48 坂下宿から土山宿   歩行地図
 河原谷橋−伊勢坂下−片山神社−鈴鹿峠−山中−猪鼻−田村神社−間の土山  8.6km
48 坂下宿
 鈴鹿峠の登口にある宿場町で、峠を越える旅人で大変賑わった。元々10町ほど峠寄りの「元坂下」に設けられていたが、慶安3年(1650)の大洪水により、壊滅的な被害を受け、現在地へ移転を余儀なくされた。宿としての規模は山間部にしてはかなり大きく発展していたが、その後、宿の役割を終えたり、鉄道が通らなかったりした為に、山間の小さな集落と化してしまった。宿の遺構もほとんど残っておらず、本陣跡等を示す石碑が残るのみ。
本陣 3 脇本陣 1 旅籠48

2008年11月11日  関宿からの続き
■河原谷橋〜十一面観音
  坂下宿は●河原谷橋あたりから始まる。坂下宿の町並は道は2車線で広いが、人影はなかった。昔は大きな宿であったようだけど、鈴鹿峠を鉄道がさけて、すっかり寂れてしまった。●古い家もあまり見ることがなく、宿場時代の遺構もほとんど残っていなかった。公民館の脇に宿の案内が架けてある。8:30 

 左側に●松屋本陣跡と刻まれた石柱が立っている。その先には●大竹屋本陣跡と梅屋本陣跡の石碑が建っていた。大竹屋は、坂下宿一の大きさだったというが、このあたり一面が茶畑になっていて、そんな建物が建っていたことすら想像するのは難しい。道の右手に、身代わり地蔵尊
書いた小さな祠があり、石仏が幾体か祀られていた。この先ちょっとで国道に合流してしまう。

■十一面観音〜片山神社
 国道に合流する手前に、●大道場岩家十一面観世音菩薩、と書かれた石柱が立っているが、あたりには何もなく、奥に鉄製の門があるだけであった。「清滝の観音」というものと聞いていて、滝らしい音は聞える。門は閉まっており、入れないと思っていたけど、鍵はかかっておらず、思い切って中に入ってみた。●薄暗い石段があり、燈籠が立ち、正面にお堂がある。これが観音堂かと思って、扉も開きそうなので、開けてみたけど暗くて何も見えなかった。フラッシュを焚いてみたが、暗すぎてだめで、石像が何体か見えた。左側には、ちょろちょろと滝が流れ、暗いし、何か出そうな感じもして早々に退散した。8:50

 国道に合流したら、旧道は国道に沿って500m程歩くようにという案内看板があった。調べておいた経路は右手の山の中を歩くようになっているが、とても歩けそうになく、案内どおり、国道の脇を歩くこととした。 
 国道を500mほど歩くと、右手に入って行く。左側に片山神社の石柱が建っていた このあたりが洪水前の、坂下宿 があった所だといわれ、「元坂下宿」という。すこし山道を行くと、●片山神社の鳥居が立ち、江戸時代には「鈴鹿大権現」とも呼ばれた由緒ある神社だった。鳥居をくぐり石段を上がって行くと、奥まったところに極めて小さな祠のみがあった。あたりは草原で、後で調べると、本殿は燃えてなくなったということだった。鳥居の横には鈴鹿流薙刀術発祥の地の碑もあった。 9:10

■片山神社〜鏡岩
 神社から山道に入って行く。山道は、途中に一部だけ石畳が残る。 山道だけに急坂といえば急坂だけど、とんとんと駆足で登ってしまうと、頭上に、●国道の橋桁が見えてくる。橋桁をくぐっていくと、一度国道にでてしまう。越えていくと階段があり、左側に芭蕉の句碑がある。すぐ先に鈴鹿峠の案内板が立っている。●山道をさーと上がると平らになってしまって、田村神社の標柱と鏡岩への案内板が架かっている。ここが頂上?かと思うと意外にあっけなく、箱根に並ぶ険しい道なのかと拍子抜けしてしまった。 

