10箱根宿から三島宿へ   歩行地図
 元箱根−関所跡−箱根峠−接待茶屋−山中新田−笹原新田−初音−三島宿  15km  
10箱根宿
 小田原、三島間はいわゆる箱根八里、30kmほどあり、箱根山を越し、1日の行程では歩くのは困難で、元和四年(1618)西国大名の要請により、小田原と三島から50軒ずつ移転させ宿場を形成した。
本陣6、脇本陣1 旅籠36

2007年6月10日。10時10分元箱根着
 朝、晴れていたので家を出たものの、湯本からバスに乗り、元箱根に着いたときはザーザー降り。本日は三島までで、石畳道は滑るなと思いつつ、レインコートを着、傘を差し杉並木から歩き始めた。
■元箱根〜関所跡
●杉並木

 元和4年(1618)川越藩主松平正綱により植えられたもの。平均樹齢は390年近くにもなる。普通なら松並木になるところ、高地で松が育たなかったため、杉になったといわれる。雨のため、賽の河原、や本陣跡の箱根ホテル前の楓の木などは見ずに過ぎてしまった。傘を差しながらの片手カメラ撮影でブレてしまって何枚かだめになった。
●箱根関所
 入り鉄砲に出女の取り締まりがきびしく、特に女性は身体検査をきらって、手前の大磯から甲州街道へ回って山中湖から三島へ出たという話が「きよのさんと歩く江戸六百里」という本に出ていた。関所の建物が復元されており、資料館には手形などが展示されている。 10:45

■関所跡〜箱根峠
●駒形神社

 関所を出ると国道と分かれて、芦川交差点を右に曲がっていく。途中左手にひなびた神社がある。箱根七福神の一つで毘沙門天を祀る。箱根大名行列はここから出発するそうだ。
●旧街道入口石仏群
 芦ノ湖西遊歩道の看板のある場所の左手が旧道の入口で、入口の右側に石仏が並べてある. 芦川の石仏群というらしいが、雨でほとんど見られず通り過ぎた。  11:10

●向坂の石畳道
  箱根までの石畳道もそうだけど、やたらごつごつしていて、角が丸いため滑ること。雨で一層滑る。縁の落ち葉の所を通って行く。小さなトンネルをくぐり抜け階段を上がるとひょいと国道に出る。事前の地図では国道を横断してゴルフ場方向へ向かう旧道があるはずだが見あたらないので、国道沿いに峠へ向かう。もしかするとゴルフ場入口を入るとあるのかもしれない●箱根峠 ここからいよいよ静岡県側になる。ドライブインやガソリンスタンドがある。食事するにはちょい早く、信号を待っていたら左角に案内板を見つけた。
●箱根の親知らず(脚気地蔵
  昔、大阪の呉服問屋のひとり息子が、身を持ちし、出奔してしまった。父親は息子を探す旅に出、この峠にさしかかると持病の脚気が急に起き、路ばたに倒れてしまった。通りかかった若いかご屋が、介抱を、よそおい短刀で突き刺し殺して財布を奪いとろうとした。しかし顔をよくみると、わが父ではないか、さすがの悪党も顔面蒼白となり、自害を企てたが死にきれず、山中の宿までたどりつき、相果てたと伝えられる。」とあります。11:35

■箱根峠〜接待茶屋
●茨ヶ平入口

  峠をすぎ、芦ノ湖カントリークラブの方向へ行くと、左手に案内板が立っている。また旧道の入り口となっている。
●甲石坂の石畳道
    ここから甲石坂の下りとなり箱根西坂の始まりとなる。笹竹が生い茂り、胸のあたりに垂れ下がるのもあり、よけながら歩く。石畳は程よく、落ち葉が積み重なって、滑り止めになり具合がよい。依然、雨が落ちていて滑ることは滑るので用心しながら進む。一人しかいないので結構不気味。赤い色のカエルが飛び出してちとびっくり

■接待茶屋〜山中新田
●接待茶屋

  やがて国道にぶつかり、国道は左に大きく曲がっている。その右側に旧道入り口があり、すぐ右に接待茶屋の案内板が立っている。文政七年(1824)江戸商人の加勢屋與兵衛の寄付金により接待用の茶屋をもうけ、通行人に粥、馬に煮麦を供した。但し地図を見ると本当の茶屋跡は国道の向側らしく、車も来るので横断はせず、確認はしていない。案内板のある場所はただ草が生えているだけの所。
●兜石
  旧道を少し入った所にある、この石は兜を伏せた様な形をしていることから、かぶといしと言われている。また秀吉が小田原征伐の時、ここで休憩し、兜をこの石に置いたことからかぶと石と呼ばれるようになったとの説がある。もともと甲石坂にあったものを一号線の拡幅工事のためここに移された。この先石荒坂の標柱があり、石畳の下り坂となる。 12:10

