1 内藤新宿~布田五宿   歩行地図
 新宿1丁目-追分-西参道口-笹塚-下高井戸-上北沢-給田-瀧坂-国領  15.44km

1 内藤新宿
 内藤新宿は甲州道中の日本橋から最初の宿場。当初、日本橋から高井戸まで宿場がなく、遠すぎて難儀したため途中に設置された。元禄12年(1699)から宿駅業務が開始され、途中享保3年(1718)にいったん停止されるが、54年後の明和9年
(1772)に再興している。江戸城造営のために整備された青梅街道は当地で甲州街道から分岐する
  本陣1 旅籠24

 2017年7月2日
■新宿1丁目交差点~太宗寺  
 甲州街道、内藤新宿は●新宿1丁目交差点あたりから始まり、江戸時代は入口の木戸が設置されていたと云います。左手奥には新宿御苑の大木戸門が見えます。進んで行くと右手に消防署があり、その右隣に秋葉神社があります。
 更に進んで右手に入ると●太宗寺があります。このお寺は高遠藩内藤家の菩提寺であり、内藤家歴代の墓ある。またここは●江戸六地蔵の3番の寺でもある。 宝永五年(1708)江戸深川の僧、地蔵坊正元が建立発願、座高 2.75mの青銅の地蔵菩薩座像が、江戸・神田鍋町の鋳物師・太田駿河守正義によって鋳造され。江戸の出入り口となる六つの街道筋に安置したのが始め。
1番 品川寺  東海道  品川区
2番 東禅寺  奥州街道 台東区
4番 眞性寺  中山道  板橋区 巣鴨地蔵通入口
5番 霊巌寺  千葉街道 江東区
6番 永代寺   千葉街道:? 富岡八幡宮の別院であったが、廃仏毀釈の折り壊された
 また、ここには閻魔堂があり、中には高さ5.5mの木製の●閻魔像が安置されている。かなり不気味な感じ。 9:10

■太宗寺~新宿駅南口
 更に進んで●新宿3丁目交差点。正面右手は伊勢丹デパート。左手はマルイ。ここは青梅街道の追分になっており、そのまま真っ直ぐ進む道が青梅街道 左折するのが甲州街道です。追分の名前は「追分だんご」の店があるくらいだけど、交差点の歩道に「追分モニュメント」が設置されている。通る人はそんなこと気がつかずに踏んづけて行くだけ・・・。
 左折したら、新宿4丁目の交差点で、右折して国道20号を新宿駅南口へと行く訳だが、ここは少し真っ直ぐ進み、天龍寺へ寄って行きましょう。左手に天龍寺の●山門が見える。この寺には上野寛永寺、市谷亀岡八幡宮の鐘と並び江戸三名鐘と称された●時を告げる鐘があります。
 新宿4丁目交差点に戻って先に進むと●新宿南口に架かる陸橋が見えてくる。ここはいつ来ても工事中であったが、左手にバスターミナル(バスタ新宿)が整備されてようやく一段落したみたいです。  9:40

■新宿駅南口~西参道口
 国道20号が今も昔も甲州街道であるので、国道を西へ下って行きます。街道もすっかり拡幅され昔の面影は望むべくもない。左手に文化学園大学が見えてきますが、手前、文化クイントビルの歩道が一段と広く、広場の様になっている。その所に●半円状のレンガ造りのモニュメントがあります。「玉川上水の記」という案内板があって、それによると・・・・・かつてこの地には玉川上水 が流れ・・、その後、その役割を終え、大部分が暗渠化された。このモニュメントは新宿駅構内の地下に設けられた煉瓦造りの暗渠をモチーフとし、当時の煉瓦を一部使用して、ほぼ原寸大で再現したものです。・・・・という。
 その先大学の建物の西側の縁の所に●小さな天満宮があり、脇の大銀杏の木はその形状から箒銀杏と呼ばれています。 その先へ進むと首都高速が右手から合流してきて、空を覆い、うっとうしくなってくる。  左手に寺院が二つ並んでいて、手前が諦聴寺、その先が●正春寺です。右側はパークタワーがそびえ、その昔東京ガスのガスタンクがあったのでした。
 ●西参道口交差点を過ぎる。なぜ参道口というのかというと、右手へ行くと熊野神社があるから。 10:00

