40 韮崎宿〜台が原  歩行地 図
 韮崎−本町−下祖母石−入戸野−上円井−牧原−三吹−台ケ原  18.05km
40 韮崎宿
 甲府街道と富士川水系の水運の物資の集散地として発展した。地名の由来は、韮の葉のように続く七里岩の台地の先端にあるとか、台地上に野生の韮が多かったからとか、ニラミの略で七里岩の出崎と船山と睨み合っているが如きからとかの説がある。
 本陣1、旅籠17軒。 脇本陣はなかった。

 2008年3月29日、特急で9時17分、韮崎へやって来た。1泊2日で諏訪まで行って甲州街道ゴールしたいと思う。韮崎から先は街道と中央線とが離れてしまい、富士見の原の茶屋手前でようやく富士見駅と近づくので今日は富士見駅まで行かないといけない。泊まりは茅野にしました。しかし寄り道なしの行程でも34qほどあるし、相当の強行軍になりそうで、夕方6時くらいには駅に着きたいものだ。前回韮崎駅まで到達しているので、写真は前回分を使用する。次の台ケ原まで15kmほどありほとんど1日の行程ですが、半日で回ります 

 中央線に沿って、韮崎へ入っていく。駅前通は電信柱がないすっきりした町並みになっている。
   家の並びが鋸の歯のようにじぐざぐになっているのが目につく。中山道の坂本宿もこのようになっていた。これは敵が攻めてきた時に、この陰から矢や鉄砲を撃つためとかいわれる。しかしそうであれば、ほとんどの宿がこうなってなければ、おかしいと思うので、案外行列が通るときに陰に隠れるので長く座っていなくてもよいなどの説が正しいかもしれない

 宿に入りすぐ、南に入る道がある。案内が立っていて、鰍沢横丁と書いてある。ここは身延へ行く道との追分となっており、釜無川には鰍沢河岸という船着き場があり、舟運で賑わった。
 旧宿場らしいと思う建物が「井筒屋醤油店」であるけれど、老舗かと思いきや、昭和5年創業というからそう古くはない。しかし土蔵作りの建物は風格十分で、歴史を感じさせる。 

 井筒屋のちょっと先、茅野眼科の手前路地を右に入ると、突き当たりが「一橋陣屋跡」で石碑が立っている。ここに一橋家の領地があったためで、建物があった場所は公園になっている。また茅野眼科前には「韮崎宿本陣の跡」と刻まれた石碑が立っている。しかし宿泊する大名はほとんど無かったといわれる。

 左手の清水屋旅館は、弘化2年(1845))に、当地旅人御宿として開業したという古い宿屋ではある。建物は新しくなって、現在も営業している。
 この先を右に入る駅に向かう国道は佐久往還ともいう道で、すぐ左手が丘陵になっており、ここから28km続く七里岩の南端にあたる。
 左手に「雲岸寺」があり、裏手の崖の途中に「窟観音堂」が岸壁からせり出して建っている。天長5年(828)、空海(弘法大師)が観音石仏を洞窟に安置したのが始まりだと言われている。

 ●窟観音堂
 弘法大師の開基になるもので、七里岩に穴を穿ち、懸崖造りという崖からせり出すように建っているお堂です。この観音堂は、入口の扉を自分で開けて中に入るようになっている。崖に掘られた穴の中には、多くの石仏が並んでいる。堂の中には千体仏(千体地蔵尊) が並んでいたり、聖観世音菩薩、外を安置する。

 道を街道へと戻り、右へ曲がって再び甲州道中を進みます。すぐ左側の樹木の中に小林一三翁生家跡の碑がひっそりとあります。一三は阪急電車の創業者で。宝塚歌劇団などの創始者としても有名。韮崎から右側は七里岩の丘がずっと続いているのだが、崖下は住むには怖くて、崩落止めがはでに設置してある。古くてなんだかわからないような庚申塔  9:50

 道は国道20号に合流する。この水神宮はその三角地帯にあるもので、釜無川の氾濫に悩む村人が立てたもの。
●十六石
 武田信玄公が、まだ晴信といわれた頃、釜無川の水害から村を守る ため、治水工事を行い、その堤防の根固めに並べ据えた巨大な石が十六石といわれるものという石柱は立つものの、傍らの石は大きさ的に小さく、とても十六石のひとつとは思えないが?。

