42桑名宿から四日市宿へ   歩行地図
 七里の渡し−矢田−町屋橋−朝日町−富田町−八田−三ツ谷町−三滝橋  (14.5q)
42 桑名宿
 宮宿の対岸で伊勢参りの玄関口でもあり、旅人で大いに賑わった。徳川四天王の本多家のほか、徳川有力の大名が君臨した桑名藩の城下町でもある。歴史は古く、壬申の乱に桑名郡家の名が出てくる。しかし江戸時代二度の大火に見舞われ、城下町のほとんどを焼失している。さらに明治維新に徳川方につき、敗戦により桑名城も破壊されつくし、昭和34年の伊勢湾台風により被害を受けた。七里の航路も埋め立てられ、往時の面影はほとんどなくなった。
本陣2 脇本陣4 旅籠120

2008年11月9日。東京より夜行バスで名古屋5時45分着。どこも店が開いておらず、6時15分近鉄線で出発して桑名着が6時40分。JR関西線は6時台2本しかなかった。さすがに近鉄の方が発達している。
 ■桑名駅前〜七里の渡し跡
 桑名駅前も閑散としたもので、7時まで待って、ダスキンドーナツにありつきました。そして八間通りを東へ七里の渡し跡へ歩き出す。途中左手に大きな看板が立っていた。海蔵寺というお寺で、境内に●薩摩義士墓所があった。宝暦3年幕府から木曽、揖斐、長良川の治水工事を命ぜられた薩摩藩が工事を完成させるも、大幅な予算超過と多数の藩士を失った責任を負い、奉行平田靱負が切腹し、その墓碑を中心に24義士の墓があります。故郷で死ねなかった藩士の無念が偲ばれます。しかし近代治水工事の先駆けとなった工事と評価されている。 7:45

 「七里の渡し跡」の手前に料亭●「船津屋」がある。かっての大塚本陣の跡である。ここは格式の高い本陣で、川から直接船が着けられたという。また泉鏡花の小説「歌行燈」の舞台ともなっている。塀を窪ませて久保田万太郎の句碑が(歌行灯句碑) 建っている。隣りの料理屋●「山月」は駿河屋脇本陣跡である。
7:55

■七里の渡し跡〜 九華公園
 道なりに行くと左手に「七里の渡し」を特徴づける●伊勢神宮一の鳥居が見えてくる。この鳥居は天明年間に伊勢参りの第一歩にふさわしくと建てられた。隣に建つ常夜燈は鍛治町の七ツ屋橋の近くにあった多度神社常夜燈を移設したものであるという。このあたりは伊勢湾台風でほどんどやられて、護岸工事で川は見えない。土手に上がって揖斐川見てみる。町並みは旧道の幅が残っているようで、道は茶色に舗装され、「問屋場跡」などの案内表示もされている。道に「通り井戸」の標石が埋め込まれていて、町屋川から引いて水道にした跡という。今回は、国道などを除いて水口の方までずっとこの幅の道を歩くことになった。 8:10

 ■九華公園〜京町見付跡
 広重の絵にも描かれた桑名城は、九華公園になっている。入口に江戸時代、初代城主の●本多忠勝の銅像が建つ。2代目忠政が姫路に転封の後は、松平定信などが治めた後、戊申戦争に敗れ、城は破客されてしまった。今は石垣などが残るだけ。扇橋横に城の絵図が立っている。
8:20

 公園から旧道へ戻ると春日神社の●青銅鳥居が建つ。「伊勢の桑名に過ぎたるものは銅の鳥居に二朱女郎」と唄われただけあって風格を感じる。寛文7年(1667)城主松平定重が鋳物師に造らせたもの。これも伊勢湾台風で倒れ、再建された。桑名は鋳物が盛んであった。●楼門は堂々としたものだ。鳥居の横には、「しるべ石が立っている。迷子などを捜すための紙を貼る掲示板のような石標であって、東京の常盤橋脇にもあった。左手の堀の傍らに「歴史を語る公園」があり、ミニ東海道などが整備されている。堀の対岸には、城の石垣がそのまま残っている。この先は城下町らしく七曲りのようにギザギザに曲がって進むようになる。 8:25

■京町公園〜日進小交差点
 南大手町橋袂から右折をして行くと、右手に「石取り」会館というものがあり、大通りを左折した所には桑名市博物館がある。脇に指さしをしている、変った道標が立っている。直進すると京橋公園があり、ここは京町見附跡であった。●「桑名市制施行時市役所跡」という碑が立っていて見付跡碑は見つからなかった。左折した吉津屋町は仏具屋が多い。右手には吉津屋見附跡の案内板が立っている。ここには枡形の跡が残っていて、右往左往して曲って行く。新町に入ると寺が並んでいて、十念寺には森陳明の墓」がある。戊辰戦争での桑名藩の敗戦の全責任を負って切腹した人物。先に進むと東海道は広い道路に合流するが、このあたり●七曲りの見付跡という。 が、碑らしきものはなかった。 9:10

■日進小交差点〜矢田町
 交差点を右折すると、右手に「広瀬鋳物工場跡」の説明がある。本多忠勝が城建設のため、広瀬氏を招いてここに鋳物工場を与えたという。現在は個人宅になっている。右手に●天武天皇社がある。壬申の乱の際大海人皇子臨時の宮をここに置かれたのに由来している神社だという。ななめ左手の「本願寺」には●「梅花仏鏡塔」と呼ばれているお墓がある。芭蕉の有名な高弟の「各務支考」の墓で、墓の上部は円形の石で「梅花佛」と刻まれた珍しい形をしている。右手に「左東海道 渡船場道」「右西京 伊勢道」と書かれた道標がある。右手に店内に梵鐘が置かれている珍しい店がある。9:20

