23島田宿から金谷宿へ  歩行地図
 島田宿−本通−新橋−大井神社−東海パルプ−川越遺跡-大井川橋-金谷宿  4.5km
23島田宿
  箱根八里は馬でも越すが越すにこされる大井川」と馬子歌にも歌われた大井川は、東海道の最大の難所であった。幕府は防衛上の理由もあって、大井川に橋を架けるのを許さなかった。その為増水するとすぐ、川留めになり、島田宿、対岸の金谷、手前の岡部辺りまで宿泊客で潤った。島田は川留め歓迎の宿であった。
本陣3 脇本陣0 旅籠48

2007年12月1日快晴  8:00
 ■本町通7丁目〜2丁目
今日も日程がきつく忙しい。島田ホテルを出て、一度宿場中程へ戻った。島田宿一里塚碑」は夜通過していて見逃していた。商店街の中を歩くと左手に閉店したが、元ジャスコの前に「問屋場」の碑がある。●「島田刀鍛冶の碑
 隣にある碑は刀鍛冶の顕彰碑。室町時代より江戸時代末期にわたる約四百年間の歴史をもち、繁栄期にはこの島田に多くの刀工が軒を連ね、鍛冶集団を形成していたという。

 先に進むと四丁目右手に、広場があり、●島田宿下の本陣、置塩家跡である。東から「下本陣」「中本陣」「上本陣」と3軒あった。脇本陣はなかった。説明図を読む。本陣このように島田宿は現在の四丁目から三丁目かけてが宿場の中心部で、最も賑わいを見せていた。現在でもス-パーがあり、人通りも多い。しかしながら島田駅に通じている繁華街といいながら、あんまり照明が少なく明るい町とは言い難い印象でした。

 ■本町通2丁目〜東海パルプ
●芭蕉句碑
 島田宿は芭蕉との関わりが深い場所で、門人も多く、東海道筋を歩くと芭蕉句碑が何カ所も立てられている。信用金庫前のこちらには「するがぢや はなたち花も ちゃのにほひ」と刻まれている。 
 本通一丁目の角に●石柱の道標がある。摩滅していてよく読めないが、「東 六合村境まで十八町十六間・・西 大井川渡船場迄二十四町六間・・ 南 島田駅迄一町・・」と書かれているという。渡船場や島田駅が出てくるから明治以降のものらしい

●大井神社  8:30
 島田宿の鎮守様として信仰が厚く、ここで行われる「帯祭り」は天下の奇祭としても有名だそうだ。 境内に●大奴・鹿島踊りブロンズ像というのがあり、、『帯まつり』の主役となる大名行列の大奴と鹿島踊りの三番叟の姿を現す。参道の両側の石垣は人足たちが、に仕事の安全を祈って、大井川河原からひとつづつ持ち帰り、築いたといわれる。

 ■東海パルプ〜川越遺跡
●東海パルプ工場の裏に続く旧道をしばらく歩くと川越し遺跡」入口が見えてくる。 川越遺跡に立ち並んでいるのは当時の川越人足たちが利用していた「番小屋」と呼ばれていた家や、酒屋、そば屋などで、番小屋の一部は今も一般に無料で公開されている。またここは遺跡といいながら、普通の民家としても使われていて、人が住んでいる家が混在する珍しい史跡となっている。遺跡図

 ■川越遺跡〜大井川土手
●番小屋
・・人足の宿で、両側には平屋の宿が一番宿から十番宿まで並び、現在でも民家としても使われている家もある。●人足人形・・川越賃は48文からで当時としてはかなりの高給取りではあるが、真冬でも川に入るので、体力的にきつく、人足の平均寿命は35歳程度といわれる。●権三わらじ・・人足が履いた川越用の特製わらじで、小石が絡みにくいような構造になっている。 9:00

●八百屋お七の恋人吉三郎の墓
 途中右側奥へ入っていくと、関川庵というのがあって、ここになんと八百屋お七の恋人、吉三郎の墓がある。お七が刑死した後、僧となってここまで来て病死し吉三郎の子が祀ったという。本郷の吉祥寺にお七と吉三郎の墓があるけど、どういう関係だろうか。
●史跡川会所  9:15
 戻っての先は川会所が史跡として再建されている。川会所は川越の全体的な管理をしていた役所のこと。時間がなく入らないで外からざっとのぞいただけ。川越しに使われたさまざまな道具が展示されている。

 ●せぎ跡
 土手近くの左側に河原石が積まれた「大井川堰跡」が残っている。 増水時に板を差込み、板を渡して街道に水が入るのをくいとめた。
●八重枠稲荷神社
  右手にあるが、拝殿は普通のもの。珍しいのは礎石が建立当時のままで、大井川の川石を亀甲形に加工して積み上げたものだそうで、礎石だけ撮っておいた。川石は硬くて加工に手間がかかり、いまでは市内に数ヵ所残るのみの技法とのこと。

 ■大井川〜大井川対岸・金谷宿
川会所跡を出ればまもなくで大井川土手に突き当たる。堤防手前には●「島田市博物館」が作られている。大きくて立派な建物であった。ここも時間がなく入らずじまい。なんせ袋井まで30キロあるので・・。 博物館と反対側には●「朝顔の松」と呼ばれる木もある。浄瑠璃の「朝顔日記」の主人公にちなんでいるそうですが見たことはない。 残念ながら元の木は昭和10年代に枯れてしまい、お堂を作って松を木碑にして保存されている。9:20

 堤防に上がって、川を眺める。 当時の川幅は一二町(1.3キロ)といわれ、なるほど相当大きい。真冬などは大変であっただろうと思う。河原に下りた所には「川越し公園」も作られていて、東海道五十三次の歌碑も並んでいる。さて●国道に架かる橋を渡って対岸に出ることにしたい。脇に歩道橋があって安心。ただ高所恐怖症なので橋はあんまり好きではない。富士川も怖かった。ここも回りを見ずに渡る。歩道のタイル絵が面白い 9:30

 大井川は現在では水量も調節されて少なくなっている。川越が終わって橋が架けられたのは明治12年のことで、ギネスにも載っている蓬莱橋という。今回見る時間がなかったので、次回蓬莱橋に寄ってみたいと思う。橋を渡り終えたら、土手を左折して土手沿いに戻り、右折した先が、●金谷宿の入口になります。 9:45

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