■西参道口~笹塚
 300mも行くと山手通りとの交差点に出る。地下は初台駅となっている。街道南側に●代々木緑道という細長い公園が続いており、明らかに玉川上水跡であることがわかります。
 国道に戻って幡ヶ谷駅手前まで来ると、ビルの中に小さな祠がある。小さくて見落としがちであるが、この地蔵は●●子育て地蔵と呼ばれており、この辺りの低地は地蔵窪と呼ばれているという。甲州街道の拡幅によりこんな所に押し込められてしまったようだ。
 笹塚の交差点まで来ると手前に あるのが●牛窪地蔵。 ここは 洒落たコンクリートのお堂に鎮座している。手前に庚申塔やら道供養碑などが並んでいる。道供養とは道路自体を供養して報恩感謝の念を捧げることにより、交通安全を祈ろうとする全国でも珍しい供養碑です。なお、この辺りは地形が少し低くなっていて、江戸時代から牛ヶ窪と呼ばれていたという。  10:25

■笹塚~下高井戸駅入口
 甲州街道を右へ渡って300m程進んだ右手交番隣に●笹塚跡という看板が立っています。昔。街道の両側には直径1mほどの笹に覆われた塚があり、「笹塚」という地名の由来になったといわれています。この塚に一里塚の印を記している古図もあるという。
 その先、笹塚郵便局手前に右に入る路地があり、路地を入ってすぐ右側にお堂に入った●庚申塔があります。今は奥まった場所にあるけども、元々は街道に面してあったといいます。
 笹塚の先は環状七号線と交わって、大原交差点。少し手前で渋谷区が終わり、この先は右手が杉並区、左手が世田谷区になります。ちょうど3区が交差する所です。先に進むと右手に和泉給水所のタンクが見えてきますが、このあたりで玉川上水が斜めに貫き、代田橋という石橋が架けられていたという。勿論暗渠で今は無く、代田橋という駅名に残るのみ。
 京王井の頭線を過ぎると右手に●明治大学和泉校舎、その隣は●築地本願寺和田堀廟所。これらの敷地は江戸幕府焔硝蔵の跡。敷地は約62,000m2、貯蔵庫は、5棟、約23,000m2の規模であったといわれます。その後陸軍省和泉新田火薬庫として使われ、大正の末期に廃止となった。 さてその先下高井戸駅入口交差点から先、下高井戸1丁目から次の下高井戸宿に入ります。11:20

 2 下高井戸宿 3.上高井戸宿
 下高井戸宿は現在の杉並区下高井戸1丁目から5丁目、甲州街道と首都高速4号線が分離して行くあたりまでの東西17町(約1850m)。上高井戸宿はその西、上高井戸1丁目の環八通りと交わるあたりを中心に東西6町(約650m)程の町並み。上下高井戸両村が半月交替で継立を分担した。 
 下高井戸 本陣1 旅籠3 上高井戸 本陣1 旅籠2

■下高井戸駅入口~上北沢駅入口
 ●下高井戸駅入口交差点から下高井戸宿へ入って行く訳だが、当然ながら宿跡らしきものは何もなく、国道の上を首都高速が乗っかっているだけ。 国道の北側を玉川上水跡が暗渠になって公園となっているので、そこを歩くのも良いのかもしれない。
 右手にお寺が二つ。共に江戸時代から存在しているお寺で、手前が覚蔵寺、その先が●宗源寺。境内に●不動堂があり、 かつて高台にあったことから「高井堂」と呼ばれ、それが高井戸という地名の起源とも云われています。
 鎌倉街道入口」交差点を過ぎると、うっとうしかった●高速道路は右手へとルートを変えて行き、騒音も少なくなり、見通しも良くなってきました。 このあたりに江戸から4番目の一里塚あったという案内板があります。案内によると・・・参勤交代でこの道を利用した大名は、 信州高嶋藩、高遠藩、飯田藩の三藩だけだったとか。   12:00

