29初狩宿~白野宿      歩行地 図
   下初狩宿-初狩駅-初狩小-唐沢橋-立河原-白野宿   2.8km

29下初狩宿
 下初狩宿と中初狩宿の二宿で構成される。問屋業務は月の半分ずつ負担していた。
30中初狩宿                中初狩宿
 本陣2 脇本陣2 旅籠12     本陣1 脇本陣1 旅籠25

2007.7.29の続き14:20
 国道へ合流すると、まず下初狩宿に入ります。両側には古い家が並んでいるが、建物は一段低いところに建っている、何故かよくわからないが街道の改修の結果なのだろうか。
●山本 周五郎出生地碑
1903年(明治36年)山梨県北都留郡初狩村にて父清水逸太郎、母とくの長男として誕生。 明治40年の山津波で祖父母・叔父母を亡くし、周五郎一家は初狩を離れ、東京に転居しました。碑のうしろの家が生家かというと、本来の生家は山津波で流されているので、ここではなく単に初狩生まれという記念碑であるらしい。
●下初狩本陣
 生誕碑の後ろが本陣跡で、道から一段下がった所に建っている。左側に門も残っている。赤い旧式の郵便ポストも立っている。おなじみ明治天皇御小休止の石碑もある。

●脇本陣?
 本陣の斜め向かいが脇本陣ということで、この建物が跡かと思われますが、確証がない。
 さらに国道を歩きます。。歩道も無いところが多いので車に注意しないといけない。
●芭蕉句碑
・・山賤の頤とつる葎哉・・句の意味はいまいちよくわからない。句碑を過ぎると中初狩の宿

 中初狩宿もひっそりした感じの宿。
●中初狩宿本陣
 右側には中初狩本陣跡の小林本陣跡。左側には本陣独特の門が残る。先に進むと「唐沢橋」の手前に「首塚」と記された標識がある。単に首塚とあるだけで誰の首塚か表示がない。多分小山田氏の関係であろうと思う。遠そうなので行かなかった。


 この先の地名は「神戸」。「こうど」と読む。群馬県にも同じような地名がある。有名な兵庫県のそれと間違えやすい。唐沢橋を渡り、坂道になってどんどん行くと。その先で国道は左にカーブして中央線の鉄橋をくぐります。多分旧街道は手前を右に入って天神峠を登るのだろうと思う。右をみると山道も続いている。が登る気にならないのでこのまま進むが、歩道が無い。右は山、左は笹子川だし車は飛ばしてくるし、マジ怖かった。

31 白野宿
白野宿は、次の阿弥陀海道宿とその次の黒野田宿の3宿で継ぎ立てを分担するという小さな宿場であった
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠4
白野宿-原-吉久保-阿弥陀海道-(笹子駅)   3.0(3.3)km

 15:10 国道20号から白野宿への入り口が現れる。宿の中には下宿、中宿、上宿、原入口と4つのバス停がある。国道の脇に入るので交通量もあまりなく、静かな町並みになっている。しかし宿の案内板などは全くないので通り過ぎてしまう。古そうな家も散見する。・・・・・その後仕入れた情報によるとずっと手前の船石橋あたりから中宿まで旧道がわからなくなっていて、国道は旧道ではなく、中宿へ旧道が繋がっていたらしいです。

●法林寺 15:15
 宿唯一のお寺。かつては、このお寺の脇道より初鹿野景徳院に至る近道があったそうです。境内には子供用の遊具が似つかわしくなく置かれている。
 宿の出口に近い場所右側には今泉本陣跡があるとのことで探してみたけど、何の案内板も無いのでよくわからず宿を出る。


 宿を出て国道に合流後、すぐ又右側の旧道に入って行く。JR中央線のガードをくぐるが、「伝説、立石坂の立石」という標柱があったけど、なんであろうか。左へ曲がり、線路沿いに上って行く。しばらく行くと稲村神社がある。
●稲村神社 15:35
 あやしげな男根女陰の道祖神があった。神社の前に親鸞上人念仏塚がある。

●親鸞上人念仏塚
 この塚には次のような伝説がある。大百姓小俣左衛門の娘「およし」は美女なれど、心あしく、けんどん邪見で、ついに蛇身となる。大沼に住みよなよな出でて里人を悩ます。そこで親鸞の法力で教化したという。旧道は線路に遮断されているので、国道に出て暫く行き、笹子橋を渡ると阿弥陀海道になる。ここは写真を撮り直しておきたいので次回歩き直すこととしたい。16:15 笹子駅到着

28 花咲宿へ  32 阿弥陀海道へ