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 18 江尻宿から府中宿へ  歩行地図
 江尻宿-本郷町-稚児橋-追分-草薙-長沼-曲金-府中宿  14.3km(11.7km)

18江尻宿
 江尻というのは川の尻、すなわち下流という意味で、江尻宿は巴川が造る砂州上にできた宿である。辻町の木戸からから始まり、入江町の西木戸までの約2km。宿の中心は今の清水銀座であるが昔の雰囲気はない。伝馬町あたりにいくらか旧家が残る。駿河国内では一番大きい宿であった。
本陣2、脇本陣3、旅籠50

  2007年8月24日続き
■辻町~清水銀座
●宿入口から江尻東交差点
 10:00
 現在の江尻はすでに清水市の一部となっていて、江尻の名よりも清水の方が知名度が高い。清水湊の方が物資供給基地として重要であった。ここで鈎状に直角に曲がる。警備上の問題からで定石通り。
●清水銀座商店街
 曲がった先はくアーケード街になっていて、現在の清水でも一番の賑わいを見せている場所。昔もこの通りを中心に旅籠屋が軒を連ねていた。本日はお盆の影響からか店も閉店中が多く、人通りも少なかった。

■清水銀座~稚児橋
●江尻城跡

 商店街の突き当たり。稚児橋の手前に稲荷神社があり、裏手が江尻小学校の校地が本丸のあったところである。江尻城は永禄12年(1569年)、武田信玄の命により作られたもので、武田信光、山縣昌景、そして穴山梅雪などが城主となった。その後関ヶ原の戦いの後は廃城となっている
●稚児橋
 巴川に架かる橋で、4本の親柱の上には可愛い河童の童子像が乗っている。江戸時代橋に建設された折、特に選ばれた老夫婦が渡り初めを始めようとした時、突然、川の中から1人の童子が現れ橋桁をよじ登り、人々がアレヨアレヨと見守る中、橋を渡り姿を消してしまったという。これは巴川のかっぱが稚児に姿を変え、渡り初めをしたのだと噂し、いつし「か稚児橋」と呼ぶようになったという。 10:30

■稚児橋~追分
●久能道道標・・・ない?

 稚児橋を渡って行くと五差路になっている、正面には「南小路久能道」と刻まれた道標が置かれているはず・・と事前の知識ではそうなっている。が、見あたらない。この家の塀に案内板のみが掛けられていて、再建されたとは書いてある。 ここから「東海道」と「久能道」との追分にあたる。
●江尻西口木戸跡  10:45
 五差路を右に曲がり、右手に見える「滋雲寺」の先には「江尻宿木戸跡」の小さな石碑が置かれている。さてここの地域は、あのマンガ「ちびまるこ」ちゃんの舞台となる地域である。駄菓子屋の「みつや」が左手に営業しているというので、じっくり探したが、見あたらず、すでに閉店しているらしかった。 10:40

■追分~狐ヶ崎
●追分羊羹 
11:00
 しばらく歩くと左手に、元禄8年(1695年)創業の追分洋かん(羊羹)の本店がある。赤く大きな暖簾のしっかりした店構えの店である。暑いので羊羹はここでは買わず、帰りに静岡駅で購入した。竹皮のまま蒸した蒸し羊羹であった。
●追分道標
  店の隣に追分道標がある。正面に「志ミづ道」左に「南妙法蓮華経」と彫ってある
●都鳥の吉兵衛の供養塔
 この先左手に、文久元年(1861)清水次郎長が子分森の石松の仇、都田(都鳥)吉兵衛を討った跡。敵役の吉兵衛の菩提を弔う人がいなかったので、土地の人が憐れみ供養塔を建てたという。 11:00

●追分と金谷橋
 間もなく大沢川を渡る。ここの橋を金谷橋という。江戸時代は土橋であり、重い荷物を運搬する牛馬はこの橋を渡れず、橋横の土手を下り、川を渡って反対側の土手に上り街道に合流していた。その道を牛道と読んでいた。
●姥ヶ池  11:15
 先の広めの交差点を右折すると、赤い幟が見える。小さな池があり、この池辺りには「金谷長者」と呼ばれたお金持ちが住んでいたという。 長者の子供がひどい咳を患った時、この家の乳母が池の弁財天に祈願して子供の身替わりに池に入水したという。 それから子供の病がよくなったそうで、その時以来長者は乳母に感謝して池の淵に社を建てて祀っていたという。が「東海道名所図会」には全く違う説が載っている。  11:10

■狐ヶ崎~草薙一里塚
●久能寺観音堂道標

 JR東海道線を渡り、上原へかかる。小さな川の畔に久能寺観音堂への道標が立つ。ここでいう観音堂とは久能山城を建てる時に他に移された「久能寺」を指しているものだという。久能寺は明治鉄舟寺と名前が変わり、地図を見ると寺はこの道にそって、南東方向30数キロのにある。
●草薙の一里塚  11:45
 上原から左手にスーパーがあり、有度から広い道路と合流する。右手のショッピングセンターの駐車場の前に大きなタヌキの像が立っていて、その脇に一里塚跡がある。 11:45

■草薙神社寄り道
●草薙神社
 12:20
 この先左手に大きな鳥居が見えてくるが、1.2キロ先に大和武尊の草薙の剣に由来する草薙神社がある。ちょっと遠いのでどうかと思ったが、ここは行かねばならないと、向かった。境内は鬱蒼として夏でも暗く、樹齢1000年を越える「大楠木」もかろうじて健在で、道の途中には例大祭で使う「龍勢」が置いてあった。秩父神社で使う物と同じものだろう。 由緒書きを読む 12:15

■草薙神社~総合運動場
●中ノ郷の旧道

 国道に戻り、神社を過ぎて行くと、国道と分かれて左手の旧道へ入る道がある。静かではあるが、単調な生活道路ではある。東名高速道路の高架をくぐる辺りが小吉田と呼ばれた立場であった。
●旧東海道記念碑」  13:30
 旧東海道は東名高速の高架下をくぐって、「静岡鉄道」の「県総合運動場前駅」交差点に出る。左折した先で東海道の線路に分断されている。ここに旧東海道のの由来を記した碑が建っている。13:40

■総合運動場~静岡駅
●曲金のガード

 線路をくぐり、長沼交差点からしばらく静岡鉄道に沿って歩くと、右手に静岡護国神社の森がある。さてこのあたりで8月の太陽がカンカン照りつけ大変暑く、げんなりして撮影の気力が失せてくる。江尻、府中間11キロ以上あり、大変疲れてきた。東海道線のガードをくぐり、又曲金のガード下を渡り返す。
●府中宿入り口  14:50
 JRの高架にそって進むと高架下に通じている地下道があり、向かい側に出れば、府中宿に到着する。この先静岡駅まで進んだが次の府中宿へ譲るとする。今回3日間で通算80km程になりました。日焼けを相当してしまった。こだまで静岡駅より帰宅する。 

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