中 山 道
 





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  日本橋から板橋宿へ   歩行地図 
 日本橋-神田-お茶の水-本郷-追分-白山通り-巣鴨-地蔵通-板橋宿    9.1  km

2017年4月16日 再訪、改訂版
■日本橋~神田駅
 五街道歩き始めた頃、写真を撮りながら歩くことに不慣れで、ホームページの出来も悪いし、中山道も歩き終わって10年経ち、その後の変化も見たいと思い、五街道を再訪してみようと思いました。東海道は保土ケ谷まで改訂したので、今回は中山道です 8時30分出発
 ●おなじみの日本橋。中山道は東海道と反対に国道17号を神田駅方面へ向かう。右手に●コレド室町のビルが建っている、10年前にはなかった建物である。このあたりオリンピックを見据えてか、再開発が盛んで左手にあった十軒店跡の案内板もなくなっている。右手には●石町時の鐘鐘撞堂跡と「夜半亭、与謝蕪村居住地跡の案内がある。時の鐘は小伝馬町「十思公園」に移されており、日光街道の途中で見ることが出来る。●神田駅ガードをくぐる。駅も以前とは大部変わっている。     8:50

■神田駅~湯島聖堂
 ガードを抜けた先「須田町交差点」で国道17号は右へ曲がってしまうが、旧道は真っ直ぐ進む。交通博物館があった所のビルの脇を進んで行く。
 線路に沿って行くと●昌平橋へ出る。江戸時代は橋の60m程手前を渡っていったそうだ。「神田明神下」交差点を左へ曲がるとゆるい上がり坂になる。左手は湯島聖堂の長い塀が続くのだが、入口はもっと先になる。右手に●神田明神の鳥居が見える。鳥居をくぐると真っ赤な楼門があり、●本堂がある。ちょうど結婚式の行列がやってきたのでしばし見物させていただいた。神社は元々「平将門」の霊を鎮める為に建立されたのだが、逆臣を祀るのはどうかなど紆余曲折があって現在に至っている。●湯島聖堂は神社の先を左に曲がった先の入口から入る。ここは寛永9年(1632)林羅山が上野に開いた私塾で、元禄4年、綱吉湯島に移しその後幕府の昌平坂学問所になった現在の建物は昭和10年に再建されたもの。  9:35

■湯島聖堂~本郷3丁目
 東京医科歯科大学を左に見て、●本郷3丁目交差点へ来た。角にあるのが●「かねやす」で「・・・かねやすまでが江戸の内・・・」と川柳でうたわれた。この先は寺院や大根畑ばかりだったそうだ。かねやすはその昔、乳香散という歯磨き粉を売っていたという。現在は化粧品屋さんらしいが、日曜日は閉店しており、開店しているところを見たことがない。
 交差点の先に東京大学が続くが、その前に交差点を右折して400mも行くと●麟祥院がある。家光の乳母で絶大の権力を握っていた●「春日の局」の墓がある。墓石は無縫塔で四方に丸い穴があいている奇怪な形をしている。これは春日局が「死後も江戸の政治を見守れる墓」を作って欲しいという遺言 に従って作られたものだそうだ。   9:58

■本郷2丁目~本郷追分
 旧道は東京大学を右手に見て進む。東京大学は言うまでもなく「加賀前田家」上屋敷があった跡で、こんなにも広大な敷地を持っていたとは、さすが「加賀百万石」というところ。すぐ見えてくるのが●赤門で、11代将軍「家斉」の娘である「溶姫」が前田齋泰に嫁いだ時に建てられた。
 赤門の先は●レンガ塀の続く静かな道で、伝統の東京大学という雰囲気をかもしている。
 やがて敷地に沿ってしばらく歩くと●農学部前に出る。ここが「追分」で、右手に曲がれば「王子方面」、直進すれば「岩槻街道・御成街道」、左に曲がるのが「中山道」。又、ここは中山道最初の一里塚」があった所で、塚はもうないが角の●高崎屋酒店の隣に一里塚跡の説明板が立てられている。ちなみに高崎屋は1751年(宝暦~)創業というから古い。 
 10:22

■本郷追分~白山2丁目
 追分を左に曲がって、●白山通を進む。「白山1丁目」信号を左に折れ、浄心寺坂を下って行くと、右手奥に円乗寺があって、●八百屋お七の墓がある。ご存じのように、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されたとされる少女である。井原西鶴の『好色五人女』に取り上げられたことで広く知られるようになった。
 白山通に戻り先に進むと、すぐ右に「大円寺」がある。山門の先に●ほうろく地蔵を祀るお堂が建っている。ここも八百屋お七にちなむ地蔵で、お七を供養するために建立された。又寺の墓地には●幕末の砲術家「高島秋帆」の墓がある。 
11:01

