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 26 掛川宿から袋井宿へ  歩行地図
 七曲り-連雀町-十九首-大池橋-西掛川-原川-新屋 袋井  10.7k

26掛川宿
 山内一豊が改修して治めたことで知られる掛川城の城下町でもある。宿場よりも城下町としての性格のほうが強く、規律も厳しかったので「めしもり、遊女なし」といわれ、旅籠も30軒と小さかった。旅人も堅い宿をきらって、さっさと通り過ぎたようである。
本陣2、脇本陣0、旅籠30

 2007年12月1日の続き。 14:25 
 ■新町・七曲~仁藤町
 宿場入口はバス停「新町」付近からで、左手に曲がると、先には城下町特有の桝形に曲げられた「七曲り」と呼ばれていた道筋が今も残っている。通りを左折してすぐ右折すると、正面には●常夜燈がある。この所で左折する。左手に「かねも」が見えた所で右折して行く。番号が振っているわけでもなく、案内もなにもないが、道なりに進んでいくことができる。

 右手に七曲りの案内板が出ている所からが、当時の宿場の入口で、ここには番所が設けられていた。入口付近で複雑に曲げられていたのは、敵の侵入を防いで守りやすくするための工夫で、江戸時代の城下町ではこのような作りが一般的だった。.七曲りを出た突き当たりに●掛川名物、葛製造本舗が雰囲気を残して建っていた。

 ■仁藤町~連雀町
 「新町」バス停から続く旧道に出て、左折すれば掛川宿の中心街だった「宿場通り」に出る。角に●土蔵作りの呉服店がある。宿場で賑わっていた大通りもシャッターが降りている店がちらほらあるなどいささか寂しい感じがする。右奥に「ヘンミイ」の墓がある「天然寺」に寄ってみたいが時間がなく断念。連雀町へ進む。  

 角の●掛川信用金庫の建物は城をまねた、城郭風建築で趣があって面白い。大手門の方へ右折していく。これまた城郭風のタワーがあって、これはなんだと思って、近づいたら、なんと●駐車場のタワーだった。さすが城下町で駐車場のタワーも趣あるように造られている。先は大手門、掛川城と続いている。掛川城もゆっくり見ることはできなかった。  14:30

■連雀町~仲町
 ●大手門

 大手門も復元されている。その北側には番所が移築されていた。山内一豊が中町に開かれた松尾口の大手筋を連雀町に移して大手郭を造り、その正門として設けたもの。
●掛川城
 掛川城は嘉永7年(1854)に起きた大地震によって、天守閣など大部分が損壊し、再建されることなく明治維新を迎えているが、平成6年4月に木造の本格的な城となって復元された。

 ■仲町~一九首
 仲町の交差点の●和風建築の清水銀行の壁には「乗馬姿の山内一豊と“の“その妻千代”が壁画に描かれていた
●「円満寺山門」
 その先の右側の円満寺の門は「蕗の門」と呼ばれ、掛川城の内堀に立っていたものを、明治時代に寺が買い受けた。移築の際柱を少し切り取ったので、高さが寸詰まりである。少し傾むいており痛みが出ている。14:45

 ■一九首~大池橋
 ●十九首塚
 宿を出ると細い道に変わり、「十九首塚」の矢印に従い右の路地行くと、東光寺に接した公園に、十九首塚」がまとめられている。平将門を討った藤原秀郷が将門をはじめ一門の家臣十九人の首を付近に埋葬したと言われる塚である。
 塚の前に面白いものがあった。●健康遊歩道といい、足裏健康法をヒントに突起のある板を並べて、この上を素足で歩けば健康に良いというもの。街道と関係ないが撮っておいた。こんなの初めて見る。
 15:00

 国道を500mほど西進して●大池橋を渡ったところは●行書版「東海道・掛川」に描かれているように、正面に青銅製の鳥居と常夜灯が建てられていて、火防の神として広く知られた秋葉山へ通じる街道の入口であった。・・・「秋葉山は、ここから西北へ9里余りの道のりです。常夜灯は、明和6年(1769)に、鳥居は安永9年(1780)に建てられたものです。この鳥居と常夜灯は、嘉永7年(1854)の大地震により倒壊しましたが、後に常夜灯も建て替えられ、鳥居も木造で建て替えられました」・・・。東海道は、鳥居の手前で左に折れます

■大池橋~領家
 大池橋を左折し、しばらく歩くと天竜浜名湖線の西掛川駅を抜けるが、ここは無人駅のようで、道からホームへ行けてしまう。市役所に近い場所だけど無人とはどうなっている?。「蓮祐寺」脇に●「大池一里塚跡」がある。その後国道高架を潜り向い側の旧道入り直す。
 垂木川」沿いを進む。中央高速を潜った先は●松並木の名残りと思える松も数本ある。そして善光寺橋を渡る。  15:35

●仲道寺
 橋を渡ったすぐ右手に仲道寺という寺がる。 仲道寺は東海道の江戸~京都間のちょうど真ん中に位置するといわれるお寺であると宣伝している。・・その昔江戸から京都までの道を測量した所、この寺が丁度東海道の真中で仲道寺と寺号がついたと言われております・・ですと。
 この先から始まる松並木は掛川市岡津から原川にかけて続く

■領家~袋井東小
 ●原川の松並木

 松並木が続く、旧道らしい風景である。・・・「松並木は江戸時代に整備されたもので、近年松食い虫により枯れ、この区間にわずかに残るのみ」・・・
●可睡斎への道標  16:25
 同心橋を渡った左脇に大きな道標が見られる。「遠州三山」の一つである「可睡斎」を示す大きな道標で「従是東海道御本躰可睡三尺坊大権現」と書かれている。 遠州三山とは掛川、袋井にかけて存在する寺の総称で、「医王山油山寺」「万松山可睡斎」「法多山尊永寺」の三寺を指す。 江戸時代にはかなりの信仰を集めていた。ここから先に三山への道標があちこちに見られる。

 大和ハウスの工場の裏を進んでいく。右に鮮やかな●朱塗りの鳥居が見られる。「 富士浅間宮」の石碑があり、北方にある富士浅間宮の鳥居がこんな所に立っている。4時半を過ぎ、段々暗くなってきて写真を撮るのが難しくなってきた。
●妙日寺
 ここは「日蓮上人の両親」の墓所として知られている。両親の墓は一番奥のほうにあるというが、訪れるのは遅いので遠慮した。写真は相当明るく修正してある。  16:50

■袋井東小~東新屋
 ●久津部一里塚
  17:00
 ・・・「江戸からちょうど60里にあたり、明治時代までは老松が立っていました。現在は街道両側の塚とも残っていませんが、現在地付近がその跡といわれています」・・・。袋井東小学校の校門には、「東海道五十三次 どまん中 東小学校」という大きな木製の高札がかかっていたが、暗くなって全く写真が撮れなかった。その後七ツ森神社を過ぎ、新屋交差点から袋井宿へ入って行くのですが、全く暗くなってしまい、街路灯もも少なく、色々見るべきものもあったようだけど通過するしかなかった。袋井市街に入り、宿泊「プリンセスホテル」というホテルでした。17:30 今日も30kmを越え、欲張り過ぎた日程でした。。

25掛川宿 27袋井宿