■上北沢駅入口~給田3丁目
 首都高速と別れた●国道20号は銀杏並木が続き、なかなか良い感じ。環状8号手前で「上高井戸1丁目」になり、上高井戸宿に入ります。環八がちょうど宿の真ん中あたりといいます。
 環八から100m程で国道と別れ、旧道は左斜めへ進み、国道と別れてやっと旧道らしい雰囲気になってきました。左手奥に●長泉寺があります。この寺は上高井戸宿の本陣を勤めた「並木氏」の菩提寺で同氏の墓があるという。 
 「芦花公園駅前」交差点から世田谷区、かっての鳥山村域に入ってきます。江戸時代、鳥山用水や用水から引いた水路が縦横無尽に走り、豊かな農村として非常な賑わいを見せたという。そんな地域も現在では宅地化され、水路もほとんど暗渠化されてしまった。
 左手に千歳ホテルがあり、その隣に●大橋場跡というのがあります。金属製の親柱と石仏が数基立っている。大橋場もそんな暗渠化された用水の跡でしょう。
 その先は少し長く、給田の交差点を過ぎた右手の民家の庭先に●新一里塚跡の碑というのがあります。 これは明治3年に内藤新宿を起点とし甲州街道に建てられた新しい一里塚で、正面には「内藤新宿より三里 品川県」と彫られている。 六カ所設置して、現存する物はこれのみという。  13:30

■給田3丁目~滝坂下
 大川橋を渡って●「仙川三叉路」で国道と合流します。仙川駅入口交差点の右側にあるコンビニの店先に●仙川一里塚の石碑がありました。
 仙川二丁目交差点を過ぎると、●右に入る小径があります。入口の右側に●瀧坂旧道の石碑が草に隠れて半分見える。ここが円弧状に残る「瀧坂道」といって、この辺りでは唯一残る旧甲州街道です。ここは是非共通らねばならないでしょう。
 石碑のある家は「川口屋」といって、行商人相手の旅籠を営んでいた。 坂を上がって行きますが、昔は雨が滝のように流れ落ち、かなりの難所の一つと云われていたといいます。現在は切り下げられて、緩やかな坂になっているのではないかと思われます。この脇道は250m程で国道に合流します。入口左手の●薬師如来が昔の雰囲気を醸し出しています。  13:57

■滝坂下~旧甲州街道入口
 国道を進むと、右手に厳島神社に至る参道が面していて、400m程行くと●厳島神社があります。このあたりの旧金子村の鎮守で、武蔵野段丘の崖線下に近く、境内地に湧水を集めた弁天池というのがあった。その水で弁慶が写経をしたという伝説があったという。
 その先菊野台交番の西隣に享保12年の庚申塔があるということだったが、見つけられません。 その先ビルの間にひっそりと●妙円地蔵というのがある。妙円は江戸の人で、尼僧となり村人のために毎日路傍で鉦を叩き、念仏を唱え続けたといわれ、 文化2年(1805))村人からの浄財をもとにこの地蔵菩薩像が建てられたという。
 この先柴崎駅入口交差点の脇にも●相当朽ちた地蔵菩薩像が一基ある。 ここから500m程で野川に架かる●馬橋を渡ります。
手前左側に立場があり、野川で馬を洗うなど人馬とも一息入れた所と云われます。
 野川を渡ると直ぐに●二叉となり、右手は八雲台、左手は国領となり、次の宿場の布田五宿の内の一つ「国領宿」へ入ります。14:50

 4布田五宿