36勝沼宿〜栗原宿    歩行地 図
 勝沼ぶそう郷−上行寺−上町−勝沼小−等々力−矢作橋−上栗原    3.2 km
36勝沼宿
戦国時代は武田信玄の父信虎の弟、勝沼次郎五郎信友が勝沼に館を構えており、甲斐の戦略上、重要な拠点であったと伝えられています。からぶどうの名産地で知られたところで、現在でも一帯はブドウ園が至る所に見られます。宿場としては、当時はかなり横長だったようで、広重もここで昼食をとっているようです。
本陣1 脇本陣2 旅籠23

2008年1月20日特急が犬を轢いたとかで遅れて、9時15分、勝沼ぶどう郷駅着。前回終了した上行寺まで向かいます。
●上行寺
 あんまり有名なお寺ではないようだが、日蓮聖人投宿之地碑があり、この寺に日蓮が宿泊した跡があります。「細見」で日蓮大菩薩御一宿の霊所(農家甚右衛門)宅というのがここから西350mの所にあるというので、ここのあたりは日蓮に縁がある地域となっているらしい。寺の門前には勝沼氏館跡公園がある。

●勝沼氏館跡 9:50
 勝沼氏は、武田信玄の父、信虎の弟、勝沼五郎信友のことで、この信元の二代の館跡になる。信友は討死、信元はほかに内通したことが露見して殺されている。地域の押さえとして館というより砦として造られている。発掘調査により建物や門、水路の跡等戦国時代の武田武将の暮らしぶりが明らかになり国指定史跡として保存され史跡公園として整備されている。

 ●勝沼宿脇本陣跡
 西に向かって歩き始めたらすぐ右手に、標柱が立てられている。脇本陣跡である。この辺りから勝沼宿の宿場中心街となるようだ。
 ●勝沼本陣跡
その先前方に形の良い太い松が見える。標柱には「勝沼本陣 槍掛けの松」と表示されている。説明によると、本陣に大名、公家などが泊まると槍を立て掛けた松だそうだ。

●勝沼宿仲松屋」跡  10:00
 江戸時代後期の東屋敷と明治時代の建築を中心とした西屋敷の二軒分の商家建築から成る。東屋敷の主屋は板葺、二階建建築で、脇蔵(通り蔵)、坪庭、風呂、厠、味噌蔵から構成されている。西屋敷は帳場と居間を別棟とした主屋と坪庭、会所、蔵屋敷などから構成されている。東西両屋敷群は江戸時代後期から、明治時代の勝沼宿の建築を知る上で貴重である。・・・説明板より

 勝沼はいうまでもなく、ブドウ、ワインで有名で、街道沿いはブドウ園ばっかり。江戸当時からブドウで栄え、この辺りには蔵が多い、中には三階建ての蔵なんていうものもある。このような蔵は外ではあんまり見ないので、相当栄えたことがわかる。
●旧田中銀行博物館  10:05
 右手に洋風の建物がある。旧田中銀行博物館の看板が掛かる。もともとは、明治30年ごろ勝沼郵便電信局舎として建築されたが、その後山梨田中銀行の社屋として使用された。裏には銀行時代に建てられたレンガ造りの土蔵も残されている。無料で内部の見学ができる。

 ●ようあん坂 10:10
 勝沼で最も急な下り坂が現れる。勝沼小学校入口の右側に「ようあん坂」と記された標柱が建てられている。近くに天野養庵の家が有ったから「ようあん坂」というそうだ。隣に立つ石碑に海抜400mと刻まれている。
●明治天皇勝沼行在所跡
 行在所の石柱が立ち、その下には勝沼学校の碑があります。勝沼学校は明治六年、南部下山大工の松木輝殷が建てた藤村式学校建築で、明治十三年六月の明治天皇御巡幸の折に行在所となりました。藤村式建築とは・・・山梨県で通用する様式で、明治前半に洋風を真似て建てられた建築のことだそうです名前は山梨県令、藤村紫朗にちなむとか。他の地域では東海道見付宿の見付小学校など

 ●諏訪神社 10:20
 等々力地区の産土神で、建御名方神と事代主神を祭神とする。由来については、巨摩郡の笠屋神社を移したとも、聖徳太子の命を受け、万福寺を創建した調子麿を祀るため建立されたともいわれる。本殿は天和二年(1682)の創建の流れ造り。本殿内に300年に及ぶ修復の記録を記した棟札が保存され、建築の経緯を知る貴重な記録だそうです。山梨周辺に多い丸石の道祖神もある。
 境内に、目通り4.8m、樹高30m、樹齢300年と推定される勝沼町最大のケヤキで、町の天然記念物に指定されています。

●球形道祖神
 等々力交差点のに行く途中にありました、「球形道祖神」。甲州街道にはよく目に付く。先の諏訪神社のものは大きな一つ玉が台座に祀られてIいる。ここのは小さい玉が沢山集まって山をなしているもの。延命地蔵尊と呼ぶ所もあるそうだが、どうしてこういう形なのかよくわかりません。
●等々力交差点 10:30
 ここで国道411号と合流します。右方向へ行くと、塩山経由の青梅街道となって、雁坂トンネルを抜け奥秩父へと続きます。

 等々力の交差点からしばらく行った、ローソンの前に文政一三年と彫られた常夜灯があります。その先に杉御坊の大きな石碑があり、万福寺への参道が続きます。万福寺を別名「杉御坊」と呼び。これは親鸞聖人が逗留したときに箸を地面に刺して念仏を唱えたところ杉の大木になったことに由来するとか。創建は古く、推古天皇12年(604年)、聖徳太子の命によるともいわれている。寛元2年(1244年)に浄土真宗に改宗されている。

●聖徳太子の馬蹄石 10:45
 境内にある巨石で、馬蹄石と彫られているが、特に説明板は立っていない。聖徳太子の馬蹄石というもので、馬の蹄状の窪みは聖徳太子の乗った甲斐の黒駒が富士山、甲斐駒ヶ岳を一蹴に巡った時の蹄跡という伝説が残る。
 境内には聖徳太子に由来するような、夢殿を模した六角堂もある.●芭蕉句碑・・県内でも3番目に古い句碑が残っている。寛政年間のもの(1789〜)・・・「行駒の 麦に慰む やどりかな   芭蕉」・・・
 ●万福寺のムクノキ と呼ぶ珍しい大木。県の天然記念物

 次の栗原宿に向かう途中に白百合醸造がある。、「ロリアン」というブランドのワインを造っている。見学、試飲ができるようだけど、朝なので寄らずに通過する。なかなかきれいな醸造所のようだが。
 途中で山梨市へ入り、上栗原の交差点に着く。。交差点を左に行くと、矢作橋から南方2kmくらいの所に甲斐の国分寺跡や甲斐一宮「浅間神社」などがありますが、いささか遠く断念した。交差点あたりら栗原宿に入ります。 11:00

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