中 山 道
 






   TOP
   日 本 橋
 1  板 橋 宿
 2  蕨   宿
 3  浦 和 宿
 4  大 宮 宿
 5  上 尾 宿
 6  桶 川 宿
 7  鴻 巣 宿
 8  熊 谷 宿
 9  深 谷 宿
 10 本 庄 宿
 11 新 町 宿
 12 倉賀野宿
 13 高 崎 宿
 14 板 鼻 宿
 15 安 中 宿
 16 松井田宿
 17 坂 本 宿
   碓 氷 峠
 18 軽 沢 宿
 19 沓 掛 宿
 20 追 分 宿
 21 小田井宿
 22 岩村田宿
 23 塩名田宿
 24 八 幡 宿
 25 望 月 宿
 26 芦 田 宿
 27 長久保宿
 28 和 田 宿
   和 田 峠
 29 下諏訪宿
 30 塩 尻 宿
 31 洗 馬 宿
 32 本 山 宿
 33 贄 川 宿
 34 奈良井宿
 35 薮 原 宿
 36 宮ノ越宿
 37 福 島 宿
 38 上 松 宿
 39 須 原 宿
 40 野 尻 宿 
 41 三留野宿
 42 妻 籠 宿
 43 馬 籠 宿
 44 落 合 宿
 45 中津川宿
 46 大 井 宿
 47 大 湫 宿
 48 細久手宿
 49 御 嶽 宿
 50 伏 見 宿
 51 太 田 宿
 52 鵜 沼 宿
 53 加 納 宿
 54 河 渡 宿
 55 美江寺宿 
 56 赤 坂 宿
 57 垂 井 宿
 58 関ヶ原宿
 59 今 須 宿 
 60 柏 原 宿 
 61 醒ヶ井宿 
 62 番 場 宿
 63 鳥居本宿 
 64 高 宮 宿 
 65 愛知川宿 
 66 武 佐 宿 
 67 守 山 宿 
 68 草 津 宿 
 69 大 津 宿 
 50 伏見宿から太田宿へ  歩行地図  
 伏見公民館-上恵土-可茂公設市場-住吉-太田橋-木曽川堤防-太田  6.8 km

50 伏見宿
 伏見宿は元禄7年(1694)に新設された。これは木曽川の流れが変化して、渡し場の位置が上流へ移動したため、それまでの土田宿は廃宿となり、上流に位置する伏見宿が宿場となったことによる。しかし全くの新設ではなく、それ以前の文献に既に伏見までの駄賃記録等があることから、古くから宿場として存在はしていたと思われる。宿北方に木曽川を利用する「新村湊」と呼ばれる「舟着き場」があり、商業地としても賑わっていたが、舟運の衰退と共に宿の役割は終っていった。
本陣1 脇本陣1 旅籠29

2009年8月24日 御嶽宿からの続き
 14:01
■伏見公民館~伏見交差点
 ●国道21号線を西へ進み、「名鉄・八百津線」跡だったらしい場所を過ぎると「伏見宿」へ入ります。(八百津線はすでに廃線になっている
 左側に公民館が見え●「「本陣跡」碑が立っている。国道に面しているためか、当時の雰囲気は全く残っていない。ただ碑が立つのみだし、実際は道路を隔てた向かい側にあったといわれている。本陣は岡田与治右衛門が務め、門構えと玄関がある建坪120坪の屋敷だったという。

 本陣跡碑と同じ場所に「是よ里東 尾州領」という●境界碑があります。
 続いて伏見信号交差点右角に、きれいに整備され●一本松公園ができていて、角に●道標が立っています。 「右御嵩」「左兼山 八尾津」と彫られていて、新しいものと思われる。
 公園は松を中心にトイレやあずまやがあって、伏見宿の面影を醸し出すような建物を配置していますということだった。