■白山2丁目~地蔵通り
 やがて「白山上」交差点に出るが、ここは「駒込追分」と呼ばれ、白山下から「岩槻道・御成街道」へつなぐことができる。真っ直ぐ進むと左手に「東洋大学」の校舎が見えてくる。その先は●千石駅前交差点で、広い都道が合流してきて国道も倍くらい広くなる。 
 右手に巣鴨駅が見えてきて、中山道は左斜めに「地蔵通り商店街」へ入って行く。その手前にあるのが●真性寺で、ここには「江戸六地蔵」の一つが置かれていた。江戸六地蔵とは旅の安全」を願って建立されたという地蔵で、江戸の出入口6ヵ所に置かれていた。ここのは中山道の入口に置かれて、第4番目の地蔵にあたる。
 さて、いよいよ賑やかな●地蔵通り商店街を通過して行く。「おばあちゃんの原宿」ともいわれ、多くのお年寄りで賑わっているが、意外と若いカップルも多い。 ここの名前にもなっている地蔵は入口にある六地蔵ではなく、右手にある●高岩寺」にある「延命地蔵菩薩」通称「とげぬき地蔵」によってである。地蔵は秘仏なので公開されていないが、境内の洗い観音の方が有名だろう。 ここで、寺の脇を抜けてちょっと寄り道、染井霊園へ向かった。  12:02

 (寄り道) 駒込・巣鴨の有名人の墓巡り
 地蔵通りの北側に染井霊園があり、ここには有名人の墓が多い。その周りの寺にも歴史上の人物や有名人の墓があり、前回素通りしたので、今回はいくつか回って見たいと思う。
★染井霊園
 この霊園には有名人の墓が沢山あり、又広いので回りきれず、2.3だけ見ておく。 ●高村光太郎夫妻の墓。 ●岡倉天心の墓  等々
 ただ墓には個々の案内板が立っている訳ではないので 事務所で案内地図を入手した方がいいかも。   12:20

★慈眼寺
 霊園の西側に隣接してある。こちらは個々に案内板が立っているのでわかりやすい 
 ●芥川龍之介
 ●芥川家  芥川家の人々・・長男芥川
  比呂志、音楽家芥川 也寸志など。
 ●司馬江漢
   ●齊藤鶴磯(さいとうかっき)・「武蔵野話」の作者(武蔵野の基本的研究書)
  12:30

隣接して★本妙寺
 明暦の大火の火元として有名な寺。東大赤門前にあった。
 ●遠山金四郎
 ●剣豪千葉周作
 ●明暦の大火供養塔
 外に本因坊家の墓など 明治43年にここに移転している。             12:45

★妙行寺
 都電「新庚申塚」停留所北側

●お岩様の墓
   四谷怪談で有名なお岩様の墓
●浅野内匠頭奥方「遙泉院」供養塔
隣の★善養寺
 ●江戸三大閻魔の一つで有名
 墓としては「尾形乾山」の墓
 原子物理学者・湯浅年子
  の墓 などがある。                  13:20

■地蔵通り~大正大学
 地蔵通りへ戻って来て、先に進む。段々人が少なくなってきて、右手に●庚申塚がある。 入口に「猿田彦大神庚申堂」と彫られた碑が立っている。都電を越えると「庚申塚通り」と名を変える。右手にある●東京種苗(株)の建物は珍しく残った旧家の様で興味深い。その先大正大学の構内に立つさざえ堂の様な建物は●すがも鴨台観音堂というようだが、以前には無かった建物で、平成25年の完成だそうだ。大正大学は仏教各派の連合的な大学であり、仏教精神を体現できる施設だそうで誰でも入れるという。今回は通過するだけ。 13:45

■大正大学~板橋駅
 明治通りを越すと、北区に入る。通りには●ふれあいの街、滝野川銀座」という幟が街路灯に下がっている。人通りはかなり少ない。
 埼京線の線路が見える手前は幕末の刑場跡で、左手を入った駅前に●近藤勇の墓がある。明治8年に元隊士「永倉新八」が土方歳三を加えて墓碑を建立したもの。その●永倉の墓も左隣に建てられている。
  さて埼京線を越すと板橋宿の一角「平尾宿」へ入って行く。 14:00

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