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 53 大津宿から京都三条   歩行地図
 京町-札の辻-逢坂-追分-御料-蹴上-東山-三条大橋  12.1km 

 53 大津宿
 大津は歴史が古く、天智天皇が大津京を開き、壬申の乱の舞台となった。その後、琵琶湖湖岸に開けた商業地として発展を遂げ、「東海道」、「中山道」、「北陸道」の宿駅とも重なっていて、さらに琵琶湖の港町、三井寺の門前町などの性格も合わせ持っていて、多くの人々が集まってきて繁栄した。
本陣2  脇本陣1  旅籠72

2009年1月12日草津宿よりの続き10:00
■京町4丁目~札の辻
 ●宿の町並
 宿の入口は現在の京町4丁目付近から始まる。いうまでもなく完全に市街地化しているが、それでも旧道は細い道が続き、今も古い家が見られる。京町3丁目、2丁目、1丁目と続いて、2丁目あたりが最も旅籠屋が多かった所といわれ、旧家が所々散見される。
 宿へ入ってすぐに左側に●滋賀県庁が見える。何となく歴史を感じさせるような風格がある。

●「露国皇太子遭難地の碑」
 しばらく行くと、左手に碑がある。この碑は明治24年5月11日ロシアの皇太子が来日の折り,警備の巡査「津田三蔵」に斬りつけられるという事件(大津事件)があった場所である。その後の司法の独立を確立し、三権分立の意識を広めたという重要な事件となった。
 真っ直ぐ進むと交差点にぶつかり●「札の辻」という。直角に左折するのが旧東海道だが、そのまま西に直進していく道が「小関越」といい、「逢坂の関」を通らないで京へ行ける抜道となっていた。

札の辻~本陣跡
 左折した道は、京阪電車が●路面電車として走っている道で、、車道を走る光景を見ること出来る。この電車は途中から道路から別れて右へ入っていってしまう。
 電車が曲がる左側の「労働基準署」隣には●「明治天皇聖蹟碑」がある。 この碑がある場所が昔の「大津本陣」のあった跡で、何もないが「八町通り」の由来碑があって、この付近には本陣を初め多くの旅籠屋が連なっていたとの説明がある。10:25

■本陣跡~猿丸神社(下社)
 JRの陸橋を越えると●「関蝉丸神社(下社)」が見えてくる。 鳥居の手前の京阪線の踏切を渡って入る。「蝉丸」とは、「小倉百人一首」の「これやこの行くも帰るも別れつつしるもしらぬもあふさかの関」という歌で有名な人物であるが、素性はよくわかっていない。盲目で琵琶の名手であったといわれ、音曲・芸能の祖とされて碑も建っている。蝉丸を祀った神社は何故か、この先にも上社、分社と三カ所も並んでいる。ここは元々が「せきのしみず社」というらしく、石標もあり、拝殿の横には「時雨灯籠」と呼ばれる鎌倉時代の六角形の灯籠が建っている。10:50

■猿丸神社(下社猿丸神社(上社)
 神社を出て、京阪電車の踏切を渡る。歩道が電車側にしか付いていないので左側を歩いて行く。切通しの国道にやって来ると、突然みぞれ交じりの雪が降ってきた。線路沿いに続く国道を歩くとまもなく●名神高速道路が横切っている。その先の右手には●蝉丸神社の「上社」があるが、神社は長い階段を登った奥にある。手押し信号が階段前に付いているので押して渡った。ここはこれといって見所もなさそうなので早々に下りてきた。11:10

■猿丸神社(上社)~逢坂の関跡
 右手の歩道の上に●逢坂の関の碑と常夜燈が建っていた。京に近く交通の要所であったので不破関と鈴鹿関と共に三関の一つとして重要であった。
 ここから●旧道に右折して入って行く。 ちょうど入口付近には江戸時代から営業しているという「かねよ」と呼ばれているうなぎ屋がある。個室に入ると、庭園が見えて、百人一首に詠まれたさねかずら、逢坂の関の閂石(かんぬきいし)、車石など見物できて面白いらしい。もちろん入らずじまい。

逢坂の関跡~月心寺 
  かねよの先にはまた「蝉丸神社の分社」があるが、ここには昔の●「車石」跡が保存されている。車石とは石に溝を刻み、車輪用のレールの様なもので、 江戸時代、街道では車の使用が禁止されてが、唯一例外が京都周辺で牛車が使用されていた。牛車で京都大津間の峠を越えるのが困難で、車石を敷詰め、峠の通行に役立たせた。
 神社の先には「元祖走井餅」の碑もある。名物「走井餅」を売る茶店があった場所で、「走井」という井戸があって、餅と共においしいお茶を出したという。しかし「国道の先の「月心寺」には●「走井」と彫られた井戸もあって、こちらが本当の茶店跡らしい。
11:35

