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 34 吉田宿から御油宿へ  歩行地図
 東八町-曲尺手-札木町-豊橋-下地-茶屋-白鳥-国府-御油  (約12.7㎞)

34吉田宿
 明治になって豊橋と改名され、吉田の名前はほとんど使われない。吉田藩の城下町であり、東海道が設定された当初からの宿場であった。豊橋の市内は空襲により大半を失い、当時の面影はほとんど残っていないが、街道筋はたどることが出来る。宿間23町30間(約2.66km)と長い。当時の吉田宿は品川などとならんで飯盛女の多いことで有名であった。
本陣2 脇本陣1 旅籠65

 2008年8月1日二川宿より続く
■東八町から豊橋
 吉田宿の入口は現在の●「東八丁交差点」付近にあった「東惣門」からだったという。ここは城下町だったので、わざと複雑に曲げられた、七曲がりのように通るようになっている。市内の建物は戦災で失われたが、街道筋は多少たどることはできるようだ。市電通りから、すぐに最初の●角(薬屋)を曲がり、曲がったら二本目の通りを右折する。

 しばらく歩くと大きな道路を横切る。この道路の中央分離帯には史跡に指定されている●「曲尺手門(かねんて)跡」碑が見られる。このあたりを曲尺手町と呼ぶ。
 この碑のある大きな交差点を横切り、、次は最初の通りを左折し、と広い道路に出て、右折して進む。この●大きな通り(札木通)が当時の吉田宿のメインストリートで、最も賑わっていた場所だったという。昔はもっと狭い道の両側に旅籠屋などが立ち並んでいたというから、さぞや客引きの声や飯盛女の声が飛び交っていたのだろう。10:50

 やがて市電の走る「札木町交差点」を横切っているが、角のNTTビル前に●「問屋場跡」碑がある。 また、交差点先を渡った右手の鰻屋前に●「本陣跡碑」が立っている。ここに二軒の「本陣」が並んでいたという。 さらに本陣跡の向かい側には●「脇本陣」跡もあり、現在の交差点を挟んだ両側にこのような重要施設が集まっていた。もちろん現在ではその面影は全く見あたらない。

●「菊宗」(菜飯田楽の店)
 本陣跡のななめ左側にある。街道名物だった菜飯田楽を食べさせてくれるな店で、今ではほとんど残っていないという。この店は見かけより、奥行きが広く、ここには日本全国から食べに来る人が多いという。一人では入りにくいので、6月に二川宿で会った彼女に今回も連れてきてもらった。菊宗を出て先に進み、●公園のある交差点を左折して「上伝馬町」へ出る。この付近も昔は旅籠屋がたくさん並んでいた場所だったという。11:10

 やがて大きな国道を横切るが、歩道の角に●「西惣門跡碑」がある。昔はこの付近に西惣門が築かれていた。この門を出れば宿はずれだった。豊橋手前の「湊町公園」の中に●「築嶋辨天社」がある。 この神明社は吉田城内にあった鎮守様を移してここに祭っているとのことだ。また隣に「神明社」もある。
11:20

●豊橋
 いよいよ「豊川」を渡る。昔は「吉田橋」と呼び、広重も描いているような有名な橋であった。位置的には 現在の橋より70mほど下流にあって、その長さ120間(216m)の大橋だったという。その前に例の彼女の車で●「吉田城」へ寄ってみた。 吉田城址は「豊橋公園」と変わっている。慶長17年、「松平忠利」が築いた城だが、明治維新で取り壊されてしまい、今は残っていない。 しかし、昭和29年になって天守閣部分だけが復元された。内部公開はされていないようで見ることはできなかった。 

■豊橋から小板井
 豊橋を渡り終えると東海道は豊川沿いに左折する。途中変わった石碑があり「豊川神社遙拝所」という。その先、「下地」という所に入った右手の「聖眼寺」には芭蕉の句碑がある。この句碑は●「松葉塚」と呼ばれていて、芭蕉没後50年を記念して建立されたもの。「ごを焼て手拭あぶる寒さ哉」と刻まれている。その先に一里塚跡碑もある。先に進むが、このあたりは戦災から免れて、旧道らしい雰囲気が残っている。右手の大きい旧家は●「ヤマサン醤油」の本社?かも。左手に工場がある。  13:10

 鹿管橋の手前の瓜郷遺跡」入口と標識が見え、右奥に、●弥生時代の遺跡がある。東海道とは関係がないが、面白いので記録しておく。その先で「 高橋」を渡って、さらに小さな「善光寺橋」を越えた右手には●「子だが橋」の悲しい伝説が伝わる碑が残っている。この話はこの先にある「莵足神社」に伝わっているものと言われ、今からおよそ1000年ばかり前まで、この辺りでは神社の祭りの際に、「人身御供」の風習があり、若い女性を生け贄にしたことにまつわる悲しい伝説が残っている。

●莵足神社
 生贄の悲しい伝説が伝わる。創建は白鳳15年(686)と伝わっている。今では訪れる人も少ないようでひっそりとしている。あたりに貝塚の遺跡も見られる。神社を出てしばらく歩くと「JR飯田線」の踏切を越える。またしばらく行くと、茶屋町(伊奈村立場)」と呼ばれていた場所に出る。原っぱの脇に●「茶屋本陣跡」の碑(加藤家)があり、芭蕉句碑の他、烏巣の句碑というものもある。14:30                                                       

■小板井から白鳥
 さらに歩を進め、右手には珍しい太鼓の専門店やら、一里塚跡碑がある。ずーと行って旧道は●バイパス道路に突き当たり、分離帯が通れないので、右手の国道にある「京次西交差点」を渡り、向側へ出ることになる。その先は●「白鳥5西」交差点である。旧東海道はこの交差点を斜めに横断しているというが、その道は消えているので、国道沿いの脇道を通ることになる。 15:20

 ▲道がややこしくなる
 脇道の先にある1無人踏切を左折し、田んぼの中を歩いて行くと、豊川線と豊橋線が枝分かれする所に出る。 その近くに●2無人踏切があるので踏切を渡り、国道1号線に出るので横断して右へ行くと、●「国府町藪下」旧道が裏道の形で残っていて少しほっとした。「白鳥5西」からここまで右往左往してまことにややこしく、十分な下調べが必要。

■白鳥から御油
 ここから先は御油へつながる、いつもの雰囲気が漂う町で秋葉常夜燈旧家もちらほらと見え、気分が良くなった。国府町という地名なので、古代の国府に関係があるかと調べると、やはり三河国府があった場所であり、国衙は国府町の東方「白鳥町」の北方「曹源寺という寺の跡地にあったといくことだ。「総社」、「国分寺」も近くに存在する。道に入るとすぐ右手に、●「薬師堂」がある

 新栄町二丁目交差点を越えてしばらく歩くと●「大社神社」が見えてくる。 昔は「国府大明神」とも呼ばれていた所。さらに歩くとまた小さな交差点に出るが、ここが昔の「本坂越え道」追分だった所。右へ行くと、本坂越え道経由して、浜松、見付方面で出られる。。追分を示す●道標がある。「国幣小社砥鹿神社是より二里三十町」秋葉山三尺坊大権現道」とあるのがそれ。
さて真っ直ぐ行って、御油橋を渡ると御油宿に到着する。 16:05

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