10 日野宿~横山宿    歩行地 図
 新奥多摩街道入口交差点-川崎街道入口-八坂神社-宝泉寺-日野台-大和田橋  6.2km

10日野宿
宿場町として整備されたのは1605年(慶長10)のことで、八王子宿を整備した大久保長安手によって開かれている。宿場町は物流の拠点であるとともに軍事的な拠点でもあり、軍勢が一気呵成に攻め込めないよう宿の出入口を直角に曲げて作られていた。その名残りが現在も見られる。本陣跡には本陣としては東京都内で唯一遺された当時の建物が建っている。
 本陣1 脇本陣1 旅籠20

2017年8月27日 府中からの続き
■新奥多摩街道入口交差点~川崎街道入口
 ●新奥多摩街道入口交差点が日野宿の入口にあたり、右に入って行くとすぐ左手に風格ある蔵造りの洋風建築が建っています。●有山家の建物で、日野宿の名主を務めた佐藤彦五郎の4男である彦吉が有山家に養子に 行って建てた家という。元々の屋敷は明治26年の日野宿の大火で焼けてしまい、現在のは明治30年以降の建物で大正 から昭和初期に改築されているとのこと。
 曲がって最初の交差点で左折するのが川崎街道。その角に道標があって●高幡不動への行く道標。高幡不動はこの先の浅川を渡った所にある有名な不動様です。
 ●日野の町中を進みます。日野宿の規模は東西9町(約1km)、西方より上宿、中宿、下宿とで成り立ち,名主と問屋場を兼ねた上佐藤家と下佐藤家で本陣、脇本陣を勤めた。   12:35

■川崎街道入口~日野市役所入口
 左側に●日野宿本陣があります。 これは都内に現存する唯一の本陣で、嘉永2年(1849)大火に より主家を消失し、その後元治元年(1864)に再建されたものです。 但し日野市教育委員会の説明板では本陣となっているが、脇に立つ東京都教育委員会の方では脇本陣となっており。ややっこしい。下佐藤家の建物なので本来は脇本陣が正しいが、幕末には本陣と名乗ることを許されたらしい
 上佐藤家の本陣は既に無く、隣のマンションが跡地と云われる。本陣建物の向かいが●問屋場跡の図書館です。入口に高札場、問屋場跡の碑が立っている。 更にその先の右手の郵便局の隣に●蔵造りの建物がある。江戸末期から明治初期に造られた店蔵で、都の歴史的建造物に指定されている。  12:45

■日野市役所入口~八坂神社
 斜め前に●八坂神社があります。 創立は不詳ながら、伝説があって・・・・その昔多摩川の洪水の後、淵に妖しい光が数夜にわたって見えたので、古老が拾い上げると、金色燦然と輝く牛頭天王の神像であったという。 その像を祀ったのがこの神社の起源で、本殿は寛政12年(1800)のもので、古いので●建物の中で保存されている。 本殿には ●天然理心流近藤周助門人により奉納された額があり、欅板に大小二本の木刀が架けられています。 この写真は本物ではなく入口の案内板の写真だが、近藤勇も門人の一人だったという記載がありました。   12:55

■八坂神社~宝泉寺
 神社の向い側に、右斜めに入る道がわずかながら旧道であるので、そこに入り、すぐ左折すると「日野駅前東」の信号に出てくるのでそのまま真っ直ぐ渡って進みます。左手に●宝泉寺が見えてくる。寺の墓所内には新選組六番隊長・副長助勤井上源三郎の墓碑が建てられています。日野宿はここまでで宿を抜けます。
 寺の前からやや上り坂となり、いわゆるハケ上と呼ばれる台地お上がって行く。このハケ下に●飯綱権現を祀る鳥居が立ち、社殿は石段を上がるが社殿はごく小さいもの。その左隣に●小さいお堂があって、●坂下地蔵と呼ばれる銅造りの地蔵菩薩座像が安置されている。   13:10

■宝泉寺~日野台
 本来の街道は宝泉寺前を通り、坂を登り駅の突端を横断するルートになる訳だが、通行不可能なので少し戻り、●地図の点線のように駅の下をくぐり、線路に沿って左折しなければいけない。
 線路に沿った上り坂は●大坂上通りと呼ばれています。かなりの急坂で、中央高速のガードをくぐる。●日野大坂上の交差点で国道20号と合流しここで上坂は終わって一息つけます。
 この先は●真っ直ぐで右手に日野自動車の工場が続き、特に面白みがない。工場の敷地内に「上人塚」というのがあるようだが、敷地内で見せてくれるのかどうかわからないのでそのまま通過して行く。
  続いて左手に「コニカミノルタ」の工場が続いている。こちらも敷地に富士塚が残されているそうだが、入れなかった。コニカ・ミノルタ工場を境に八王子市に入ります。   14:10

 ■日野台~大和田橋
 工場から1km程で八高線のガードをくぐります。この先で日野台地の上を通ることが終り、●石川入口交差点を過ぎたあたりから、浅川が浸食した八王子盆地に入って行きます。国道16号を横断し、●ムラウチホームセンターの所を左へ入る道が旧道なので、ここへ入ります。ここは400m足らずの弓状の旧道で当時の面影は残っていない。すぐに元の20号線に戻ってしまい、戻った所がちょうど●大和田橋北詰。ここは先の大戦の痕跡が残されている場所で、案内板が立っている。  橋を渡ったら東詰交差点を右に曲がり次の横山宿(八王子)へ入って行きます。   14:40
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            焼夷弾・弾痕の保存について
      八王子市は太平洋戦争終結の13日前、昭和20年8月2日未明に、米空軍のB29爆撃機180機の空襲を受け、約450名が死没
     2000余名が負傷し、旧市街の約80%の家屋が消失する被害を受けました。そのとき多くの市民が大和田橋の下に避難し、尊い命
     が助かりました。大和田橋の歩道上には、この空襲の時投下された焼夷弾の跡が17箇所残っています。車道の部分は過去の補修
     により、弾痕は残っていませんが、現在歩道上に残っている弾痕の数から推測すると橋全体では約50個以上の焼夷弾が投下された
     と思われます。建設省相武国道工事事務所では、この大和田橋の補修j工事にあたり焼夷弾の弾痕を保存し太平洋戦争の痕跡を永
     く後世に伝えるものです。 弾痕の保存については、上下歩道上各1箇所は透明板で覆い、他15箇所は色タイルでその位置を示して
     あります。                                  平成9年10月
                                            建設省関東地方建設局相武国道工事事務所

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