■鏡岩〜
 田村神社跡には、石柱が建っているだけで、田村神社は、先の片山神社に合祀されてしまった。 案内に従い鏡岩への道へ行く。ところどころの杉に紐が結ばれているのでわかりやすい。●鏡岩は材質は硅石で縦2.3m、 横2mの大きさで三角形ををしている。かっては鏡のように光っていたので、登って来る旅人の姿が映り、それを見て、盗賊が旅人を襲った伝説がある。が、見た所光る様なことはなく、普通の大石。後ろは絶壁で眺めが良いが、高所恐怖症なので恐る恐る●風景を撮っておいた。つずら折りの国道にトラックが走っている。9:25

■鈴鹿峠頂上〜山中
 頂上には「近江の国」と「伊勢の国」の境界石が立っている。ここが三重県と滋賀県の境界なのであった。一帯に、●茶畑が広がっている。少し歩くと、巨大な石積みの常夜灯が見えてきた。●万人講常夜燈といわれるもので、江戸時代に金毘羅宮参りの講中が旅の安全を記念して建てたもの。高さ5.4m、重さ38トンもあるそうだ 常夜燈は、東海道沿いに立っていたが、国道トンネル工事のため、現在地に移された。常夜燈を過ぎると右手に現在の「鈴鹿トンネル」が見え、車の騒音が激しい。この先国道に沿ってしばらく歩く。 9:35

■山中〜山中一里塚公園
 国道をしばらく歩くと、左側に●「山中城の跡」碑が立っている。ここにある山中城とは鎌倉時代にあった城のことで、鈴鹿峠の監視を行っていた。「「山中西」で右折して旧道に入って行くが、角に東海道 鈴鹿 山中 の石碑と石灯籠があり、右側には、 ・・坂は照る照る鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る・・ 、と刻まれた、●鈴鹿馬子唄の石碑が建っていた。10:10

■山中一里塚緑地〜かにが坂
 右折して行った所は「大平」といい、地蔵堂がひっそりと建つ。国道にすぐ合流してしまい、合流点の角は一里塚があったので、「山中一里塚緑地」となっている。中に「 いちゐのくわんおん道 」と、刻まれた道標があり、観音道は、東海道から分岐し、旧神村、旧櫟野村に至る道で、大原道とも、呼ばれたという。奥に●馬子唄の碑と馬と馬子の石像がある。国道を行き、やがて「猪鼻村」と呼ばれ、立場だった集落に入る。右側に●「旅籠中屋跡」の石柱が立っている家がある。こんなところにも旅籠があった。「明治天皇」の休憩所に使われたという説明もある。10:35

■かにが坂〜田村神社
 国道を少し行ったところで、●右側の坂を下りて行く。ここらあたりを「かにが坂」といって、昔蟹の化物が出て、旅人を苦しませていた。それを聞いた「恵心僧都」が、往生要集を唱えると、蟹の甲羅はバラバラに砕け散った、という伝説が残る。工場の脇を通り抜けると、右側に小さく●「蟹坂古戦場跡碑がある。大きい方は「地区の整備竣工記念碑」 天文11年(1542)伊勢の北畠軍と山中城主、秀国との合戦が行われた。10:50

■田村神社〜道の駅・あいの土山
 先に進み、田村川に出る。以前は橋がないので、国道に出るしかなかったが、木造の橋が架けられて助かる。架かっている●「海道橋は、平成17年7月に竣工したもので、当時の板橋を再現したという。脇に当時の「高札」が再現されている。昔の橋は安永4年(1775)に架けられて、渡り賃は武士、百姓は無料、一般の旅人は3文だったとか。橋を渡ると風格のある●田村神社の鳥居に出会った。11:00

 ●田村神社は弘仁3年(812)の創建と伝えられる古い神社で、蝦夷征討で功績のあった「坂上田村麻呂」と嵯峨天皇、倭姫命を祀っている。また厄除け神社としても地元の信仰を集めている。本殿は、元文4年(1739)に焼失した社殿を再建したもので、築後260年以上になるという。拝殿は工事中で、本殿は、向拝に牡丹と孔雀、そして鳳凰(ほうおう)を彫刻してあり、県下の江戸時代の社殿としては、注目すべき建築ですとか。国道の向うに●「道の駅 あいの土山」があったので、やっと食事にありつけた。関宿からここまで食べる所は全く見つからない。夏などは水も持ってないと大変だ。次の土山宿は駅の裏から始っている。11:30

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