35御油宿から赤坂宿へ  歩行地図
 御油橋−高札場−本陣跡−松並木−関川神社    (約1.7q)
35御油宿
   東海道と本坂道の追分があり、豊川稲荷の参拝客や秋葉山へ参る人の宿としても賑わった宿である。隣の赤坂宿との宿間距離はわずか十六町(約1.7km)ほどしかなく、客引きの強引なことでも有名だった。吉田宿や岡崎宿が城下町でもあって、堅苦しかったことに比べ、遊興的な宿場の色彩が強かったといわれる。明治以後、 東海道線の通過地に選ばれなかったため、鉄道が通じた御津や蒲郡に繁栄を奪われ、衰退していった。
本陣2, 脇本陣なし, 旅籠62

2008年8月1日、吉田宿からの続き
■御油橋から赤坂
●御油橋
 御油宿は追分の石碑を過ぎて、すぐ先の●御油橋を渡った先から始まる。橋を渡って宿場に入ると、早速夏祭りの幟が何本も立っていた。橋の袂の●若宮八幡の例祭ということらしい。神社そのものは非常に小さいが、隣に大きな山車の倉庫が建っている。16:10

 ●町並み
 宿は直進してすぐ右に曲がる道筋になっているが、この道の両側には「千本格子」などを備えた家など、風情のある家gちらほらと建っている。昔は沢山あったそうだが、やはり少なくなっている。あちこちで祭りの準備が行われ、花火が使われるようだ。先に静かな家並みが続く。クランク状に曲がっている角には●「高札場跡」がある。

●ベルツ花子実家跡
 高札場の前、最初に右折する角に「ベルツ花子実家跡」があった。  案内板
 ベルツは, 明治に来日した医者で、東京大学で教鞭をとった。「花」はベルツと東京で結婚し、ドイツへ渡り、ベルツの死後、父親の生家が御油で旅籠を経営して関係で御油で暮らしていた。直角に曲がった右手には「問屋跡」があるから、御油のメインストリートであろか。16:15

 真っ直ぐ行き、大きな通りを左折する。今ではこの通りに出ても普通の民家や商店がわずかに見るだけ。中には古そうな商店も建っている。弥治さん喜多さんの等身大人形や資料を展示している店もあるというけど、ちょっとわからなかった。左手に●「本陣跡」碑があり、御油の本陣はこの辺りに並んでいた。
16:20

 本陣跡の向かいには●「イチビキ醤油」という屋号で味噌や醤油を作っている大きな工場があるが、この辺りも昔は旅籠屋で、ここには「大津屋」と呼ばれた大きな旅籠屋があったという。このあたりも祭の準備中で、結構きれいな●山車が置かれていた。左手奥にある「東林寺」という寺に、明治時代5人の飯盛り女が池に飛び込んで自殺したという事件があって、彼女たちの墓が置かれている。

●町はずれ
 当時の御油宿は「東林寺」入口を過ぎた辺りが宿はずれだった。相変わらず人はあまり見えない。このあたりには格子を備えた、味のある建物が並んでいた。こちらの方が宿場らしい風景と思えた。ここで宿を出てしまうわけだが、正面には見事な「松並木」が見えてくる。
16:25

●御油の松並木
 松並木は「御油の松並木」と呼ばれ、「天然記念物」に指定されている。天正3年(1575)織田信長の家臣篠岡八右衛門が植樹し、慶長9年(1604)徳川家康が街道政策として、整備したといわれています。舞阪宿の並木は復元されたものだけど、こちらは現存しているもので、貴重な遺跡。ただ残念なことに車道なので枯れないかと心配  。赤坂宿へ続く。16:30

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