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 19 府中宿から丸子宿へ  歩行地図
 春日町-伝馬町-呉服町-札の辻-新町-安倍川-丸子宿   6.3km 

19府中宿
  駿河国の国府が置かれていたので、府中と呼ぶ。天正10年(1582)家康が駿府城を築き、東海道一の城下町として発展した。府中は明治になって名前が
「不忠」に通ずるとして現在の静岡に改名された。駿府城跡には県庁、市庁などが並んでいる。
本陣2 脇本陣2 旅籠43

 2007年11月30日、朝4時30分夜行バスにより静岡駅に到着した。さすがに朝早く、真っ暗で動きようがない。店もやっておらず、駅の中で時間をつぶすことにした。でもさすが静岡市で結構車も走っていて、朝早くから動く人がいる。府中宿は横田町から始まり安倍川に至るが、伝馬町までは前回の写真を使うことにします。

■横田町~御幸町
●伝馬町界隈

 江尻からの旧道は春日1丁目、横田町へと入り、伝馬町がその中心であった。入口には旧町名由来碑も設置されている。現在でもデパートやセンタービルが集中している。北側は駿府城公園で県庁などが所在している。そんな中に非常に珍しい艾(もぐさ)専門店が見られる。お灸の時の必需品だけどこんなんで商売が成り立つのが、歴史を感じさせて面白い。

●本陣・脇本陣跡
 尚先に進むと、ビルの前に本陣、脇本陣の跡碑が小さく立っている。興味を示すのは我々くらいのもので、邪見にされている。宿絵図もある。
●西郷、勝海舟会見の碑
 江川町交差点、デニーズの隣に碑が立っている。1868年3月9日、山岡鉄舟と西郷隆盛と会見し、江戸城開城と徳川慶喜の助命嘆願の予備交渉が行われた。隣は自転車がぐちゃぐちゃに・・・

●浅間神社楼門 (寄り道)   6:30
 6時を過ぎ、明るくなってきたので、城の北側の静岡浅間神社へ行く。距離は結構あった。神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社を総称して、静岡浅間神社と称する。楼門は文化13年竣工したもの。総漆塗で、彫物が見事。
●大拝殿
 重層楼閣造りといって、浅間造りと呼ぶ。高さ25メートルもあり、極彩色の豪華な建築で、「東海の日光」と呼ばれている。山田長政の産土神でもあるそうだ。境内案内図

●浅間神社参道
 赤い鳥居の向こうは商店街。店には夢門前の看板が掛けられている。朝早いのでどこも開いていない。
●駿府城東御門
 神社の東側は駿府城公園が広がる。朝早くから散歩している人が多い。城そのものは堀と石垣が残るくらいで、東御門が復元されている。回りに小中学校があって、生徒がちらほら登校していた。

■御幸町~呉服町
●宝台院
  7:15
 朝飯を食べる前に宝台院へ行ってみた。徳川二代将軍秀忠公の生母、西郷局(昌子)の墓がある。また、徳川最後の将軍慶喜公が謹慎されていた所でもある。●徳川慶喜公謹慎之碑がある。
 奥には●キリシタン灯籠がある。古田織部が製作し、家康の次女ジュリアあたあが信仰したといわれる。おたあは禁教令がが出て、神津島へ流された。灯篭は城内から移されてきたもの。

■呉服町~新町
●札の辻
 8:20
 デニーズで朝飯を済まし、いよいよ街道歩きの再開。江川交差点の地下道を潜り、旧道を歩く。呉服町通を行き、伊勢丹の所で左折する。札の辻という。前期東海道はそのまま直進していたようだ。ここに高札場が設けられていた。その後映画館が多い七間町、右折して駿河町通。また左折して●新町通を行く。直進して行った、古い旧道を本通というようだ。ここまで来ると人通りがあまりない

■新町~安倍川
●双街の碑  
8:40
 しばらく行った、新通二丁目あたりが昔の遊郭があった所。家康は京都、伏見から遊郭を誘致したが、その後江戸吉原に五丁が移り、残りの二丁は昭和の時代まで続いたそうだ。左手に入って行った所にある県防災センター横の稲荷神社にそれを記念する碑がある。双街とは二丁の町という意味。
●安陪川川会所跡
 県道208号に合流するあたり、もう先は安倍川になる。手前に川会所跡碑が立っている。安倍川は大井川と同じく川越人夫による渡しで、人夫を監督する役所が川会所である。またこの看板の裏は公園になっていて色々な碑が集まっている。公園の図

●由比正雪墓址  8:50
 正雪の碑がここにあるのは、当時この安倍川河原に処刑場があって由井正雪とその一族が河原で晒し首になっていたから。
●駿府キリシタン殉教の碑
 慶長17年(1612)3月、幕府はキリシタン禁教令を発した。おたあジュリアなども追放にあった。慶長19年には8名が逮捕され、棄教をを迫られたが拒否した末、殉教に至った。 

●安倍川餅の石部屋
 橋の左側に餅屋が3軒ほど並んでいる。石部屋は文化元年(1804)からある老舗。当然朝早くて開いていない。安倍川餠はきな粉をまぶした餅を家康に献上したところ、えらく喜んだ家康が「あべ川餅」と名付けたとされている。
●安部川義夫之碑
 となりに立っている碑で、昔、旅人の落とした小判が入った財布を拾い、宇津ノ谷峠まで旅人を追いかけて届け、謝礼の礼金をも固辞した正直者の川越し人足を賛えた碑。 その後、この話を聞いた奉行所から褒美の金が与えられたという。

●安倍川橋  9:00
 安倍川は大井川と同じく、人夫による徒渡の方法をとる川であった。賃銭は、川水の深さで決められ、16文から膝下64文まで6段階の賃銭が定められていた。ところが川越人足は、遠回りして旅人を騙し規定以上の料金を要求することが多かったようだ。現在の安倍川は本流・支流にひとつもダムが無い珍しい川らしいのだけど、水量はあまりなかった。橋を渡ると丸子宿になります。

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