15 蒲原宿から由比宿へ  歩行地図
 蒲原東木戸-蒲原宿-西木戸-小金-塩沢-神沢川-由比宿  4.3 km  
15蒲原宿
 蒲原宿は比較的古くから開け、富士川を控え、交通の要衝として戦略上重要な地点となっていた。 元々は現在の場所よりもう少し海に近いJR東海道線の南側にあったが、元禄12年(1699)8月15日の大津波(大型台風)で宿場が流され、翌13年に現在地に移転している。富士川の川止めの時などは大変な賑わいを見せた。本陣跡や旅籠の建物や大正時代の洋館が残るなど、案内板も完備し、情緒ある町並みを現在も見ることができる
  本陣1、脇本陣3、旅籠42

■東木戸~宿内・西木戸
●蒲原宿東木戸碑
  11:50
 東木戸跡の案内板と、宿の地図、「宿内安全」と彫られた古い常夜燈がある。常夜燈は文政13年(1831年)に作られたものという。
●日本軽金属発電所
  宿に入り右手に巨大な4本の導水管がある。日本軽金属の第2発電所のものだ。甲州街道の駒崎発電所と同じ水導管で上から落として、落差で発電させている。アルミニウム製錬には大電力が必要で自前で調達している。身近で見ると少々不気味。

 町並みとしては、普通の町並みだけど、宿場として保存は良くされていて、旅籠などが整備されていて好ましい。
●木屋の土蔵

小さな「諏訪橋」を越えると、左手に「木屋」の屋号を持つ三階建ての古い家があるが、ここは江戸末期「問屋場」を勤めていた「渡部家」の跡。
●なまこ壁の家
 塗り家造り(ぬりやづくり)という防火に優れた建物で、白と黒のなまこ壁が印象的。

●蒲原夜之雪記念碑  12:10
 蒲原宿のほぼ中央に広重の浮世絵「蒲原夜之雪」記念碑があった。説明板によると・・・、歌川広重が天保3年(1832年)4月、幕府の朝廷への献上使節の一行に加わって京に上った折、この地で描いたも・・・・。とある。昭和35年、この絵が記念切手(国際文通週間)に採用されたのを記念して、この絵が描かれたと思われるこの場所に記念碑が建てられた。しかし付近の様子からこの絵の情景を想像するのはいささか困難。
●旅籠「和泉屋
 天保年間(1830~44)の建物で、安政の大地震でも東海を免れた。2階の手すりや看板掛けなどに江戸時代の面影が残る。

●本陣跡
 東木戸跡の案内板では・・・代々平岡家が本陣を務め、邸内には今でも、大名が駕籠を下ろしたと言われる「お駕籠石」が残されている・・・というが、中に入らなかったので見ていない。黒い板塀の大屋敷。
●手作りガラスと総檜の家(磯部家
  明治42年の建築で、寺院建築に多く用いられている総欅(けやき)つくりの家で、柱や梁(はり)から一枚板の戸袋に至るまで欅で作られている。
  また、2階の窓ガラスは、波打つような面となっている手作りガラスを使用しているという。

●大正時代の洋館
 旧五十嵐歯科医院の建物で国の登録文化財。大正3年に五十嵐準氏が町屋を洋風に増改築した擬洋風建築と呼ばれるもので、外観は洋風で内部は和風というユニークな建物。説明
●蔀戸のある家(志田家)
 味噌や醤油の醸造を営む商屋で、安政の大地震直後に建てられた。蔀戸とは、日光や風雨を遮る戸のことで、上下2枚に分かれており、上半分を長押(なげし)から吊り、下半分は懸金(かけがね)で柱に打った寄せにとめ、全部開放するときは、下の戸は取り外せますという。 

■西木戸~由比宿入口
●西木戸跡
  12:30
 宿はやがて左折して、県道と合流するが、ちょうど県道に出た所に西木戸跡碑が設置されている。すぐ右手には御殿があったという「和歌宮神社」参道が続いているが、いささか遠く行く気が起きなかった。
●国道の町屋
 この先国道と合流して由比まで行くが、このあたり間口が狭く奥行きが長い形式の家がちらほら残る。「通り土間1列型」と呼ばれる町屋形式のものであろうか。京都には税金の関係でこの形式が多いがここもそうかなと思う。。

●桜エビを売る店
 国道を由比に向かって歩いていくと、両側に、桜エビ、イルカのスマシの看板を掲げた店が増えてくる。桜エビは由比の名物だし、イルカのスマシとは、イルカの鰭(ひれ)や皮を茹でて加工したもので、ガムのような噛み応えたがあるので、蒲原ガムとも呼ばれている。高速道路の高架下をくぐり抜け、左手の旧道を行けば由比の宿の入口まではもうすぐ。13:20到着

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