■伏見交差点~上恵土
 交差点の左手に旅籠屋だった卯建が乗る●「三吉屋」があり、当時の雰囲気を唯一留めている。当時は旅籠と生薬を売っていた。
 右手に「東濃実業高校」が見えるあたりで宿が終ってしまい、宿を出ると国道は緩く下って行く。左手に●正岡子規の句碑がある。
 すげ笠の 生國名のれ ほととぎす   子規
 と刻まれている。子規は明治24年松山への道中、中山道を歩き、伏見宿に泊っている。  14:20

■上恵土~住吉
 「上恵土」交差点には大正時代の道標があるというが、見逃して通過していsまった。しばらく行った右手に●「上恵土神社がある。 上恵土神社の標柱が立つが、奥の鳥居には「諏訪 神明神社」とあり、色々と合祀されている。
 中恵土交差点角の地下道入り口と国道の間に●一里塚跡の碑があります。実際にはこれより約30m東にあったと書いてある。 14:50

 また、しばらく味気ない国道が続く。愛知用水を越えると右手に可茂公設地方卸売市場というのが見えてくる。ここで国道と分れて右へ入っていく。●JR「大多線」の踏切を渡るが、手前に「辞世塚」というのがある。
 踏切を渡ると「今渡」と呼ばれている所へ来た。「住吉」交差点の先が太田の渡しで賑わったという、「今渡の立場」である。右手に●「今渡神社」の鳥居が立つが、神社は相当奥にあり、とても寄ることはできず、鳥居だけで失礼した。  15:35

■住吉~太田橋
 その先の●「今渡公民館南」交差点で左へ行くと、「日本ライン今渡駅」がある
 道は右へ曲り始めており、やがて●分岐点へきて、真っ直ぐ進む道は古い中山道であって、当初は「土田宿」から対岸の「祐泉寺」へ渡って行っていたが、その後現在の「太田橋」の西100mの所へと渡し場が変っていった。今は「太田橋」を渡るため右折をして行く。15:40

 分岐点から右折して行くと右手に●「浅間神社」がある。浅間神社は派手な社殿が多く、ここも赤い鳥居だけど拝殿などは普通の造りであった。
 太田橋袂右手に「今渡」の渡しを記念した●「ポケットパーク」があり、案内板が作ってある。
 「太田の渡し」は対岸「太田」側で、伏見側は「今渡の渡し」という。川瀬の変化と共に上流へと変更され、最終的には現太田橋下流付近となった。昭和2年まで残り、太田橋の完成とともにその役目を終えました。太田橋のすぐ下流の今渡神明弘法堂下には、渡し場に通じた石畳が今も残されています。ということで、弘法堂は遠いと思って行かなかったが、案外近くて、行けばよかったとちょっと後悔の念あり。

■太田橋~太田
 ●太田橋と木曽川
 太田橋を渡ります。架橋以前は昭和2年まで渡し舟で木曽川を越えていたのは前述のとおり。このあたりの木曽川は水量も多く、川幅も広くさらに水流が急で、「木曾の桟、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」というほど中山道の三大難所の一つであった
 以前は橋が狭、大型車を始め交通量が多かった上に歩道も無く、歩いて渡るのが困難で、現代の「難所」というべき所であったようだけど、現在は歩道橋が隣にできて安全に渡ることができる。下流の犬山までがいわゆる日本ラインで舟乗場が太田橋のたもとにある。 15:45

 ●太田の渡し場跡から今渡の渡し場跡を望む。 太田の渡し場跡付近の河川敷は化石林公園として整備されている。
 木曽川を渡ると美濃加茂市に入る。太田宿まで
●木曽川の土手を歩く。昔は多分川縁を歩いていたのだと思うが、無理である。木曽川の右岸の眺めの良い快適な道でした。この辺に一里塚があったというが、わからなかった。歩いていって見当をつけて、右折したら太田の神明堂交差点に出た。ここが太田宿の入口あたりであろう。 16:20

49 御嶽宿へ    51 太田宿へ