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 33 二川宿から吉田宿     歩行地図
 二川-二川駅-岩屋観音-飯村-伝馬町-東八町  (約7.8㎞)

33 二川宿
   宿の成立は慶長6年であったが、正保元年(1644)に二川村と大岩村と合わせて宿となってから発展した。宿間は12町26間(約1.3km)の長さがあって、そこそこ賑わっていた。東海道線、二川駅が宿から離れて設置されたため、宿はそのまま残る結果になり、現在も旧道の両側に古い建築が多く残る。二川宿の本陣は数度の大火に遭い、そのたびに再建されてきたが、明治後も取り壊されず、一部は資料館として残っている
本陣1 脇本陣1 旅籠38

■二川宿入口から二川駅
 二川宿へは6月の白須賀宿からの時に1度、今回2度目で、2008年8月1日、夜行バスとJRを乗り継ぎ二川駅にやって来ました。6月の時の写真と混じります。●二川宿入口は、現在の東海道線の踏切を渡って左に少し歩いた所から始まる。 宿場入口右手の川口屋の前に一里塚の碑が立っている。 ●町並みは両側に旧家も残り、宿場の雰囲気がどこよりも残る。今回平日の早朝だったせいか、通勤の車が途切れなく走っており、写真を撮るところではなかった。狭い旧道だし、平日うろうろする方も悪いけどなんとかなんとかならないものか。  7:40

●二川八幡神社
 右手に「二川八幡神社」があるが、ここは二川の氏神様として信仰を集めている神社で、元々は鎌倉の「鶴岡八幡宮」から勧請してきたと伝わっている
●東駒屋
 八幡神社の先で小さな新橋を越えると道の両側に古そうな家が見られるようになるが、右手の大きな家は江戸時代から味噌・たまり醤油を造り、現在でも赤味噌を製造販売しているという。

●東問屋跡
 東駒屋の先は桝形に少し曲げられていた。右手角のパン屋の角に「東問屋場跡」の石碑が立っている。その先右手には「紅林醤油」というこれまた古い家が建っており、写真を撮るのに忙しい
●脇本陣跡
 また先の右手、文化4年以前は、ここに本陣があったのですが、その本陣が別の場所に移ったあと、ここに脇本陣が移りました。ということで、現在は、説明板が残っているのみ。 7:45

 ●本陣資料館
 左手に大きな建物が見えてきて、ここが●本陣の跡。ここの本陣は復元された物で、現在は「二川資料館」と呼ばれて一般に公開されている。 復元されたとは言え、東海道筋ではこの二川と草津の本陣しか昔の面影を残す本陣はないというので、とても貴重な建物と言える。馬場家本陣ともいう。馬場家は,1807(文化4)年から60年間本陣役をつとめた。東隣に同じく、改修復原された●旅籠「清明屋」が建っている。(6月8日の写真)

館内の資料
 さて、この資料館では、この二川で育ち、現在は豊橋市在住の昔の同僚だった女性が迎えてくれて、宿内を案内してくれた。館内資料では、●宿の模型はどこの資料館でも置いてあることが多い。大名の乗っていた籠上段の間など。特に興味を引いたのが、大名行列の絵図、宿場風景の模型など。馬に三人乗りをする三宝荒神」、「家具を運ぶ人」などが面白かった。

 「本陣」から先に進むと再び道が再び桝形に曲がっている所に、●高札場跡と書かれた石碑があり、「二川町道路元標」と「常夜灯」も一緒に建っていた。
 そこからまた少し行った右手に●西問屋場跡の石碑が建っていた。7:50

●大岩神明社
 文武天皇2年に岩屋山の南に建てられたのが最初と伝えられ、宿場が成立すると、この場所に移ってきたと伝えられています。境内には、寛延4年(1751)の灯篭、文化4年(1807)の秋葉山常夜燈どがあり、またどういうわけか天神でもないのに、牛の像もあります。  神社の由来   8:05

■二川駅から岩屋観音
 駅付近まで来ると二川宿も終わりになる。二川駅前にある植え込みには面白い●道標が保存されている。「是より岩屋江八丁 ・・・」で、弘化4年(1847)に建立された。また駅の先左手にも道標があり、「右東海道豊橋一里半 ・・・」となっていて、吉田の名前からすでに豊橋に改名されているのがわかる。●「火打坂信号」に出るが、昔の東海道道はここから北縁の「上道」と南縁の「下道」の二手に分かれていた。「本道」としては「上道」のほうが使われたようだが、岩屋観音を見るため、「下道」の方を行くこととした。 8:25

 火打坂信号を左折して県道3号線沿いを歩くと、右手に岩屋観音の入口に通じている参道が見えてくる。この道をしばらく歩くと正面左手に●岩屋観音堂が見えてくる。 岩屋観音堂は僧「行基」が天平2年(730)に千手観音を刻んで納めたと言われている。山の上に観音像が祀られているというので、登ってみた。●結構急な岩場だ。暑いし、雨上がりで滑る。そんなに長くはなく、鎖を伝って5分程度で頂上に達する。

●聖観音像
 山の頂上に青銅製の観音像が立っている。高さは2mくらいだろうか。この観音像は二代目で昭和25年の再建になる。初代は豊橋を架橋した江戸の大工が難工事に困り果てて観音堂に参籠したところ、霊験があり難工事を完成することができた報恩で建立したものだったという。しかし、太平洋戦争で金属が不足したため, 初代の観音像は軍に供出されてしまったそうだ。こんな貴重な像でも供出されてしまうとはひどい時代であるものだ。 頂上に登ると360度のパノラマが広がる見晴らしの良い場所と言われるが、晴れたり曇ったりでそんなには良くはなかった。 8:40

■岩屋観音から豊橋
 「上道」と「下道」が合流して、国道1号の1本脇の「飯村」という所を進む。 しばらく進んで「殿田橋」を渡ると国道1号に出てしまうが、ちょうど旧道が国道に合流する場所は大きな三角地帯になっていて、この三角地帯に新しく立てられた●一里塚跡碑がある。 「飯村の一里塚」と呼ばれていて、日本橋から数えると73番目のもの。手前にマックがあったので、すこし休憩。えらく暑い。
10:00

 その後●国道1号線を進みます。特になにもあるわけでなく、東海道は山中橋を越え、三の輪町など過ぎて行くが、左手には少しばかり古そうな家もある。東海道の名残だろうか。但し相当古く荒れている。
 瓦町交差点」手前右手に「寿泉禅寺」が見えた。門の外には「延命地蔵尊」とも書かれた石柱も建っていた。中をのぞくと町中の寺にしては珍しいというか、豪華というか●三重の塔も建っていた。
10:20

 やがて●東八町という大きな交差点に出る。右側から「豊橋鉄道」の路面電車がやって来る。この辺りが吉田宿の入り口になっていた。歩道橋を渡って左方向へ進む。ここに宿の入り口の東総門があったらしい。東総門のモニュメントがあったらしいが、見過ごしてしまった。後で気がついたが残念でした。 10:40
吉田宿に続く。

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