■矢田町〜町屋橋
●「矢田立場」

 矢田町に入り、突き当たりを左折するが、その角に「櫓」が再現されていて説明がある。左折すると右手に「日立金属」の大きな工場が見えてきて、ここは昔●「江場松原」といって。ここから先の「安永」にかけての350メートルぐらい両側に家はなく、松並木が続いていた場所だったという。今は松もなくなり、静かな住宅街に変わっている。

■町屋橋〜近鉄「伊勢朝日駅
 大きな道を横断した先には古い家も残っていて、やがて町屋川北詰へやって来る。右側には立派な「常夜燈」と「道標」が建つ。 ここの常夜燈は●「伊勢両宮の常夜燈」と呼ばれ、文政元年(1818)に「伊勢神宮祈願」のために桑名、岐阜の材木商の寄進によるもの。江戸時代はこのあたりに「町屋川橋」が架けられ、また舟遊びの船着き場もあったので、大いに賑わったという。現在は●新しい橋を渡るしかないので、迂回して渡る。10:00

近鉄「伊勢朝日駅」〜朝明橋
 町屋川を渡って少し右へ行き、旧道に入った所は「縄生」と呼ばれている。左手に一里塚の碑が立っている。伊勢朝日駅」前で踏切を渡るが左手に●大きな榎と案内板がある。元は東海道の並木として植えられたが、松と違って「雑木に類するもの」だったので残ったそうだ。
●橘守部誕生地遺跡
 橘守部(1781〜1849)は、江戸時代後期に活躍した国学者で、ほとんど独学で国学を学び、独自の学説を展開した守部は異色の存在であり、平田篤胤、香川景樹、伴信友とともに天保の国学四大家に数えられています。・・・  10:30

 すぐ先の右側に●浄泉坊というお寺がある。 徳川家に縁のある桑名藩の奥方の菩提寺であったため、山門や瓦に徳川家の定紋、三つ葉葵の紋が入っており、参勤交代で表を通る大名もこの門前で駕籠から降りて一礼をしたと伝えられている。
 国道1号の手前の右側土手の脇に●多賀大社の常夜燈がある。昭和41年の建立で、誰が建てたかよくわからないが、新しいものだった。 
10:50

■朝明橋〜富田町
 朝明川」を渡る。四日市に入って来た。 朝明川を越えた先は松寺町となるが特に変ってところはなく、右手に●宝性寺がある。由来は天平12年(740)聖武天皇の勅願によるものとされる。本堂は文化11年(1814)のもので、重層、彫刻などが派手で、市の文化財に指定されている。間もなくJR関西本線の踏切を渡り、左折してさらにガードをくぐると、一里塚橋というのがあり、右手に●「史蹟富田の一里塚阯」の石標が建つ。11:40

■富田町〜富田小
 ここ富田町は「富田の立場」といっていて、かなり賑わっていたという。町並みは普通の町並みだが、まだ「連子格子」持つ古い家がちらほらと残っている。右手に●八幡神社が建つ。「力石」の案内板につられて入ってみた。紡錘形の「八幡神社址」の石碑もあった。富田立場の西端が八幡の森で、昼でも暗く鬱蒼と樹木が繁っていたと伝えられているとか。左側に力石が置いてある

■富田小〜茂福町
 右折した右手に、公園があり、松が一本生えていて、案内板が立っていたので行ってみた。●連光寺跡ということだった。富田城主、南部家ゆかりの寺として知られていたそうだ。連光寺は茂福に移築されている。右側の富田小学校前に●「明治天皇御駐輦跡」(天子の車を休めるの意味)の石碑がある。 明治天皇は遷都の為の往復など四度富田茶屋町広瀬五郎兵衛方で小憩されている。
 

■茂福町〜海蔵橋
 やがて道は突き当たり、わずかに左に曲がっていく。その角に●力石が置いてある。明治の頃御堂をを再建するにあたり、土台石の奉納があり、この石を持ち上げて、力試しをしたのが由来だとか。小さい子供用も置いてあるのが面白い。。ここをカギ形に左折、すぐ右折する。車検場の先、右手に●常夜灯があった。大神宮としか書かれておらず、新しいものと思う。12:15

 米洗川を越えると「羽津町」に変り、右手に地蔵堂などがあり、やがて国道1号と合流する。海蔵橋手前で●左へ入る旧道が続いているので、左へそれていく。左に「志度神社」がある。海蔵川の手前に●三ツ谷の一里塚の石碑がある。昭和20年代に海蔵川が拡幅された際に、川の中に取り込まれてしまったが、新しく作られたもの。 12:50

■海蔵橋〜三滝橋
 旧道は土手に突き当たってしまうが、昔はこの位置に「海蔵橋」が架けられいた。今は国道の橋を渡るしかない。渡ったらすぐ左手に残る旧道に入る。旧道は京町、川原町などを通過し●「三滝橋」が見えてくる。 橋は平成6年完成の新しい橋だが、ここを越えると四日市宿に到着する。
13:00

 41 宮宿へ  43 四日市宿へ