59 今須宿から柏原宿へ 歩行地図
 平井口-中町-西町-滋賀県境-長久寺-柏原  3.2 km
59 今須宿
 美濃路16宿最後の宿で、歴史的には1360年、この地方の守護代として勢力を持っていた長江重景が母妙応尼の菩提を弔うために妙応寺が建てられ、以来門前町として発展した。江戸時代宿場としては美濃国と近江国の境の宿として栄えたといわれる。地形的には狭い山峡の地で、現在は東海道本線、名神高速道路、国道21号がひしめきあい、往事の姿を偲ぶ物は少ない。
本陣1 脇本陣2 旅籠13

2009年10月25日関ヶ原宿からの続き
平井口~今須橋
  今須峠は国道21号線に合流する。現在の今須峠は車が通りやすくするため、峠道を削ってある。左側に、平成2年に復元された一里塚がある。昭和30年に国道の工事で取り壊されたものを、少し東側に再建したもので、エノキが植えられていた。  11:45

今須橋~妙応寺
 一里塚に続き、国道に沿って下って行く道が旧中山道である。しかし最初今須宿へと矢印が書いてあった看板が変に左向きになっていたので、左折してしまい、「平井道」という道を500mも行ってしまって、高速をくぐってから気がつき、旧道に戻るまで1kmもロスしてしまった。  宿入口の今須橋渡ると左側に 常夜燈 が立っていた。 12:05

 今須小中学校前辺りが本陣跡で、案内板が立っている。本陣は1軒で、現在の小学校と支所付近一帯に位置していました。また脇本陣は美濃16宿の中でも当宿のみ2軒あり、各々小学校駐車場辺りにあったのです。ということだけど、本陣も脇本陣も建物はもう残っていない。 学校の向かい側が「妙応寺」門前で、寺へはJR東海道本線の下を通るようになっている。 当寺は正平15年(1360)に、今須領主長江重景が創建した、県下で最も古い曹洞宗寺院です。その後土地の寄進で経済力は伸長し、徳川政権下での寺領高20石の安堵は、明治維新まで永く続きましたという。

妙応寺~車返し坂
 ●今須宿の町並
 町並としては古い家が2.3残るだけであり、途中、商店など1軒もなく、そろそろ昼時でなにかあるかと期待したけどなにもなかった。地図では国道に一軒コンビニがあるようである。   右手の建物は問屋場跡。案内では・・江戸時代、人や馬の継ぎ立てなど行ったが、当宿には一時7軒もあり全国でも珍しいとのことでした 美濃16宿のうちで、当時のまま現存し、その威容を今に伝えているのはここ「山崎家」のみです。縁起物の「永楽通宝」の軒丸瓦や、広い庭と吹抜けなどから、当時の繁栄振りがうかがえます・・ということだった。12:12

 左手にある「常夜燈」は京都の問屋、河内屋が建立したものといわれ、河内屋は大名の大切な荷物を途中で失ってしまったが、金比羅さんに願をかけたところ、ここ今須宿にあることが分かり、お礼にこの常夜燈を建立したという。
 右手に「法善寺」、左手に「八幡神社鳥居」を見ると宿はずれで、八幡神社には大きな常夜燈が置かれている。しかしこの宿にはなぜか常夜燈があちこち目に付く。この先信号の所にもあった。  12:20

車返し坂~寝物語の里
 国道手前の左側に坂になっている所が「車返しの坂」という場所で、南北朝の昔、公家の「二条良基」という人が、「荒れ果てた不破の関屋の板ひさししから、もれる月の光が面白い」と聞き、わざわざ都からやってきた。ところがこの坂に来た時、屋根を修理してしまった、ということを聞き、車を引き返したという話が残っている。 国道を横断し、東海道線の線路を越えると、右手に「おくのほそ道 芭蕉道」という標柱が立ち、芭蕉句碑が建っている。句碑は昭和52年建立の新しいもので、野さらし紀行の芭蕉がここを過ぎるとき詠んだ句」が彫られている。  12:30

寝物語の里~柏原
 句碑からほんの先が近江国との国境になる。ここに「寝物語由来碑」が立つ。県境の印は細い溝になっていた。この溝を挟んで両国の茶屋や旅籠があり、壁越しに「寝ながら他国の人と話し合えた」ので寝物語の里の名が生まれたといわれている。また一説では平治の後、源義朝を追ってきた常盤御前が「夜ふけに隣り宿の話声から、家来の江田行義と気づき、奇遇を喜んだ所とも伝えられています。寝物語は中山道の古跡として名高く、古歌にも歌われ、広重の「今須宿」はここが描かれている。ここでようやく落合宿から始った美濃の旅も終ったわけである。4日と半日かかった。
 抜けると旧道は「楓並木」の中を歩いて行くが、ここの楓並木は明治になってからのもので、江戸時代は「松並木」だったという。  12:40

 右に神明神社の鳥居を見て行くと、鳥居脇に旧東山道の道が少し残っており、「東山道」の道標が立っているので、山道を入ってみた。この道はすぐに中山道と合流している。
 旧道は「野瀬踏切」を横切って左手に行くのだけど、渡らないでそのまま右手へ折れて行くと、途中に白清水の旧跡がある。「倭建命(やまとたけるのみこと)」が伊吹山の神に悩まされたが、この泉で正気づいた。とか照手姫の伝説で「 姫の白粉で、清水が白く濁った ことから、泉の名が付いた。」と案内にある。泉は小さく石組だけであった。

 線路を越えると柏原宿というらしいが、右手にある照手姫笠地蔵の先からという説もあり、距離を測ると短すぎるので、この先から柏原宿ということにしたい。お堂の中に2体の石仏があり、表に長い説明板が架かっている。右側の背の低い石像が照手姫笠地蔵で、説明が長く簡単にまとめられない。要は姫が夫を助けるため地蔵に祈ったところ、お告げをうけ、熊野で療養させ全快したのだという。お堂を過ぎると柏原宿である。真っ直ぐな道が続いている。  13:00

 
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