19 鶴川宿〜下鳥沢宿   歩行地図
 鶴川−大椚−野田尻−荻野−矢坪−新田−犬目−山谷−鳥沢駅    12.7 km

19鶴川宿
鶴川宿は、正徳三年(1713)一村一宿にてつくられた。甲州街道唯一の「徒歩(かち)渡し」の鶴川の渡しがあり、川留めのために設けられた宿場。明治、大正の二度の大火で、殆どの建物が焼失したという。
本陣1脇本陣2旅籠8  上野原から18町 約2km

2007年5月20日の続き
■宿案内標

 諏訪の関所前で見たような鶴川宿案内板が立ち、鶴川宿野大きな石標が立つ。
■宿の町並み
 宿にはいると道を挟んで両側に直線的に並んでいる。大火があったせいか、建物は新しくなっている。案内板にあった「駒つなぎ石」を探しに鶴川神社へ寄ってみたところ、階段が長そうで先を急ぐので寄らずにした。「駒つなぎ石」とはなんぞやと調べると、文字どおり馬をつなぎ止めておく石で上部に穴が開いているという大きな石のことらしい。玄関の上に澤田屋とか村田屋とかの屋号の入った瓦の乗った建物があり、いかにも宿らしい風情は残っている。

■脇本陣らしき跡
 白のしっくい壁の建物でちょっとした門構えの脇本陣と思われるが新しい建物。案内などはなかった。
問屋場らしき跡
 これも案内などはないが対面に建っている問屋若松屋だった建物。敷地が広く立派

■本陣らしき跡
 宿の外れに位置する本陣だったと思われる跡。この先で街道は左に分かれて行く。この先は坂になって上っていく。右に左に曲がっていくと、やがて中央高速へぶつかる。右折して高速の側道をしばらく歩き、高速に架かる鳶ヶア橋という橋を渡ります。橋を渡ったら、切り通しの坂を真っ直ぐ進みます。坂を上がると左側に上野原工業団地ができており、その先の

■大椚の一里塚碑
 左手に駐車場ができており、そこにきれいな碑が建っている。江戸から19番、19里の一里塚にあたる。実際の所在地はこの手前の中央高速を過ぎたあたりらしい。
■大椚宿発祥の碑と常夜燈
 宿と書いてあるが、江戸の甲州街道の宿にはないので、間いの宿か立場もしくは江戸以前の宿でしょうか。右の常夜燈は秋葉神社への常夜燈で嘉永六年四月とある。

■大椚観音堂と吾妻神社
 宿のはずれにある吾妻神社があり、その脇に観音堂が建つ。郡内三十三観音二十四番札所、不動院行満寺の廃跡に建つ(建立年月不詳)。大日如来坐像と千手観音菩薩坐像が納められている。堂の奥は吾妻神社で小さな祠が建っている。神社には昔古クヌギが立っており宿名の由来ともなったが、枯れてしまったそうです。
■長嶺砦跡
 この先は中央高速に沿う道となり、談合坂SAへ1kmという看板も見えてくる。左側はゴルフコースのようだ。右側は防音壁。高速を渡ると次の野田尻宿だけど、手前には戦国時代上野原の加藤丹後守が築いたという長嶺砦の跡碑が建っている。ここは交通の要所で甲斐の国の東側を北条氏から守るべく監視したという所。この先新栗原橋で高速を越すと野田尻宿へ入って行く。

20野田尻宿
 駅路峯の上に亘れり・・・というように中央高速の北側高台に存在する。宿は明治19年の大火でほとんど焼失し昔の面影は残っていない。
本陣1 脇本陣1 旅籠9  鶴川より一里三町三十間(4.3km)

●町並み
 橋から10分ほど歩くと両側によく手入れされた植栽を持つ家が並んでいる。静かでなんとなく宿場らしい空気を感じる。人影はあまり見えない。新しいけれど旅籠風な木造の建物もいろいろある。ここも昔の屋号をもつ家がちらほらと残っている。ここは有名な談合坂SAがすぐ左側にあり、照明塔まで見ることができる。SAはよく利用するけれど歩いてこの脇を通るとはねえ。街道歩きを始めるまで思いもよらず・・・・

●明治天皇御休憩所址碑
 宿場の外れには宿場を表す石碑が建てられていて、隣には例の漫画のような案内板があり、向かいには明治天皇御小休所址の碑がある場所が本陣跡だが、碑のみ残っており、後ろは空き地となっていた。
●犬嶋神社
 由来その他はよくわからないが、左側に神楽殿というか、一風変わった建物がある。何に使うものだろうか。ここも祭典総理誰々の看板が下がっている。

