東  海  道








 TOP
日 本 橋    
品川宿
川崎宿
3 神奈川宿
保土ヶ谷宿
戸塚宿
藤沢宿
平塚宿
大磯宿
小田原宿
10 箱根宿
11三島宿
12沼津宿
13原 宿
14吉原宿
15蒲原宿
16由比l宿
17興津宿
18江尻宿
19府中宿
20丸子宿
21岡部宿
22藤枝宿
23島田宿
24金谷宿
25日坂宿
26掛川宿
27袋井宿
28見付宿
29浜松宿
30舞阪宿
31新居宿
32白須賀宿
33二川宿
34吉田宿
35御油宿
36赤坂宿
37藤川宿
38岡崎宿
39知立宿
40鳴海宿
41宮 宿
42桑名宿
43四日市宿
44石薬師宿
45庄野宿
46亀山宿
47関 宿
48坂下宿
49土山宿
50水口宿
51石部宿
52草津宿
53大津宿
  京都三条
(京街道) 
  山科追分
54伏見宿
55淀  宿
56枚方宿
57守口宿
  大  阪
 
 32 白須賀宿から二川宿へ  歩行地図
 元白須賀-潮見坂-白須賀宿-境宿-一里山-豊清-元屋敷-二川  8.1km

32白須賀宿
 遠江の国の西端の宿場である。元々は海岸近くにあったが、宝永4年(1707年)の大地震と津波により大きな被害を受けたため、その後潮見坂の上の高台にある現在地に移された。地名について「白菅」とも書き、須賀とは真砂の集まる所と言う意味。、東海道線からも国道からも離れた為、ひっそりとした家並みを残している。
本陣1 脇本陣1 旅籠27

2088年6月8日、新居宿から続く
■元白須賀から潮見坂

●元町界隈
 やがて元町に入るが、ここは元白須賀といった町。昔はここが白須賀の宿であって、宝永4年(1707)大洪水があり、宿が流されてしまったので、現在の高台の地へ移転してい行った。いまは静かな町で人通りもあまり見ない。両側に宿場だったような雰囲気のある、連子窓を備えた建物があちこち残る。しかし新居の駅からここまで食堂や喫茶店らしきものが1軒もないと思うが、どうだろう ひっそりすぎるのもなんだか・・・      10:10

●神明神社 
 きれいな神明式の神社。石柱、鳥居が古びて風格を感じる。普通の唐破風屋根の形式の神社はあんまり面白くない。神社はこれにかぎる。度重なる津波で古文書等が失われており創建は不明。祭神は天照皇大御神、天手力雄命、萬幡姫命。左隣には●大きな長屋門がある民家がある。長屋門を見るのは珍しい。10:20

●蔵法寺 
  由来は奈良時代にさかのぼるが、現在の寺は、慶長三年(1598)に曹洞宗の寺として開かれ、徳川家康より二十三石を賜ったという寺で、この近くで戦死した今川氏親(義元の父)の墓がある 。本尊は海から引き上げられた、高さ1尺9寸程の潮見観音と呼れる仏。境内にも同じ名前の観音がある。
●潮見坂
 右折するのが東海道。ここから500mほどの潮見坂を登っていく。かなりの急坂で遠州灘を背景に絶景で有名だったという。京からやって来た旅人はここで初めて富士山を見ることができたという。広重はこの潮見坂を描いている。現在は木が茂ったりしていて、あんまり絶景とは言い難かった。 10:45

●おんやど白須賀 
 坂を登りきった所にある。東海道400年を記念して開館した無料休憩所。休憩室の他に展示室があり白須賀宿に関する展示がされている。
●明治天皇御遺蹟地記念碑群
 明治天皇が行幸の際の休憩地を記念に建てられた明治天皇御聖跡碑や、白須賀出身の国学者夏目甕麿などの顕彰碑が建てられている。  11:00