 ■山中新田〜笹原新田
途中念仏石と呼ばれる大きな石がある。旅の途中で行き倒れた人を、山中城二ノ丸跡にある宗閑寺で供養して碑を建てたものと思われる。大枯木坂、小枯木坂と石畳道を過ぎる。やがてどういう訳か●民家の庭先に出てしまい、三島宿への案内板があるので道は間違いではないが、そこの犬に吠えられた。国道に出て少し行くと、●山中城跡へ行く表示板があり、階段で下りるようになっている。山中新田という所だ。ここらでやっと雨もやんできて太陽が出てきた。ここの石畳は平べったいせいか、雨のためかえって滑りやすい。が草が適当に繁茂し歩きやすくもある。杉並木も見事であった。

●雲助徳利の墓
  国道とぶつかる右側に雲助徳利の墓がある。杯と徳利が彫刻された墓標である。説明によると、元西国大名の剣術指南をしていた松谷久四郎が酒でしくじって国外追放となり、箱根で雲助仲間に入った。腕も立ち、読み書きもできて雲助仲間から親分の様に慕われていたとのこと。
●駒形諏訪神社
  この辺は間の宿の山中宿があった所で山中村の氏神であった。この社の左側に樹齢500〜600年と推定されているカシの大木がある。  13:25

●山中城跡
  神社の上部一帯が山中城跡で、山中城は石垣は無く、土塁で築かれていた。北条氏康が小田原城を防衛するために築いた城で、典型的な中世末期の山城である。しかし、秀吉による北条氏討伐の戦で、半日で落城してしまった。障子堀」というのが珍しい。国道に戻り「竹屋」というNHKの街道てくてく旅に掲載されているお茶屋さんでそばと暖かい団子を食す。
●柴切地蔵
  先に進み、右手の階段の上に社が立つ。・・その昔、山中村に巡礼姿の旅人が、急に腹痛を起こし、ここで亡くなった。死ぬ間際に「地蔵尊として祀って欲しい。故郷の常陸が見えるように芝塚を築いてほしい。そのお礼に、村人の健康を守ってあげる」と言い残した。村人は言われた通り地蔵尊を祀り、毎年供養するようになった。それに合わせて、「小麦まんじゅう」を作ったら、その味が評判になり、三島だけでなく沼津方面からも大勢の参拝人が来るようになった。さい銭と、まんじゅうの利益で、山中村の一年分の費用が賄えたといわれている。。

■笹原新田〜塚原
  国道を横切って、山中新田石畳や●上長坂道の階段を下りたりして進んでいく。さらに下ると、笹原新田と呼ばれるところに入る。ようやく石畳が乾いてきて滑りにくくなってきた。ガツガツと歩く。
●笹原の一里塚
  旧道の左手に日本橋より27番目の一里塚が片方だけ残されている。ここから、また国道を渡ると、次は急坂で知られたこわめし坂(下長坂)である。 14:25

●こわめし坂
  ここの坂が余りに急なため、背負っていたお米が、汗と熱でこわめし(おこわ)になったことから「こわめし坂」と呼ばれるようになった。なるほど相当な急坂で、現在は舗装されていてそう感じないが、昔は泥坂で滑るだろうし、きついには違いない。
    下りた所が三ツ谷新田で、晴れているのに又雨が落ちてきた。いかにも天気雨で箱根の地形と関係あるのかも。市山新田と続き、小学校の裏手から題目坂(法華坂)という坂を下りていく。塚原新田という所で国道に合流し、その先は国道に沿って石畳道が再現されている。●初音の旧道という。 15:35

■塚原〜三島大社
●錦田の一里塚
   旧道を少し行くと錦田の一里塚がある。車道の両側にきちんと残されている。ということは車道が旧道だったに違いない。車道になったため、その脇に石畳道が再現されたのだろうと思う。
●宝鏡寺
  旧道は国道から別れ、右手の坂道を下ることになる。JRの踏み切りを渡り、最後の坂道、今井坂を下る。大場川に掛かる新町橋の手前に宝鏡寺がある。足利第二代将軍足利義詮が建立した寺で、義詮と七代政知の墓がある。新町橋を越えた所が三島宿江戸方見付で宿の始まりとなる。  16:40

 本日はここまでで、沼津までと思っていたが、滑る石畳に時間を取られ無理でした。帰りは三島駅から5時30分発の新幹線で帰宅。歩行距離18.6kmほど   

9小田原宿  11三島宿