40鳴海宿から宮宿へ  歩行地図
 平部北−本町−作町−三王山−笠寺−呼続−山崎−宮  7.3q
40鳴海宿
有松とともに、絞りで知られた鳴海は古くは成海とも書き、「鳴海潟」の名に由来がある。現在では名古屋市緑区に属し、海は遠く離れてしまった。鎌倉時代は鎌倉街道が通り、戦国時代は織田・今川両勢力の接触地点で、鳴海城が設けられた。江戸時代から始まった木綿の鳴海絞は東海街道の名産品として人気をはくし、現在も伝統産業として続いている。
 本陣:1、脇本陣2:、旅籠68

 2008年8月3日 池鯉鮒宿の続き
■平部北交差点〜本町
 「平部北」交差点角には文化三年建立の大きな●常夜燈が建っている。●町並みは細く、有松と同じような旧宿場の雰囲気が残っているが、人出がぐっと少なく地味な感じはする。しばらく行くと左手に「飛脚と旅装の女性」が刻まれた石碑がある。何の意味があるのかよくわからぬ。やがて「中島橋」に出る。鳴海のある場所は「尾張の東の入口」に当たっており、戦略上とても重要だったので、戦国時代には「信長」の築いた「砦」が何箇所も設けられていたという。 13:10

●瑞泉寺
 中島橋を渡って宿場に入って行くと、すぐ右手に「瑞泉寺」という寺がある。1404(応永11)年鳴海城主安原宗範の創建によるもの。ここの●山門は宇治の黄檗宗総本山、万福寺総門を模したもので、県の文化財にも指定されている。屋根の両側に乗っているのは鯱ではなく、「摩伽羅」という伝説上の生き物で、ガンジス川に生息するワニだそうです。・・・万福寺HPによる  13:15

■本町〜作町
  瑞泉寺の先で枡形の様に●カクっと曲がって、その先の●「緑生涯学習センター」は昔の「東の問屋場跡」という。 すでに「問屋場跡」の石碑などはなにもない。この問屋場先が鳴海宿では最も賑わっていた中心部であった、「本町」交差点です。この本町交差点を渡って右に少し歩いた所には「誓願寺」と言う寺があるが、ここには●「芭蕉供養塔」がある。供養塔は芭蕉35日法要で建立された、芭蕉供養塔の中では最古の物と伝わっていている。  13:30

■作町〜三王山
 作町」交差点で右折し、東福院の入口を越えると「三皿」の交差点になるが、当時はこの交差点の左手、現在のオートバックス辺りに「西の問屋場」があったという。さらに三皿交差点を越えて右手奥の方に「●成海神社」がある。日本武尊、宮簀媛命を祀る。

■天白川〜笠寺一里塚
●丹下町の常夜塔

 寛政4年(1792)宿の西入口に建てられたもの。ここで鳴海宿を出る。その先千句塚公園、千鳥塚など、暑くてうっかりして見逃してしまった。旧道は現在の「三王山交差点」を左折していて、しばらく歩くと●「天白川」を越える。天白橋を渡った旧道は「赤坪」交差点信号を越えると大きく右にカーブしていて、ちょうど先のほうに一里塚跡が見えてくる。 14:20 

■一里塚〜笠寺観音
 ●笠寺の一里塚
この一里塚は「笠寺の一里塚」という。 名古屋市内では笠寺一里塚のみが現存しているとのことです。東塚だけが残っているようですが、榎木が今見事な枝振りを見せている。
 一里塚跡を越えて緩い上りぎみの旧道を歩いて行くと、まもなくで右手に見えてくるのが「笠寺」

14:35

●笠寺観音〜呼続
 ●笠寺観音
 起源は天平八年(736)流れてきた木を刻んで、十一面観音を祀ったことによる。その後笠寺には伝説が残っており・・両親を殺されて下女になっていた、あわれな娘が,野で雨に濡れている観音をみつけ,自分の笠をかぶせた。それを見ていた藤原兼平が一目惚れしてその娘を妻とし、玉照姫と呼ばれた・・・という。9世紀頃のお話。 ●山門から入ると、地蔵堂、薬師堂、護摩堂、祖師堂、●多宝塔など古い建物がたくさん並んでいる。  14:45

 ■呼続〜伝馬町
笠寺を出ると参道があり、県道を横切り、名鉄の線路を過ぎる。右折して行くと、名古屋市南区呼続(よびつき)という所に入る。しばらく行った、富部神社入口に、「東海道制定400年記念碑」が建つ。北上して「呼続小前」交差点を過ぎた、右手に●「熊野三社」がある。ここの●社殿は古色蒼然としており、風格を感じる。又呼続の西側は昔は「磯」が続き、「あゆち潟」と呼び、「愛知県」の名はそれに由来するという。その後山崎川を渡ってすぐに左折後、西へ向かって歩くと・・  15:10

 ●国道の大きな高架橋にぶつかり、とても横断が無理なので、歩道橋で向かい側に渡る。 横断して国道1号線に沿って、しばらく行き。JR東海道線の踏切を越える。さらに「熱田橋」を渡り、名鉄のガードを潜った所に、●「歴史のまち 宮地区」という案内板が立ち、宮宿へ入って行く。またここらあたりに一里塚もあったという。
次に宮宿へ続く。
15:45

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