■白須賀宿から境宿
 ●白須賀宿は明治の東海道本線敷設の際、潮見坂の勾配が蒸気機関車運転の障害となり、浜名湖沿岸の鷲津経由となったため、街の発展に遅れを取った。そのため、古い家が残り、旅人には風情のある落ち着いた景色に見える。
●曲尺手(かねんて)
 緩やかな下り坂から宿場に入って行くと、ちょうど曲がり口の正面に「曲尺手」の説明が見られる。 曲尺手とは宿場入口によく見られた形で、大名行列同士がかち合わないようにとわざと道を曲げて待機していた場所で、この先豊橋市にも同じ地名が残っている。 「おんどや」に掲示されている説明書
 11:07

 町中はあんまり人でもなく、ひっそりとしている。●連子窓を備えた家が結構多く残っている。曲尺手 跡を曲がった所は昔の「東町」で、ここから「伝馬町」 、 「西町」と続く、一九間程が白須賀宿の範囲であった。 昔の旅籠屋跡や商家跡には●屋号を記した看板があちこち掛けられている。このような旧屋号の看板はあちこちで目につく。少しでも保存の意識 があるのだろう。

●本陣・脇本陣跡
 東町から伝馬町に変わるとちょうど右手美容院前に「本陣跡」の碑が見られる。 当時の白須賀本陣は「大村庄左衛門」で、本陣の規模も建坪が183坪、畳敷231畳、板敷51畳と大きなものでした。 さらに本陣跡の先には●脇本陣跡碑、問屋場跡と並んでいて、この付近が最も賑わっていたことであろう。 11:15

 小さな交差点を越えると、角に白須賀宿が生んだ地元の偉人
●「夏目甕麻呂、加納諸平邸跡」
がある。 甕麻呂(みかまろ)は本居宣長の門下に入り、国学の普及に努めました。諸平は甕麿の長男で同じく国学者として名をなした。
●火防樹
 この先の両側に大きな槇の木が目に入ります。これは火防樹と呼ばれ、火事の延焼を食い止めるために植えられたもの。白須賀宿の民家は軒が連なり、延焼しやすい町並みだったそうです。

 ●庚申堂
 天和元年(1681年)に立山長老に建てら  れた。現在の建物は天保12年(1841年)  に再建されたもの。この地方にある庚申堂  の中では最も大きいといい、堂々たる鬼 瓦 が目を引きます。ただ本堂には倒壊しな い ようにつっかえ棒がしてある。境内には庚 申信仰による、●「見ざる、聞かざる、言わざる」 の3匹の猿の像がありますが、これは新しく造ったものでしょう。 11:20

 宿を出ると、●県道にぶつかり、その手前は境宿とよばれている。 境宿は字のとおりに「遠州」と「三河」の境付近にあり、元白須賀に宿場があった頃は間の宿として賑わっていた場所だった。また一般的には、この辺りに猿ヶ馬場といわれ、茶屋があって柏餅を出し白須賀の名物となっていた。
●境川
 愛知県と静岡県との境となっている川である。川といっても小川か用水程度の流れで、とても県境の川とは思えない。 11:40

■境川~二川
 境川を渡ると、●「愛知県、豊橋市」の看板が見えた。箱根峠から始まった、静岡県の旅も8日と半日かけてようやく歩き終えわけである。
 国道1号線にぶつかって、一里山交差点と呼ばれている所へ出る。この一里山の名は交差点を越えた右手に残っている●「一里塚跡」から命名されている。 現在も昔の塚らしいこんもりとした形が残っているが、ここの一里塚は「下細谷の一里塚」または「一里山の一里塚」と呼ばれ、日本橋から数えると71番目のものだった。  11:50

 この先は国道1号線で、車の騒音の中を歩くことになった。昔は小松の原が続いていて、家は1軒もなかったと言われているが、もちろん様子はかなり変わってしまっている。それでも両側は●ネギ畑が広がっているし、奥に大きな工場が散在するだけで、面白くもない国道を結構長く歩き続けた。 やがて左手に「神鋼電気」の大きな工場を見て、●新幹線のガードを潜る。  12:35

高架下をくぐると●「筋違橋」と呼ばれる小さな橋が見え、この橋を渡る。 橋を渡り、JR東海道線の線路も越える。この踏切を越えて左手に曲がれば、二川宿入口に到着する。入口右側の大きな建物は二川宿の案内所となっている●「川口屋」です。ここで宿の資料を仕入れよう。12:40   
  二川宿に続く

31新居宿 33二川宿へ