17関野宿〜鶴川宿  歩行地図
 関野−名倉入口−境川− 諏訪−上野原−本町三叉路−鶴川橋  5.9km

17関野宿
 関野宿は往時、この近辺は奥三保とも桂里とも呼ばれ、諏訪番所を通り甲斐の国に通じる最後の宿ということもあり、重要視されていた。道幅は2間余り、民家が相対して軒を並べ、本陣、脇本陣を備えた宿場であった。明治21年とその後の2度の火災で焼失してしまった。吉野より26町(約2.8km)
本陣1、脇本陣1、旅籠3

2007年5月20日の続き
●町並み

 町は国道20号が通っているが、吉野より以上にひっそりとしている。家も点々と建っている感じがする。
●本陣跡
 国道沿いを進むと、右側の民家の庭先に本陣跡の説明板があった。右手にあるというので注意はしていたが、立木に隠れ普通の民家で、おまけに案内板が甲府側に向いているので、見落とすところであった。脇本陣が並んで建っているというがわからなかった。

●増珠寺
 大相撲の年寄名跡「追手風」のゆかりのあるお寺
追手風喜太郎は、寛政十一年(17999年、当地関野に生まれその生家は、現在もこの寺近くにある。文政十二年には前頭筆頭となり、天保二年(1831年)春場所からは「追手風」としました。土俵を退いてからの追手風は、年寄となり相撲会所の要職に着くと共に、門下からは多くの名力士を出しました。また、敬神祟祖の念に厚く、竜渕山増珠寺には五具足・燭台などを寄贈し、氏神の三柱神社には、青龍・白虎・朱雀・玄武の四神の幡を献納しました。・・・案内板より

●名倉入口
 寺を過ぎると、どうやら国道を外れて小淵小学校前へ登って行き三柱神社前を通る道が旧道らしかったのだけど、見過ごして国道を行ってしまった。そして名倉入口の所の坂を左に下りていく。
●境沢橋
 境川に架かるのが境沢橋で山梨県と神奈川県の境となっている。いよいよ山梨県に入ることになった。まっすぐ進むと大きな鉄橋の境川橋に出くわすが、ここを渡ると間違いで、振り返ってS字カーブの続く車道を登っていく。ここは結構きつかった。

●諏訪関所跡
 登った右側にあるのが諏訪関所跡の碑で、これは境川番所・境川口留番所とも言われ、通行取り締まり、物資出入り調べ
高瀬舟取り締まりと徴税、鶴川渡し場取り締まり、通行手形改めなどを行い、明治4年に廃止となる。建物は渋沢栄一の別荘ともなったそうだ。道の反対側には甲州街道史跡案内図があり漫画風で面白かった。この案内図にはこの先で、何回かお目にかかることになる。
●諏訪神社
 やっとこさ登り終えて諏訪という地区にはいり、右手に諏訪神社がある。鳥居を過ぎると巨大な杉が五本並んでいる。昔は古郡神社ともいった。

●塚場の一里塚
中央高速を陸橋で渡り、右に小さな鳥居も本殿も真っ赤な疱瘡神社があり、その奥のアパートに隠れて一里塚の跡があり日本橋から18里の塚になります。諏訪を過ぎ右から国道20号線が合流してくる、ここから上野原宿となります。

18上野原宿
 甲斐の国最初の宿。八王子から分かれた裏街道・陣馬街道との分岐点で、文化年間(1804〜18)には250軒もの商家が軒をを並べ、織物、野菜、干魚、酒などを商っていたという。
本陣1脇本陣2 旅籠20   関野より34町 3.7km

★牛倉神社
 上野原宿は国道が合流してくる新町交差点から少し先の地点から始まる。天正23年(1594)武田信玄の娘が北条氏政に嫁いだ際は、武田側一万数千、北条方も五千の兵をここに送り娘を北条方に引き渡したという歴史がある。新町2丁目の先から左に入った所にある敷地の広い神社で、拝殿、本殿とも最近再建されたもので新しく、きれいですがすがしい。400貫の大御輿をかつぐ祭りで有名だそうです。

★脇本陣跡?らしい建物
 鳥居に向かって参道の右側に脇本陣跡と聞いていたので、この家がりっぱな門を備えているのでそうだとも思えるが違うかもしれない。もう1軒脇本陣があるらしいがそちらはわからなかった。
★商人宿「たち花や儀兵衛」跡
 看板に隠れているけど、門構えを残している。 

★本陣跡
  東京電力支店の奥に門と長塀が残されている。明治天皇の行在所ともなっている。
★本町三叉路
 本町の信号を過ぎると、道は三叉路になり旧道は一番左の所を左折する。この先で上野原宿とお別れになります。
  さて上野原を過ぎるとJRと離ればなれになってしまい、鳥沢駅まで行かないと帰れなくなる。現在13時前で途中で帰る時間でもなくこのまま鳥沢をめざすこととした。あと十数キロがんばろう

★鶴川歩道橋
  三叉路から真っ直ぐ進むと、右手に上野原警察署、その奥に市役所があり、道が入り組んでくるが石垣のある民家沿いに進むと、鶴川歩道橋に出る。下の道は国道と県道30号線。歩道橋を越え、野田尻へ案内板に沿い鶴川畔を進みます。
★鶴川橋
  鶴川と、それに架かる橋が見えてきた。昔は橋はなく、120m下流に鶴川の渡しがあった。ここの渡しの人足は実に評判が悪く、市川海老蔵が100両ゆすられたり、諏訪藩といさかい起こし、後で宿役人が処罰されたりしている。

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