 先で道はY字路となり、右へと旧道が分かれています。その間にはJOMOのガソリンスタンドがあり、手前に石碑がありました。石碑には水難供養塔とありますがこの辺りは、かつては釜無川の氾濫との戦いが続いた地区で、多くの犠牲者が出たというのでその供養に立てられたもののように思う。道は祖母石という集落に入って行きます。
  10:20

 旧道に入ると、東側は水田で●七里岩が続いているのが良く見えます。七里岩は韮崎を先端に、蔦木付近まで28km(故に七里岩という)も続いており、今から20万年ほど前に八ヶ岳が噴火し、その土石流が韮崎に向かって下り、甲府盆地を埋め尽くし、その後釜無川など侵食され、延々と断崖が続く七里岩を形成したという。祖母石の集落に入ると、蔵が点在する風情のある街道となります。

 祖母石へ入り更に進むと、国道と合流するあたりから、昔はここで釜無川を渡り対岸の折居へ街道は向かっていたことになっている。現在はUターンして桐沢橋を渡ることになります。合流手前に石塔が5基ほど祀られていました。九頭竜大神、秋葉大神、道祖神まではわかったが、あと二つはわからなかった。石葉神とは?。国道をUターンして信号「桐沢橋東詰」で右折し、桐沢橋で釜無川を渡ります。  10:50

 橋の途中から眺めると、左手にの向こうには富士山がくっきりと見えました。今日は本当に天気がよい。釜無川は大きな石がごろごろしており、この川がいかに氾濫し住民を苦しめたかよくわかります。
 橋を渡り、途中県立射撃場があり、時折パンパンと射撃音がうるさい。左手には●原山神社があり、ここの神社は両部鳥居で珍しいなと近寄ると、拝殿が荒れ果てて、本殿もむき出しで全く荒廃している。折居方面へ向かいます。 10:35

 折居の集落は小さな集落ですが、蔵や松などが並び、風情のある集落です。ここは高台になっており、右手前方には八ヶ岳がその独特の姿を見せます。集落に入ると、●徳島堰という水路が左手に続きます。今から340年前江戸の徳島兵左衛門の私財により工事が始められ、その後の変遷を経て完成したもので、美田の開発が進み、地域農民の生活は飛躍的な発展をとげたという。旧道は堰を左手に見て進みます。

唐沢橋を渡ると、入戸野という集落に入ります。入戸野は小さな集落ですが、蔵があちこち残っており、中程の山形酒店が唯一の店だそうです。街道の左側には徳島堰が流れています。堰に厳重に電流が通じているフェンスを張り巡らせており、左側の山からが下りてくるそうだ。フェンスはこの先も続いていました。 11:40

●下円井集落
 入戸野を抜け、一端県道へ出て、戸沢橋を渡らず手前で左折し、徳島堰に沿いちょっと行くと、なんと戸沢川がせせらぎのようになって、歩いて渡れます。渡って坂を上がって行くと、下円井の集落です。ここもちいさな集落ですが、土塀や石塀が多く、歴史を感じさせる集落です。カギ型に曲がる途中には、秋葉山常夜灯。その向こうにはまた立派ななまこ壁の門を持つ家が建っています。

 やがてフェンスに「かかしの里」と一文字づつ描かれた大きな看板が現れ、変な物が現れます。そばへ行くと、黄色の大きなモニュメントがありました。休憩所になっており、看板が立っています。
 ここは「水土里」(みどり)ネット「円野町」といい、かかしカーニバル展示場という場所なのでした。変な物は・・かかし・・なんか、かかしを使ったお祭りをやるようですが・・・・・
 やがて前方に国道が現れます。手前には両側に、つぼみが少々の桜が植わっている。信号がないけれど下をくぐるトンネルがある。トンネルを抜けると内野中の集落へ入って行きます。 12:25

