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 3神奈川宿から保土ケ谷へ 歩行地図
 浦島町新町-幸ケ谷-青木通-上台町-軽井沢-浅間町-天王町-帷子橋      5.36km

3 神奈川宿
 神奈川宿は神奈川新町から台町の終りまでかなり長い。海に臨み景勝もよく、観光で訪れる客も多く、最盛期には、近隣の宿の二倍の人口 を抱えたといわれていた。安政五年(1858年)の日米修好通商条約締結後も、開港場としても賑わった。現在でも横浜開港に伴う遺跡が多い。
本陣:2  旅籠:58 

2017年2月4日 (川崎よりの続き) 改訂版
■浦島町~新町
  神奈川宿は浦島町交差点を越えたあたりから始まる。今でこそ横浜に主役の座を奪われたが、昔はこちらの方のが主役で、東海道の主要な宿場であり、海産物も豊富で眺望も良いというので古くから繁栄していた。
 宿場入口は現在の「京急神奈川新町駅」付近で、その場所近くに●東神奈川公園があるが、昔の「長延寺跡」で、このあたりに土居を互い違いに突き出した枡形があった。明治時代には「オランダ領事館」として使われていたこともあり、●石碑が公園左手にある。
 国道を進むと右手に●良泉寺がある。開港当時諸外国の領事館に当てられるのを潔しとしない住職が本堂の屋根を剥がし、修理中だと云うことにして幕府の命令を断ったという話が残る。
 寺の裏手、京急のガードをくぐった所にあるのが●笠のぎ(のぎは 禾皇)稲荷。元寇に当たって北條時宗より神宝を奉納されたという古社。社前を通行する者の笠が自然に脱げ落ちるということから笠脱稲荷大明神と呼ばれたと伝えられる。境内にある●板碑は天蓋を配した六字名号と一対の塔を刻した特異な板碑で貴重な資料となっている。    13:35

■新町~神奈川2丁目
 現在の国道15号線はあまりにも道幅が広く、宿場の頃の面影はまったく見られない。国道から一本北側には寺や史跡も残っているし、こちらの方が旧道らしく感じられるので、オランダ領事館跡の公園から裏道を歩いた。
 裏道を歩くと、先にあるのが能満寺。その隣が●神明宮。かって境内を流れていた上無川に牛頭天王の御神体が現れ、洲崎神社及びこの神社に牛頭天王を祀ったという伝承を持つ。その先に神奈川小学校」があるが、外壁に●「東海道分間絵図」のタイル絵が掲げられている。学校の先で少し広めの道路が交差しており、渡ると●金蔵院がある。真言宗智山派で、慶長4年家康より寺領10石を拝領、多くの末寺を擁する中本寺格の寺院だったという。寺の前が●熊野神社で、金蔵院の境内に熊野三社を熊野権現山から遷宮した。明治の神仏分離令で別々に別れた。    14:10 

■神奈川2丁目~
 ●神社の裏手から滝の川まで松並木が並び、往時の街道を彷彿とさせ、良い感じである。左手に●神奈川宿の高札場が復元されている。
右手の●外国宣教師宿舎跡の石碑が立つ●成仏寺は開港当初アメリカ人宣教師の宿舎に使われ、ヘボン式ローマ字で知られるヘボンは本堂に住んでいたという。     14:15

~幸ケ谷
 滝の川に出て右折し、JRと京急線の間にあるのが●慶運寺。浄土宗の寺で、慶長4年(1599)に徳川家康より寺領7石を拝領、多くの末寺を擁する中本寺格の寺院であった。今では南北に鉄道用地が取られ、窮屈な思いをしている。横浜開港に際してはフランス領事館として使用されていた。またここは浦島伝説が多く残され、●門前の石碑の土台が亀の形になっている。
 川を渡って行くと●浄滝寺があって、ここはイギリス領事館跡である。少し南に行くと●宗興寺があり、ヘボン博士が診療所を開いた所。 このあたり、滝の川を挟んで東西に本陣があった。神奈川宿の中心であり、外国の領事館などが集まっていた場所であった。     14:35

