1品川宿から川崎宿へ   歩行地図
  品川-北品川- 南品川- 鈴ヶ森-大森海岸-六郷-川崎駅   11.8㎞
広重の品川宿1品川宿
  品川宿は、江戸からでる諸街道のうち最も重要視された 東海道の1番目の宿(1601年指定)である。南・北品川宿と享保期にできた歩行新宿(北品川)とで構成され、宿内の家々は1600軒、住む人7000という活気ある地であった。また、北の吉原に対して品川は南といわれ遊興の場所としても有名であった。
本陣1、脇本陣2、旅籠93

 2017年1月7日(改訂版) 日本橋より続く
京急踏切~北品川
 ●京急踏切を渡ると品川宿入口で、まず●歩行新宿に入る。歩行新宿は1丁目から3丁目まであり、法禅寺あたりまで続く。すぐ左に●問答河岸の碑が見られる。ここはその昔、「三代将軍家光」と「沢庵和尚」が問答した場所だという。目黒川の河口にあたる場所で、かつては荷揚場があった その先の●コンビニりのあたりは旅籠「相模屋」があった所で、ナマコ壁の外観が土蔵のようにみえたので「土蔵相模」と呼ばれた。御殿山に建設中だったイギリス公使館を襲った高杉晋作、伊藤博文らが前夜泊まったことで有名だった。   12:46

■北品川~法禅寺                          
 当時の品川宿は広重の絵に見られるように、宿の裏手はすぐ海岸沿いで茶屋や旅籠が並び、二階にでも上がれば江戸湾の大海原が望めたようである。しかし、明治に入って鉄道が敷かれ、裏手にあった海は埋め立てられ、海岸はずっと奥のほうに後退してしまった。その為か宿場の左手は●ずっと下り坂になっており、高低差が感じられる。
 右手に●法禅寺がある。入って直ぐの左手に小さなレンガ積みの堂宇があって●石仏が沢山並んでいる。その隣に●流民叢塚がある。叢は一カ所に集めるという意味で天明の大飢饉の時、あちこちに餓死体が放置されていたのをここに集めて葬ったという   12:55

★品川神社
 法禅寺を出たら街道に戻らず京急線のガードを越え、国道を渡って●品川神社に立ち寄ってみた。源頼朝が安房国の洲崎明神を勧請して、創建したという歴史を持ち、徳川氏の厚い崇敬を受けた。現在東京十社の一社に指定されている。また、ここには江戸時代盛んに作られた●富士塚が残っている。富士塚は江戸の各地に作られ、富士塚に登れば直接富士登山をしなくても登ったのと同じような御利益が得られると信じられていた。
 トントンと駆け上がれば●東京湾方面の景色が一望できるが、勿論江戸時代の情緒は全く無くビルばっかり。昔はすぐ江戸湾が見渡せたのであろう。  法禅寺から先は北品川宿に入る     13:00

 ■法禅寺~品川橋
 左手に●品川宿交流館がある。品川区が所有する建物で、「旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会」が管理、運営する施設。「お休み処」である。
 その先●聖跡公園は品川宿本陣があった所。明治維新後、京から江戸に向かった明治天皇の宿舎にも使われた。
 目黒川に架かる●品川橋は北。南品川宿を分けているので「境橋」と呼ばれたが、現在は「品川橋」と呼んでいる。 この橋には小さな東屋が設置され宿の説明板が立つ。
 川に沿った右側に●荏原神社がある。 奈良時代の和同2年(709)創建になる。源頼義、義家父子が後三年の役で東北に向かう際、府中の大国魂神社とこの荏原神社を参詣し、戦勝を祈願した。    13:18
■品川橋~品川寺
 品川橋を渡ると●南品川宿に入る。 入ると旧道沿いには寺院が多く見られるようになる。まず右手に●常行寺がある。慈覚大師がここで常行三昧を修行した所といわれる。その次は●長徳寺という寺だが、ここは品川の「お間魔様」と呼ばれていて、間魔様の座像やおそろしい「地獄絵」のある寺で有名だそうだ。
 その先には●天妙国寺。顕本法華宗の別格山で、弘安8年(1285)に日蓮の弟子僧天目が開創、江戸時代には寺領10石の朱印を賜っている。    13:33

 ■品川寺~東大井1丁目
  天妙国寺を出ると「都道421・青物横丁通り」と交差して、右手は京急の「青物横丁駅」。交差点を越えると右手に●品川寺がある(ほんせんじと読む) 創建は大同年間(806~)。ここで有名なのは●「江戸六地蔵」の第一番目があることで。江戸六地蔵とは・・・・・
 宝永5年(1708)江戸深川の僧、地蔵坊正元が建立発願により、座高 2.75mの青銅の地蔵菩薩座像が江戸・神田鍋町の鋳物師・太田駿河守正義によって鋳造され。江戸の出入り口となる六つの街道筋に安置したのが始め。
2番 東禅寺  奥州街道 台東区
3番 太宗寺  甲州街道 新宿区
4番 眞性寺  中山道 巣鴨地蔵通入口 板橋区
5番 霊巌寺  千葉街道 江東区
6番 永代寺      ?   富岡八幡宮の別院であったが、廃仏毀釈の折り壊された。
  その先は●海雲寺。もと海晏寺の塔頭で瑞林院と号していたが、元禄3年に一寺となっている。「千躰荒神」を祀る寺として知られ、千躰荒神堂には浪曲師 広沢虎造の奉納したものなどの●扁額が27面も奉納され、品川区有形民俗文化財に指定されている。 14:00