 しばらく進み、左手の小路の角に「徳島翁のおはかみち」と刻まれた石碑がある。徳島翁とは先ほどの徳島堰を作った徳島兵左衛門のこと。なまこ壁の残る道を入ると、突き当たりが●妙浄寺で徳島翁の墓があります。案内板によると、堰を建設するに当たりその完成を祈念して深川の法華山浄心寺第二世日通上人の開眼による七面大明神をその守護神とし、この地に安置して建設に励みました。しかし幕府の圧政にあい、この地を去り、その後を妻である妙浄尼に委ねました。それにより身延山法主日莚上人より妙浄寺の名称を賜った。

 丹野上で国道20号線と合流して、北上していきます。左側向こうには甲斐駒ヶ岳や鳳凰三山がよく見えます。国道の右手に鳳凰三山登山口の御座石鉱泉入口という大きな看板が。青木鉱泉という案内もあり、やがて北杜市に入ります。小武川橋渡ったらすぐ右折し、●宮脇地区へ入ります。また国道に合流しすぐ、「武川村米の郷」という農産物直販所の所を右折していきます。このあたりジグザグに国道と出会ったり、分かれたりでめまぐるしい。13:15

 ●牧原地区
 牧原地区に入って少し進むと、右手に2基の石碑があり、右側が大きな文字で「庚申塔」。中ほどの右手の民家の敷地に立派な題目碑がある。個人の持ち物なのだろうか、庭に置いてある。武家屋敷のような立派な建物も建っていたりする。

 また国道に出て、今度は大武川にかかる大武橋を渡ります。橋を渡って、今度は下三吹の信号から左折し、わき道へと入って行きます。
●下三吹地区
 この地区も火の見櫓があったりして、旧道の雰囲気の道が続きます。ここには見る価値のある「万休院の舞鶴松」という樹齢450年の松があるそうですが、枯れたというように聞いており、時間もないので寄らずに通過した。  13:40

 しばらく行くと、万休院から下りてくる道との合流点脇に馬頭観音と庚申塔とは思うけど古くて読めない石塔が立っている。この先は新屋敷の集落で、静かな街道が続きます。上三吹信号で国道20号を横断します。左へ向かうのが国道20号、右手奥にへ向かうのが甲州街道の旧道です。

上三吹信号から歩いていくと右側に、東屋風の休憩所ができている。その先に、旧甲州街道一里塚跡碑が立っていて、但し「甲府ヨリ七里ナノデ、七里塚トモ云ウ」と書かれている。江戸よりではなく甲府から数えている。甲府から28kmも来たわけだ。
 この先の尾白川橋を渡ります。尾白川はすぐ先で釜無川に合流しています。

 橋を渡ると、今井金吾「甲州街道」では国道を真っ直ぐ行くことになっているが、ほかのHP情報では左側に古道が残っているというので、探してみたが、左手にはうどん屋さんがあるばかりで、よくわからなかった。しかし駐車場の奥に石仏らしき物が見え、行ってみたら、看板が出ていた。川に沿う農道の様な道で馬頭観音が立つ「横山の道標」が立っている●古道「はらぢみち」
 この道は甲府から台ケ原へ通じる道で、はらぢみちと呼ばれた昔の主要道路であった。道標には「右かうふみち」「左はらぢ通」とある。甲州道中は国道を行くみたいだけど、この古道を通ることにした。14:20

 国道の騒音もない山道のような道で、小さな石仏も立っています。途中庚申塚がありました。庚申塚の説明もあり、庚申塚は60日に一回やってくる庚申の日に、腹の中の三尸という虫が眠っている間に天へ登りその人の悪行を言い、寿命を縮めるので徹夜で宴会を行い眠らなかったという行事で、無事に終わったことの祈念に立てるというわけ。まあ昔の人達の楽しみであったわけで、甲州街道にはいたる所に立っている。

 国道にぶつかって台ヶ原宿へと入って行きますが、その国道の入口には諏訪方面から来た人のための古道入口とかかれた石碑があります。韮崎から来る方向には案内なぞなかったのので、これは韮崎方面にも必要と思います。また、ここは道祖神跡で江戸時代には、ここで虎頭の舞が奉納されたとあります。国道に出て、また右へ入る所が台ケ原宿の入り口です。  やっと台ケ原宿へやってきました。韮崎から公称四里、16kmあります。 あと20キロ弱あり、どんどん通過するしかありません  14:37  

39甲府蜥ャ宿へ  41台ケ原宿へ