●西光寺
 神社を過ぎると宿を抜ける。道は三叉路のなり正面に西光寺がある。左へ抜ける道は高速をトンネルでくぐる道で平和中の方向へ向かう。右側に甲州街道ぶらり旅の看板貼ってあり、ここは寺の右手を回り込むように右の道を行くことにする。西光寺は正面に派手な赤色のエプロンをした地蔵が沢山迎えてくれる。寺の裏手を進むtと高速の歩道橋に出、橋を渡ると林の中の道になる。県道に合流すると荻野という所へ出る。
●荻野の一里塚
  萩野の集落に入り右手に一里塚の跡の看板が立っている。日本橋から20里、19番目の一里塚と書いてあるが、一つ手前の大椚が19里、19番目とあって、ここがなぜ20里、20番目でないのかよくわからん。榎でなく松が植えられていた。荻野をでて高速を渡る。

●大乗妙典日本廻国供養塔
 高速の矢坪橋を渡るとすぐ右手に立っている。大乗妙典日本廻国供養塔とは六部と呼ばれる行者が全国六十六カ国を巡礼し、一国一ヵ所の霊場に法華経を一部ずつ納めた時に建てる供養塔のことだが、街道を歩いていると結構見られる。この脇を国道と別れて登っていく。矢坪坂の古戦場跡の看板が立っている。
●座頭ころがし
 やがて武甕槌(たけみかづち)神社入口の鳥居前を通過する。前に白い大きな犬がいて大声で吠えて、グルグル回転していて、うるさいというか柵の隙間から飛び出してきたらどうするかと恐ろしさも感じる。この先は左側が崖で山道となっていて、昔目の見えない座頭が転がり落ちて死んだという急坂になっている。

●談合坂SA(上り)
 座頭ころがしあたりから談合坂SAがよく眺められる。ちょうどトイレのあたり
●新田集落
 やがて民家が現れ、「細見」では犬目新田という集落へ入って行く。結構立派な建物が建っている。昔ながらの農村集落と呼んで良いわら悪いやら。

21犬目宿
 「犬目駅−此の地は狗目嶺とて一郡の内にて極めて高き所なり、房総の海まで見え・・・・」というように海抜500mを越える所に位置する。昭和45年に大火があり、宿の6割を焼失して、ほとんどの家が建て替わってしまったそうです。 野田尻より31町(約3.4km)
本陣2 旅籠15

★義民『犬目の兵助』の生家
 江戸時代、佐倉宗吾とか義民と呼ばれた人は数多い。兵助もそのうちの一人。この地方では天保4年以来凶作が続きついに7年に一揆が起きる。犬目村の兵助と下和田村(大月市)の武七を頭取とした一団が、米穀商などを襲い『甲州一揆』と言われています。一揆後、武七は獄死、兵助は逃亡の旅に出、埼玉、長野、広島、四国、伊勢を経て晩年は、こっそり犬目村に帰り、隠遁生活後、慶応三年(案内板による)七十一歳で没しています。この凶作は天保の飢饉と言われ、大塩平八郎の乱の原因となっている。

★脇本陣跡
 明治天皇御小休所址の碑で、普通の民家で植栽の中に建っている。脇本陣だった笹屋跡
★本陣跡らしき家
 街道案内図で本陣があったと思われる位置に存在する建物。この先定石通り宿を出るとき左右どっちかに曲がる。ここは右に曲がり角に宝勝寺がある。

★白馬不動堂
 県道を左右に山道らしく、左右にカーブしながら下っていく。右手に白馬不動堂の鳥居がある。不動堂といって鳥居が立つところが神仏一緒というおもしろいところ。入り口に不動明王らしい石像も立つ。坂を下りていくところが君恋坂という。

★恋塚の一里塚
 道なりに下って行くと、カーブの角にこんもりと21里の恋塚一里塚跡がある。ここも21里にして、20番目とある。
 県道を道なりに歩いて行く。右側に旧道へ入る入り口があって、そこを進むのが正解だったらしく、昔ながらの石畳道も少し残されていたというが、先を急ぐあまり見逃してしまった。又来る機会もなさそうだし、惜しいことをした。立場であった山谷集落を過ぎ、鳥沢小学校通学路と看板のある細い急な下り坂を降りて行ったりする。県道のショートカットになっている。そして中央高速をくぐって鳥沢駅に向かう。今回は高速を何回も歩道橋を越えたり、くぐったりしました。

★下鳥沢宿
 高速をくぐって国道20号線と合流した所が下鳥沢宿入口であります。結構左右に旅籠風の建物が残っている。ここは次回また訪れることとします。
★JR鳥沢駅
 今日の目的地JR鳥沢駅。こじんまりとした無人駅に近い駅舎となっている。本日はここで終了。30kmあまり。

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