44 石薬師宿から庄野宿   歩行地図
 地蔵前-本陣前-佐々木信綱記念館-石薬師寺-一里塚-庄野(加佐登駅) 3.9km
44 石薬師宿
 宿外れにある、石薬師寺の門前町として発展し、元和2年(1616)に正式な宿場に指定された。位置的には中途半端で、手前に商業地の四日市宿、先に鈴鹿峠を控えた関宿があり、次の庄野宿と同様に宿場としては大きくならなかった。しかし門前町としては結構人は多かったといわれる。
本陣3 脇本陣0 旅籠15

2008年11月9日 四日市宿より続く 15:55
■石薬師町~本陣前
 国道1号線から右手の石薬師宿に入る入口、左手に●「東海道 石薬師宿」と書かれた石標が立っている。隣に●「北町の地蔵堂」がある。「石薬師宿の入口に旅の安全のために誰かが建てたのだろう。」と書かれた「石薬師魅力再発見委員会」の案内板がある。宿の案内図も立っている。

 ●石薬師宿の町並み
 町並みは、日曜日のこともあって、静かで人の気配もないが、「信綱 かるた道」といって、この宿の出身で有名な佐佐木信綱の歌碑が宿内いたる所に建てられていのが一番の特徴となっている。
 すぐの民家の塀に陶器で作った「江戸時代の軒並図」というのもある。
 宿の中程の右手にかなり立派な旧家の●「小沢本陣阯」が建つ。この宿は「小沢家」が勤めた。建物は明治に建て替えられたものだが、貴重な文書も多く残り、元禄の宿帳には赤穂の城主浅野内匠頭の名も見える。国学者萱生由章(1717~75)もこの家の出であるとのこと。16:05

■本陣前~佐々木信綱記念館
 宿の中央辺り、石薬師小学校の前の隣に、歌人の●佐々木信綱の生家がある。 信綱は歌人であり、国文学者としても有名で、文化勲章も受章している。右隣は●「石薬師文庫」で、翁が還暦のとき石薬師文庫として村に寄贈されたもので、現在も図書館として利用されている。「信綱資料館」の前に「うの花」が植わっており、これは唱歌「・・・夏は来ぬ・・・」に由来するもの。

■佐々木信綱記念館~石薬師寺
 左手の●浄福寺は佐々木家の菩提寺で、開基は室町年間。境内に「佐々木弘綱」(信綱の父)の碑もある。
 薄暗くなってきたので、先を急ぎ、●瑠璃光橋という橋を渡る。金色の擬宝珠と薄いブルーの欄干が付いた橋は印象的。橋の下は国道1号線が走る。16:15

■石薬師寺~一里塚
 橋を渡ってすぐ、右手に●石薬師寺の裏門があった。奈良時代の神亀年間(726)、高僧泰澄大徳が、森の中に霊光を放つ巨石を認めて堂宇を建て、その後弘仁3年、弘法大師が薬師尊像を彫刻し、開基した。ひっそりとして、誰もおらず、●本堂前には、ただろうそく台に1本火が入っているのみであったので1本手向けてきた。狭い境内には、、13重の塔、常夜燈、弘法大師像、芭蕉句碑などが立ち並ぶ。16:20

 寺を出て、すぐに左折した所に●「蒲冠者範頼之社」という神社がある。源範頼を祀った神社である。案内板によると、蒲冠者範頼を祭った神社で、範頼は源頼朝の弟であるが、武道、学問にすぐれていたので、それらの願望成就の神様といわれている。昔は弓矢を奉納し、文武の向上を祈願する慣わしがあった。境内の左側には神馬(模型)とそのきゅう舎が寄進されている・・・。
 そのまま南へちょっと行った所に●「石薬師寺の蒲ザクラ」という桜の木がある。この木は「ヤマザクラ」の1変種として珍しいもので、伝説では、寿永(1182~)の頃、範頼が戦運を占うために、鞭にしていた桜の枝を地面に逆さに刺したところ、そこから芽が出て生長したと伝わる。16:30

■一里塚~加佐登駅
 さて宿を出て蒲川に架かる「蒲川橋」を渡る。渡ったすぐ左側に●「石薬師の一里塚」がある。碑と常夜燈が建つ。旧東海道はこの先JRや道路が造られた為、分断されてわからなくなっている。一応ここは、一里塚を過ぎて、まっすぐ行き国道の下をくぐり、国道沿いに行き、JR関西本線の無人踏切を通り、国道1号線へ出た。そして国道を歩き、「加佐登駅」へ向かった。今日の宿は加佐登付近に宿はなく、「亀山駅」へ電車で行き、駅前の「亀山第一ホテル」に泊まった。本日は32km程度の歩きになりました。16:50

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