14吉原宿から蒲原宿へ  歩行地図
 吉原本町-錦町-富安橋-本市場-富士川橋-岩淵-蒲原宿   11.3km
14吉原宿
 吉原宿は当初現在のJR吉原駅付近にあった(元吉原)。度々津波の被害を受け。ついに延宝8年(1680)8月6日の津波により壊滅的な被害を受け、内陸部の現在の吉原本町に移転した。宿は2年後の天和2年(1682)正式に成立している。またこのため、海沿いを通っていた東海道は吉原宿の手前で北側の内陸部に大きく湾曲して進むことになった。現在では製紙との町富士市の中心街として賑わう。
本陣2 脇本陣3 旅籠60

 2007年8月22日の続き
■元吉原~吉原本町
 JR吉原駅の踏切を渡る。新幹線の高架下をくぐり抜けた先を再び右手に入って行く。
●左富士神社  
 左富士神社北側に一里塚があったという、わからなかった。
●名勝「左富士」の碑
 この辺りは道中でも「左富士」が見える場所で有名だった所。広重の吉原の絵はここの左富士が描かれている。今日一日富士は見えなかったし、この場所は工場街で言うまでもなく見ることはできない。ただ一本の松がぽつんと立っているだけ。17:45

●平家越碑
 平家越橋」の袂に「平家越碑」がある。
時は治承4年(1180)、川原に源平の両軍が対峙。夜半、源氏の軍が動くと、水鳥が一斉に飛び立った。これに驚いた平家軍、我先に遁走する。「源平富士川の合戦」が行われた場所がこの辺りだと言われている。事実かどうかは疑わしいと思う。橋の所に平家越碑や道標など様々な石碑がまとめられている。17:55


●吉原本町
  18:00
 平家越橋を越えてしばらく行けば、元吉原から移転してきた新吉原宿へ到着する。吉原一丁目付近がその吉原宿の入口だった。宿場は手前から東本町、本町、西本町と並んでいて、中心は本町付近にあったようだ。暗くなりこれ以上は無理●天皇ご休憩所碑
  明治元年、明治天皇が江戸へ来る際に休憩した場所。当時の高砂館跡。23日の朝撮ったもの

●鯛屋旅館  18:20
 本日宿泊した旅館で、なんと吉原宿の時代からこの場所で延々と営業している老舗旅館。創業天和2年(1682)年というからすごい。清水次郎長、山岡鉄舟の常宿として知られている。宿泊代が5500円程度で泊まることができる。おまけに温泉もある。  
 2007年8月23日
  雨がち
■吉原本町~錦町
●「妙祥寺」の道標
  8:20
 旧道は鯛屋旅館を越えた先の本町二丁目を左折し、正面に見える「妙祥寺」の道標がある所で右折して行く。

 ■錦町~富安橋
右折すると小潤川を越えて国道139号線にぶつかる。●旧道は富士市役所を斜めに横切るような道筋になっていたようだ。振り返ると見事な富士山が見えるらしけど本日は曇りで見えず。3日間全然見えなかった。潤井川橋が見えてくるが、旧道はこの橋では無く、手前から入っていく「富安橋」である。
●三度橋(富安橋) 9:00
 この橋のことを当時は「三度橋」と呼んでいた。名前は京、大坂と江戸の間を月に三度往復していた定期飛脚の利便をはかるため、ここに橋が架けられた所からに由来する。

■富安橋~本市場
●富安橋・道祖神
 左手橋詰には道祖神がポツンと残されていて、旅人を見送ってくれている。
●鶴芝の碑  9:20
 県富士総合庁舎を過ぎた先にある碑で、文政三年(1820年)、間の宿本市場の鶴の茶屋に建てられたもの。当時ここからの富士を眺めると、中腹に一羽の鶴が舞って居るように見えたので、京都の画家蘆州(ろしゅう)が鶴を書き、これに江戸の学者亀田鵬斉(ほうさい)が詩を添え、石碑としたとのこと。

■本市場~富士川
●本市場一里塚

 鶴芝の碑の先で旧道はバイパスによって寸断されていて、ここを正面突破して向かい側に入る。製紙工場の裏手に本市場一里塚碑があった。
●道標と常夜燈  10:00
 札の辻などを眺め、どんどんと歩き、身延線を越える。左東海道の道標と秋葉山常夜燈がある。この常夜燈は慶応元年に建立された古いもの。右には「左東海道」と刻まれた道標の石碑がある。右とはおかしいが京都から来ると右側が江戸方面になる為かと理解した

●富士川の水神社
 富士川に出てきた。右側に水神社があり、脇から川岸に出られるようになっている。大きな溶岩や岩が横たわっていて気持ちよい物でなく早々に戻った。神社境内には常夜燈」や「富士山道標」、それに「富士川渡船場跡碑」などが残っている。
●富士川渡し舟跡
 江戸時代、冨士川は当時の岩本村と岩淵村の間を船で渡った。富士川は当時街道一の急流であったが大井川のように人足ではなく渡船を用いたが、川留めもあった。

■富士川~岩淵
●河岸段丘の中の旧道
 10:50
 橋を歩いて対岸に渡る。高度恐怖症の気味があって橋を歩いて渡るのは苦手なので真っ直ぐ前を見てうつむき加減で歩いた。対岸は間宿岩淵で常夜燈など確認。旧道は山の方へ行くのだけど道がわからず、横に富士町郷土資料館というのがあったので道を聞こうと寄ったら、これが開いておらず仕方なく、脇の階段を上ると常夜燈があり、東海道ルネッサンス道標もある道を南下していく。見事に岩淵宿を通過していた。相当上に上がって来たけど、ここまで川の水が来たことがあったというから、昔の川はすごい。
●新豊院門前
  ここでは富士山の湧き水が自由に汲めるようになっているというので、寄ってみると。、常夜燈の隣に井戸ではなく蛇口があった。飲んではみなかった。10:55

●岩淵の一里塚
  街道の両側に、昔のままの形で、も残されている。一里塚跡の先で旧道はクランク状に曲がっているが、正面に見える茅葺き屋根の建物は「富士川町の民俗資料館」である。先を急ぐので寄らなかった。その先中部電力営業所を目標に右折するのだが、何の案内もないので事前に調べとかないとわからないでしょう。やがて名高速道路の高架をくぐる。正面に道標群がある。

■岩淵~蒲原
●野田山不動の道標群
 11:15
 ここは特に案内がないので、何の道標かわからなかった。東京三田講と彫られているので、そう古い物ではなさそうだが。(・・野田山(標高470m)は古来より霊地として知られ、大正15年には真言宗寺院が建立されましたが、昭和28年12月火災により一山ことごとく消失してしまいました。・・・富士川町のHPのより)・・このことだと思う。
●馬頭観音
 この付近は「小池ケ淵」と呼ばれていた場所で、次のような伝説が残っているという。? 昔の富士川はこの辺りまで流れていた時期があり、付近には「小池ケ淵」と呼ばれる底無し沼があったという(誰でも歩ける東海道)

 さらに進むと、東名高速道路沿いとなる。この東名高速道路の上に掛かった、新坂橋を渡り、坂を下り、左手に光蓮寺を見て突き当たりを右折する。この道が旧東海道である。右折するとすぐ左手に蒲原の一里塚跡がある。民家のものでしょうか鳥居があり、碑が立っている。その先が蒲原宿東木戸跡になります。11:45

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