4 保土ヶ谷宿から戸塚宿へ 歩行地図
 保土ヶ谷天王町-帷子町-権太坂-境木-東戸塚-不動坂-吉田橋 9.8km
広重の保土ヶ谷宿4保土ヶ谷宿
日本橋からの距離は八里九丁(約32km)。成人男性が1日に十里ほど歩いたといわれる当時では、最初の宿泊地としては少し早い宿場ではあるが、しかし、高齢者や出発の遅くなった旅人にとってはここが最初の宿となる。
程谷、新町、帷子の3宿であったものが慶長2年(1597)に一宿となった。
(図会)宿をすぎると街道最初の難所「権太坂」に入る。

本陣1軒,脇本陣3軒,旅籠67軒

帷子橋橘樹神社2006年6月4日 神奈川宿からの続き 
天王町~帷子町

橘樹神社。帷子橋

 16号線を渡ったところ当たりから、保土ヶ谷宿が始まる。相鉄「天王町駅」の手前に橘樹神社がある。結構由緒ありそうな神社で、本殿の後ろに神田不動尊と呼ばれる不動明王の石像がある。街道手前の八王子道への「追分」にあったもので昭和10年にここに移されたそうです。以前は「大山近道、大山護摩供養塔、是より七里余」と彫ってあったという) 神社の前に喫茶店(COLORADO) があり一休みした。帷子橋を渡り、天王町の駅前にあるのが、帷子橋の模型というか復元したもの。実はここが本当の帷子橋跡であって、先ほどの帷子橋は戦後の流域変更で新しく出来たものだそうだ。

保土ヶ谷本陣外川神社帷子町~権太坂
 保土ヶ谷本陣

天王町を出て、大門通をまっすぐ進む。やがて左にJR保土ヶ谷駅が見える。道が急に細くなる。JRの踏切を渡る。国道1号線の突き当たりに保土ヶ谷本陣(軽部家)がある。
当時建物は門だけだが、現在も住んでいる家である。道は右へ曲がっており、その先左側に一里塚跡碑、日本橋から8番目、ここは宿上方見付で跡であり保土ヶ谷宿はここまで。外川神社前である。この先で国道は左右に分かれるが右側が東海道であるがつい左側を行ってしまい、樹源寺など見られず失敗。国道から権太坂へ向かう。

境木投げ込み塚権太坂道標権太坂~焼餅坂
権太坂

 いよいよ東海道最初の難所といわれた権太坂に向かう。入り口に立ち見上げると別に普通の坂である。途中高速道を越え権太坂案内板を読み坂を上がると学校に突き当たる。左折して数十メートル行くと「投込塚之跡」がある。
投込塚之跡
 周りに庚申塔、慰霊塔などがある。坂途中で行き倒れた人たちを投げ込んだ跡です。

境木地蔵国境木標 境木地蔵堂
 坂突き当たりまで戻りそのまま進むとと境木地蔵堂へ至る。昔鎌倉腰越の海岸に流れ着いた像をお告げで江戸に運ぶ途中、この辺で動かなくなったのでここに祀ったという。
国境木標
 ここは武蔵国と、相模国の境界で境木という。この地は眺望がよく富士山がよく見えたらしいが現在ではマンションが並んでいる。またぼた餅が名物で両三家ありといわれるが現在はどうなっているかわからない。交通は結構多い。左折して品濃坂を下る。道は細くなり旧街道風になる。途中品濃一里塚がある。塚で先生引率で子供が遊んでおり写真を撮るのを遠慮した。

旧道歩道橋焼餅坂~戸塚駅
旧道の歩道橋

 旧街道らしい細い道を下っていく。右側は国道1号で車の騒音が聞こえる。マンションも建ち並んでいる。坂を下ってスグに大きな道路を横断する橋がある。とても街道とは思えないが手前の案内版に旧東海道と書いてある。これを行くしかない。渡り坂を下って行く。住宅地で道がわからないが、GPSをたよりに、又所々旧東海道の看板があった。a
突き当たると東戸塚駅の品濃口で右折して道なりに行き柏尾地区へ入る。不動坂の二又を左に行くのが旧道。手前に「益田家の大トチノキ」という大きな樹があった。

戸塚吉田橋吉田橋
   不動坂を上がっていって突き当たりを右折すると再び国道に出あう。ブリジストン、ダイエーを過ぎ、橋に出あう。ここが戸塚宿の入り口吉田橋である。欄干に案内図があった。しかし江戸見附跡の碑とか一里塚の碑があったらしいがすべて見過ごす。まあ次回来たときに見直すとしよう。戸塚駅で東海道二回目終了する。次回は戸塚から

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