11 横山宿~駒木野宿へ  歩行地 図
 八王子駅-追分-千人町-並木町-髙尾-駒木野  7.8km
11横山宿
 八王子宿を正式には「横山宿」といい、横山宿など15宿から成り立ち、現在の新町から八木町まで2.5km位の宿であった。横山宿が一番大きかったので「横山宿」という。又街道に沿った宿ばかりではなく、街道の左右にも宿が発達していた。宿内の家の数は1548軒もあった。天正18年(1590)八王子城の落城後、北条氏家臣長田作左衛門がこの地に宿を新設した。
本陣2 脇本陣3、旅籠34

2007年2月12日    朝、JR八王子駅到着。宿入口地点まで戻る。
★竹の鼻一里塚跡
 ここは新町といって、宿の東端になる。竹の鼻公園内に石碑が残っており、日本橋から12番目にあたる一里塚跡です。隣に永福神社がある。右側に芭蕉の句碑が立っている。刑場もこのあたりにあった。この先右折する所に木戸があったそうですが、痕跡などはなく横山町に入る。

★市守神社・大鳥神社
 市守稲荷とも呼び、祭神は倉稲魂命と。天日鷲命で商売繁盛、出世、学芸成就など盛りだくさん。鳥居は大きいが内は殺風景な感じだが、11月の酉の日aには、境内や甲州街道沿いに熊手などを売る店が並び、参拝する人で身動きが取れない賑わいになるという。
★八幡・八雲神社
八王子ともっとも古い関係を有する神社で、八幡神社は延長二年(924年)小野隆泰が武蔵の国司の時石清水八幡宮をまつり、その長子義孝は武蔵七党の横山氏の始祖になった。八雲神社は大伴妙行が延喜十六年(916年)深沢山(城山の古称)に奉斎後、慶長三年(1598年)八幡神社に奉遷して長く当地の氏神となった。

 街道を追分に向かって歩くが、横山町、八日町、八幡町と旧宿名に由来する町名が続いている。ビュータワー脇に
★八日市宿跡碑
が立てられている。市内には大きな案内板が掲示してあるが、そこに掲載されている本陣、脇本陣や高札場の痕跡はみあたらない。それで街道の南側、JR線路の向こうが旧跡が多そうなので線路を越すこととした。写真は八幡町にある蔵造りの建物、近代以降のものだそうだが街道筋に残る江戸時代風のもの。

 八日町角を左折して行く。この道はこの先八王子と横浜を結んだ旧跡「絹の道」につながっている。この道は何年か前に歩いたことがある。線路を越して左に入った所に興林寺というお寺がある。建物は新しそうで、正面唐破風には天女が舞っている。ここにあるのが
★弘安の板碑
 弘安6(1283)年の銘がある板碑は、高さ111cm、幅36cm、 厚さ6cmの石製。八王子では2番目に古く、頭部を欠損しているが薬研状に刻まれた弥陀の梵字がみごとで、鎌倉時代の貴重な資料である・・・案内板より。
★念仏院、時の鐘
 線路に沿って西方へ行き、上野町の念仏院には時の鐘が残っている。元禄12年(1699)八日市名主新野与五右衛門を中心に村の協力で鋳造されたもので、八王子15宿に時を告げていた。 

 又西方へ歩き、郷土資料館で宿の資料でも仕入れようとしたが、祝日で閉館で残念。その先へ行くと左手になんとも派手な破風を持つお寺があり、信松院でありました。ちょうど門前が道路工事中で歩行者通路を通って入った。
★信松院
   曹洞宗の寺で、派手なお堂は観音堂、本堂はその左の建物。開基は武田信玄の四女・松姫。武田家滅亡後尼となってここに隠れ住んでいた。境内に墓がある。門前には松姫が八王子へ落ちてきたときの姿の像があります。当時21歳。甲州一と謳われた母の容姿を受け継いだ、まことに見目麗しい姫であったそうです。又軍船のひな形大小二艘があるそうだが予約が必要で見られなかった

 街道側へ少し戻り線路を越した脇にあるのが
★産千代稲荷
 家康に仕えた大久保石見守長安の陣屋跡の碑がある。長安は元は武田家臣であったが、主家滅亡によって徳川家に仕えた。その才能を買われて金山奉行となり、石見・佐渡金山開発などに功ががあり八王子3万石を与えられた。その後権力争いの中で失脚する。

街道へ戻り追分に向かう。
★追分
 街道は追分髙尾方面、千人町に入る。右方向は陣馬街道で「案下道」ともいう。
★八王子千人同心屋敷記念碑
 八王子千人同心は、江戸時代にこのあたりに住んでいた半士半農の武士集団で、武田家滅亡後徳川家に仕えたa人たちが中核となっていた。千人同心は、10名の千人頭の下に、それぞれ100人の平同心を配した文字通りの千人同心で最初は江戸の西口の防備、その後日光東照宮の警備を担当した。

 甲州街道の両側には立派なイチョウ並木が続く。これは、多摩御陵造営記念に植えられたもので、次の並木町、多摩御陵参道入口と続き、JR高尾駅の少し手前まで4Km近くも続いている.長房団地の所を右折してすぐ左折する。その角の
★一里塚跡(と思われる)に立つ道標
 右髙尾山 左真覚寺 と書かれている。真覚寺は南方600m位にあり、「芭蕉蛙塚の碑」があるというが行かれなかった。

 この先並木町を過ぎると、多摩御陵への参道が右手に見える。この参道は見事なケヤキの並木が続いている。この参道は850m位ある。ここには大正天皇陵(多摩陵)、貞明皇后陵(多摩東陵)、昭和天皇陵(武蔵野陵)、香淳皇后陵(武蔵野東陵)の4つの御陵がある。次のバス停の所から右方向へ入るのが旧道で黒塀の家がちらほらと残る旧街道らしい風情が残っている。

  旧道はやがて国道と合流するが、途中の右側に小さな地蔵さんが立っている。この地蔵の左脇に細い道があるが、昔の鎌倉街道といわれる。とても細い道で鎌倉街道とはこんなものかと思います。その先はやがて左手にJR高尾駅が見えてくる。駅は寺院風建物でおもしろい。さらに行くとJRのガードがあり、これをくぐって少し先で道は二手に分かれる。左が国道の新甲州街道であり、右が旧甲州街道。右に曲がると次の駒木野宿へ入って行く。

 10日野宿へ  12 駒木野宿へ