■ 幸ケ谷~青木通
  一度国道へ出て旧道は左手に見える大きな「神奈川公園」の先で右折し、●宮前商店街へと入って行く。
 右手高台に●洲崎神社がある。創建は建久2年(1191)、源頼朝の創建で安房国安房郡安房神社の分霊を勧請したという。神社前から参道を下った先は海であって、国道に突き当たるあたりがかつての船着場だったそうである。 その先にはイギリス士官の宿舎に充てられた「普門寺」やフランス公使館に充てられた●甚行寺などもある。14:40

■青木通~
 商店街を出ると、京急「神奈川駅」前に出て、跨線橋青木橋を渡る。右上に寺が見え●参道の石段を上がって行くと●本覚寺という寺がある。「アメリカ領事館」として使われていた所。
 旧道は「青木橋信号」の先で右折する。右手高台に●大綱金比羅神社がある。横浜の金刀比羅さんとして知られ、神奈川湊の海運業者の信仰を受けた。その先の上り坂が「広重の神奈川宿」に出てくる●台町の坂で、左側に旅籠、茶屋が並び、その左側は神奈川湊である。 ここは「神奈川台町」と呼ばれ、眺望の素晴しい景勝地としても知られていた。
 14:55

    ~上台町
 坂を上がりつつ、左側を見ると●坂が急激に下がり、その先は海であったが、勿論今は埋め立てられて、どの茶屋からも崖下に絶景が望めたとい眺望は望むべくもない。左手の●田中屋は旅籠「さくらや」を引き継いだ文久3年(1863)の創業で宿に唯一現存する料亭である。明治には坂本龍馬の妻、おりょうが仲居として働いていたという。
 右手には●●神奈川台関門跡碑」と「袖ヶ浦見晴所碑が見られる。開港後、外国人の安全を守るため、東海道や横浜の主要地点に関門や見張り番所が設けられた跡である。     15:00

■上台町~ 天王町
 坂は段々緩やかに下って行き、「上台橋」と呼ばれる陸橋を渡る。その先は「軽井沢」と呼ばれていて、右手に「軽井沢公園」がある。軽井沢とくれば有名な長野の「あちら」と関係があるのかと思うのだが、同じような疑問を持った人がいるようで、(http://hamarepo.com/story.php?story_id=868) を参考にさせていただきました。
 浅間台に入って、右手に●浅間神社がある。旧・芝生村(しぼうむら、現在の浅間町)の鎮守で、横穴古墳が密集する袖すり山と呼ばれる丘の上に立つ。現在の地名は旧名「芝生(しぼう)」村は縁起が悪いため、この神社にちなんで浅間町と改名されたという。 横穴古墳は「富士の人穴」と呼ばれ観光名所だった。700m程行くと●八王子街道との追分に出る。八王子から横浜まで「絹の道」と呼ばれ、八王子から大量の絹が運ばれた。ここは2日間で歩いたなつかしい所。しばらく住宅地の中を歩くと、●松原商店街と呼ばれているとて商店街が見えてくる。今も以前来た時も相変わらずの賑わいである。   15:40

■天王町~帷子橋
 天王町に入ると左手に●保土ヶ谷宿の江戸方見附の看板が立っている。保土ケ谷宿の江戸側から見た出入口に設置されているもので、土盛をした土塁の上に竹木で矢来を組んだ構造をしていることから、「土居」とも呼ばれる。ここから保土ケ谷宿に入って行くわけだ。が ここではもう少し進んでおきたい。 右手に●橘樹神社がある。スサノオを祀り、創建は文治2年(1186)、京都八坂神社の分霊を勧請したと伝えられる。 神社を過ぎると●帷子橋がある。実質的な保土ヶ谷宿の入口になる。本日はここまでとして保土ケ谷駅から帰宅した。  15:50

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