南品川~南大井
 次は鮫洲駅前にある●鮫洲八幡神社。その昔、品川沖で鮫が捕れ、その腹中から正観音が出てきたとのことで、この観音を本尊にしたのが海晏寺で、頭は八幡に祀られて社も地名も鮫頭となったとか。 大体、鮫洲を過ぎると品川宿も終わりに近づく。
 街道は浜川橋へ至るが、その前に左へ折れ●浜川砲台跡を見に行く。橋の所から立会川が海に注ぐところまで土佐高知藩・鮫洲抱屋敷があり、土佐から送られてきた物資の荷揚げ地であった。 ペリー来航の1853年(嘉永6)、土佐高知藩は砲台築造の願を幕府に提出、許可を得て翌年、8門の砲台を擁する砲台を造ったのが浜川砲台である。若き日の坂本竜馬も警備陣に加わっていたと云われる。復元されているのは
「六貫目ホイッスル砲」という。
  街道に戻り、立会川を渡るが、ここに架る橋が●浜川橋。 江戸時代にはこの先の鈴ヶ森刑場に送られる罪人と家族がここで涙を流して別れたというので「涙橋」とも呼ばれた
 橋を渡った右手奥にあるのが●天祖・諏訪神社という。 江戸時代から天祖、諏訪両社はこの地の鎮守であったが、昭和40年に合祀している。「東海七福神」のうちの福禄寿が祀られている。   14:40

★鈴ヶ森刑場跡
 その先しばらく歩き、国道15号線に出る所の三角地帯にあるのが●鈴ヶ森刑場跡である。慶安4年(1651)の開設 間口40間(74m)、奥行9間(16.2m)あったという。奥行きが案外小さい感じ。現在はわずかな史跡を残すだけだが、処刑された人々を供養した●髭題目碑や当時の●磔柱用の四角い台石●火焙り用の丸い鉄柱の台石などが残されている。丸橋忠弥、天一坊、白井権八、八百屋お七たちが処刑された刑場である。   14:52

南大井~大森本町
  鈴ヶ森刑場跡を後にしたら旧道は●国道15号線と合流する。右手に「品川水族館」がある。大森海岸駅を過ぎた国道の向側に●磐井神社があり、入口前に名前の起こりになった●磐井の井戸がある。・・・この井戸水を「心のやさしい人が飲めば清水になり、邪心があれば塩水になる」・・・・という伝説がある。
 平和島口交差点の先から道は●左斜めに入り「美原通」へ行く。  15:17

■大森本町~大森警察署前
 この●美原(三原)通りは旧大森村の小字である北原、中原、南原の「三原」を通ることから名付けられ、美称して美原になった。江戸時代は「大森立場」と呼んでいて、かなり賑わった立場だったそうである。又大森は日本の海苔養殖発祥の地とも云われ、今でも●海苔屋が数件残っていて、往時の雰囲気を残す。
 途中で小さな橋●内川橋を渡るが、「羽田街道」を示す説明があり、ここから羽田村に入って行く道があった。
 美原通は●大森警察署前で15号線に合流し、真っ直ぐ六郷橋へ向う。   15:35

■大森警察前~東六郷
 しばらく歩くと、右手に京急「梅屋敷駅」が見えてくるが、その先の●梅屋敷公園は広重の「江戸名所百景」に描かれている「梅屋敷と和中散売薬所」の跡である。和中散薬とは腹痛や暑気あたりによく効く漢方薬で、本家は東海道石部宿の「梅ノ木立場」にある大角家であり、本家にちなんで「梅の木」を集めて植えて、いつしか「梅屋敷」と呼ばれるようになったそうだ。
 その先「呑川」に架かる夫婦橋を渡ると左手川沿いに●「夫婦橋公園」がある。このあたりはかって海苔業者が生活して「てんま(ベカ)と呼ばれる船が行き来していた。水害対策の為新呑川が作られた昭和14年、共同船揚げ場が作られた。その跡地という。
 段々薄暗くなってきたので●国道を急ぐ。左手に●六郷神社がある。創建は源頼義や義家の父子らが戦勝記念した頃というので前九年の役のあった1050年頃と考えられる。境内には頼朝寄進の手水石とか「梶原景時」が寄進したと伝わる太鼓橋などもある。   16:32

■東六郷~
六郷橋

 やがて多摩川に架かる六郷橋が見えてきた。橋の下をを潜り土手沿いに歩き、橋の右手に出た。このあたりが昔の●六郷の渡し場跡にあたる。「六郷の渡し跡」という説明板が立っている。江戸の初期には橋が架っていたのだが、よく流されるので1691年以降は橋を廃止し渡しにした。明治に橋が架けられたが流されたので、大正時代に再建され、この親柱は六郷神社にあるという。大正14年に本格的に架けられて昭和59年まで使われた。このときの●親柱が隣の公園に立っている。
 土手下に●北野天神社がある。案外と由緒ある神社で、別名「落馬止め天神」又は「止め天神」というらしい。八代将軍吉宗が乗る馬が暴走し、あわや落馬というときに、将軍の落馬を止めたのがこの天神様の御加護だといういわれがある。等身大の「木馬」がお社の中にすえてあるらしいが、暗くなってきたので通過ぎただけ。
 現在の●六郷橋を渡ってJR川崎駅に向かった。 次は川崎宿である。  16:45  

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