41宮宿から桑名宿宿へ  歩行地図
 伝馬町−国道247−宮の渡し公園   2q
41宮宿
 宮は熱田神宮を省略した呼び名である。ここは熱田神宮の門前町として、脇街道であった佐屋街道や、大垣を経由して中山道垂井宿に向かう美濃路などもあり、また七里の渡しで桑名へ渡る重要な港として発展した。宿場町としては東海道最大で、旅籠が248軒もあった。名古屋城のある市中は城下町、宮は宿場町として発展した関係にある。

本陣 2, 脇本陣 1, 旅籠248

 2008年8月3日 鳴海宿の続き
■名鉄ガード〜宮の渡し公園
●宮宿案内板
 名鉄ガードあたりから、宮宿が始まっている。入口に裁断橋があり、昭和の初めに埋め立てられたので、この先に移転して保存されている。
●姥堂・裁断橋跡
秀吉の小田原攻めの際、従軍して戦死した「堀尾金助」の母が立てた供養の為立て替えを志し、息子の代に完成させたという由来があり、橋の擬宝珠には息子供養の名文が刻まれていて多くに旅人に感銘を与えた。
 説明板  姥堂は延文3年(1358)の創建。本尊姥像は熱田神宮から移したものといわれ、、「おんばこさん」と親しまれてきました。第二次大戦で焼失しましたが、平成5年に復元しました。・・とある。姥像は見ることは出来なかったが、あちこちにある、「奪衣婆」のような姿らしい。

●「都々逸発祥記念碑
 ここには「都々逸発祥の地」碑も建立されている。何故ここなのかよくわからない。都々逸は1800)年ころ、この地にしじみ汁を売る鶏飯屋という茶店があり、茶店の女中お仲とお亀が面白い歌を唄って客をもてなした。ということによる。
●道標
伝馬町をまっすぐ行くと、中央分離帯のある広い道に突き当たり、迂回するのが面倒と、分離帯を乗り越えて進むと、突き当たりになるが、左角に道標がある。東海道と佐屋路との分岐点にある道標で、道標の位置は1790年の建立当時のままという。15:50

そのの突き当たりに●「ほうろく地蔵」がある。熱したほうろくを頭にかぶることで人々の苦しみを救うお地蔵さんだという。
 宮の渡しは左折して行く。右折していくのが「佐屋街道」。左折して国道を、歩道橋で渡り、「渡し公園」にやっと到着した。右手にあるのが●「丹羽家」住宅で、脇本陣格の旅籠屋であった。正面の破風付玄関は、かっての格式の高さを残している。

 ●「宮の渡し公園
この地は宮の神戸の浜から、桑名までの海上七里の航路の船つき場跡です。公園風にきれいに整備されていて、渡し場の説明などが見られる。 ここから海上七里を舟で渡って対岸の「桑名」に出ていた。 何故ここが七里の渡しになっていたかというと、この先には木曽川、揖斐川、長良川の三大河川が流れ込んでいて、当時の未熟な技術では渡河するのが難しかった為。舟は天候や潮の満ち引きによって左右されなければ、だいたい七里の距離で渡れた。船賃は1人45文程度。 欠航になったり、舟を嫌ったりした人は、熱田神宮のから西に向かう「佐屋街道」を使うことができた。佐屋まで約6里。 佐屋からは木曽川を川舟で下って約3里で桑名へ着いた。  16:00

●熱田湊常夜灯
 常夜灯は寛永2年(1625)藩の家老犬山城主成瀬正房が、父正成の遺命を受けて熱田須賀浦太子堂の隣地に常夜灯を建立した。その後風害で破損したために承応3年(1654)に現位置に移り、神戸町の宝勝院に管理がゆだねられた、焼失再建後、荒廃していたものを、昭和30年ほぼ原位置に復元された。
●時の鐘
 延宝4年(1676)尾張藩主光友の命により熱田蔵福寺に時の鐘が設置された。正確な時刻を知らせるこの鐘は熱田に住む人びとや東海道を旅する人びとにとって重要な役割を果たしていた。昭和20年の戦災で、鐘楼は焼失したが、鐘は損傷も受けずに今も蔵福寺に残っている。熱田の古い文化を尊ぶ市民の声が高まり、往時の宮の宿を想い起こすよすがとして、この公園に建設したものである・・・。

さて東海道、当面の目標の「宮宿」まで到着した。この先の桑名まで、現在は舟がないので行かれない。そこで迂回路である、「佐屋街道」をこの際、歩いてしまおうと思い、あと1日かけて歩くことにした。先の「焙烙地蔵」まで戻り、せっかくなので、熱田神宮を通って行く。  

 ●熱田神宮鳥居
 熱田神宮は愛知万博の帰り、寄って以来になる。正面鳥居は案外あっさりしている。祭神は熱田大神であり、三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を神体としている。
●拝殿
 本殿は奥にあり、見せてくれない。もっとも有名は神社はほとんど、本殿に近寄ることさえできないのが普通。

●「熱田神宮の大楠」
 正面から本殿へ向かう参道左手、手水舎の先に木柵に囲われた御神木の大楠がある。大きく枝を広げ、御神木として威風堂々としている
●信長塀
永禄3年(1560) 織田信長が桶狭間出陣の際当神宮に必勝祈願をして、みごと大勝したのでその御礼として奉納したもの。
 土と石灰を油で練り固め瓦を厚く積み重ねていて、コンクリート並みの強度があるといわれている。  16:35

この後、「佐屋街道」編に続く。  

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