過ぎた、最初の枡形の所から甲府宿が始まります。ここから前回の写真と今回のものとが交じります。道を曲がり終わると、「石川家住宅」が右手に見えてくる。明治から大正にかけて建てられた住宅や蔵、塀などが現存していて、繭糸問屋だったという、当時の商家の様子を今に伝えています。黒い建物は、塗籠土蔵造(ぬりごめどぞうづくり)という建築様式によるもの。江戸時代の代表的な町屋造りという。

  国道は城東通りと名を替えて真っ直ぐな通が約900m程続きます。突き当たるとガソリンスタンドで、ここのスタンドは建物の一階に穴が開いていて、居眠り運転していると真っ直ぐ突っ込むのではないかと思った。ガソリンスタンドを左折します。
 途中には馬刺しの会社や右手に五味醤油という明治元年より創業している、小さいながら面白そうな会社もある。右折した先にも醤油会社があって、伝統を感じさせる。(今日はここまで戻りました)

 枡形道を曲尺手(かねんて)とも呼ぶが、左手奥に天尊躰寺がある。
天尊躰寺   10:30
 寺の入口には「大久保長安の墓」がある。長安は武田家に仕え、後に徳川家康に仕えて佐渡金山など多くの鉱山を開発した。 横山宿の八王子1000人同心の発案者でもある。本堂裏の墓地に「目には青葉 山ほととぎす 初がつお」で有名な山口素堂の墓もあるというので、奥に行ってみたが積雪で入れずわからなかった。

 天尊躰寺の前で直角に右へ曲がって行く。この先右手に 「印傳屋」のビルが建っている。甲州印傳の技法を今に伝える印傳屋は、天正10年(1582)創業というから400年続く老舗である。鹿皮に漆付けをする独特の皮製品だけど、名前は「印度伝来」に由来するとかの説がある。
印傳屋の先、NTT西の交差点で甲州街道は直角に左折し旧甲府柳町(中央4丁目)に入って行きます。

 ワシントンホテルプラザが大きくそびえている地点ですが、ここらが当時の甲府宿の中心地でした。ホテルの向かい側あたりに、本陣藤と脇本陣があったといわれるが、跡形もない。問屋街入口交差点を右折する。最初の枡形から5回目の曲がりに当たる。突当りを左へとまた曲がります。この辺りは案内板などがまったくなく、地元の人たちも関心がなさそう。きょろきょろしているのは我々くらいなもの。  10:45

 この先、桜町南交差点に出ると、枡形道も終わります。最後に交差点を右に曲がると大通に出ます。甲府商工会議所のビルを左に見て、そのまま行くと国道522号と3588号の交差点する「相生歩道橋交差点」に出ます。歩道橋に上がり、北を眺めると甲府のメイン通りで、真っ直ぐ、日銀、裁判所、市役所、県庁などを経て甲府駅へ向かっている。また駅を過ぎ、北方へ向かうと武田信玄の居館跡、武田神社がある。今回は行く暇がなかった。    10:50

 甲州街道は歩道橋を渡り,ここから美術館通りといい、ミレーの画で有名になった県立美術館がある通りで、よく整備されている。丸の内郵便局東信号交差点の歩道に、「南 みのぶみち」「西 志んしうみち」と彫られた新しい道標があるが、これは泉町土地区画事業記念で復元されたもの。「みのぶみち」は身延を経て、東海道、富士川にあった岩淵宿へ出る。

●穴切大神宮   11:05
 その先ちょっと行って、右に入ると少しで「穴切大神社」入り口に着く。昔は湖水だった甲府盆地に疎水を作ろうとした国司が祈ったところ、南の丘陵に穴があき水が流れたという。治水祈願の神である。この「随神門」は3間1戸、二層の楼門であり、彫刻などから諏訪立川流という建築だそうだ。ここの本殿は、桃山時代に造られた一間社流造という珍しい造りで、国指定重要文化財。彩色彫刻は囲われていて見えにくい。

 神社から戻ってくると角に土蔵造りの変わった建物があった。近寄ってみると土蔵を改造した和風レストランであった。コーヒーでも一つと思ったが、開店前で入れず。美術館通りにも旧街道らしく、大きな土蔵が残る。光雲寺まで行くと国道は左に大きくカーブして行き、荒川橋を渡って行く。この先は甲府柳町-2へ続きます。
  11:20

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