■月心寺~追分
 月心寺を出ると左手に小さな道標「右一里町 左大谷町」とあり、この付近に、一里塚があったという。国道を下って行くと、●名神高速道路の高架が見えてくる。くぐってすぐ「佛立寺」の裏を通っている旧道へ入って行く。  旧道を歩いて行くと、やがて道標が立つ分れ道に来て、ここが大坂との追分で●「髭茶屋追分」という。現在の滋賀県と京都府との県境にあたる。 左折すると「伏見方面」で、大坂まで「東海道五十七次」という場合がある。いずれ機会を見てここを歩き、大坂まで行くことにしたい。(2010.1.31大阪へ到達) 東海道は真っ直ぐ進む。
  京街道(東海道57次)はこちら

■追分~山科
 旧道を下りて行くと、右手に●「閑栖寺」があり、門前と、境内に車石が置いてあり、石の形態がよくわかる。
 このあたり街道の左半分を人馬用の敷き砂利道、右半分を車石を二条敷いて牛馬車用とした。また車道は一方通行になるので、午前午後で分けたようです。
  旧道を下りて行くと、国道にぶつかり、右側の歩道橋を渡り、大回りをして、対面の旧道へ向った。
12:05

 少し行ったところに●三井寺観音道と刻まれた道標がある。大津、札の辻から「小関越」をしてくるとここで合流する。道標を越えて行くと、ここより「京都市」の標識が見えてきて、ここでようやく京都へ入って来たわけだ。
 京阪電車の「四宮駅入口」を過ぎると、●「六角堂」が見えてくる。「六地蔵」ともいう。左手に井戸が残っていて、丸に通の印が入り、横に「京都、 大阪、 名古屋、 金沢、 奥州、上州牽領中」と書かれた珍しいもの。
12:20

■山科~天智天皇陵
 
JRと京阪の「山科駅」を右に見て西へ旧道を進む。少し歩くと、左手に史跡「五条別れ道標」が立つ。「右三條通、左ハ五条橋」と刻まれている。左へ行くと五条大橋へ出られるようだ。そのまま道なりに右へカーブして行くと、県道にぶつかり、右折してJR東海道線のガードをくぐる。
 右側に●天智天皇御陵入口がある。大化の改新を断行した、天皇は667年、近江に遷都して大津宮を作り、そしてこの地に葬られた。12:50 

天智天皇陵~日ノ岡
 次に国道の左側に木製の門があり、ここが旧道の入口かと思い、入ってみたが、GPSの線と食違い、あわてて元に戻った。左側へ入らなければいけないが、入口がわからず、うろうろして、GPSの縮尺を大きくして、●それらしき道を入って見た。そしたら民家の門前に「車石」が置いてあり、旧道の痕跡だと思い、この道で正しかった。ここは入口に標識がほしいところだ。旧道は●急坂となり細くなっている。京への最後の難所「日ノ岡峠」という。13:00

日ノ岡蹴上
 左側に●亀梅香庵(亀水不動)跡がある。峠の改修にあたった「木食上人」が道路管理と休息を兼ねた「木食寺梅香庵」を結び、井戸水使って人馬の喉の渇きを癒したという場所であった。
 こんな細い旧道も県道の抜け道なのか、車が沢山通るので、あぶなくてしょうがない。やがて●県道143号に合流してしまう。
13:15

■蹴上~三条大橋
  県道に出ると、あとは坂を下って三条大橋までは2キロほど。歩道をどんどんと下ると、大きく左へカーブしていて、左手には●「京都市蹴上浄水場」が見えてくる。ここは日本初の水力発電が行われた場所として有名で、右側には発電所もある。
 ●三条通りを歩いて行くと、京都も久しぶりなので「知恩院」やら行きたい所が沢山あるが、ひたすら大橋を目指す。今日は「成人の日」であり、若い人が多い。やがて「白川橋」を越えて、最終目的地の三條大橋に到着した。14:00

■京師
 広重の絵の後方の茶色の山は比叡山、手前は清水山で、その中腹に清水寺、といわれるので、広重は三条大橋を西岸上流から描いていることになる。三条大橋の橋脚は日本初の石造であるのに対し、絵では木製であるし、山の位置もおかしいので、実物を見ずに描いたと思われる。写真は東側下流から撮っている。

★三条大橋
 橋の手前にひれ伏す武士像は、御所を遙拝している●高山彦九郎像である。橋の向こうには●弥次喜多像が立つ。 
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 日本橋を出発して三條大橋まで、124里
29町(約496km)程。江戸時代の人々はだいたいこの距離を11泊12日で歩いていたという。私は五街道同時進行の為、足掛け3年、23日間掛ってしまいました。合計566kmになりますが、大きな寄道や、GPSの誤差があるので530km程度でしょうか。これで「甲州」「日光」と三街道終了しました。記念として自分の顔を撮ってもらったのでちょっと出すことにします。
    2009年1月12日14:00分「東海道53次」完了

52草津宿へ 東海道57次(京街道へ)