62 番場宿から鳥居本宿へ 歩行地図
 東番場-蓮華寺下-西番場-小摺針峠-望湖堂-国道-鳥居本  4.6 km
62 番場宿
 古代東山道が通っており、鎌倉時代には宿場の機能を果たしていたといわれる。現在の番場地区は東番場と西番場に別れているが、昔の宿場は現在の西番場地区にあり、その後米原に琵琶湖水運の港ができ、東番場から街道が通じたことにより宿場機能が東番場地区に移った。宿の長さは南北1町10間(127m)と中山道中最短の宿場で、下町、仲町、上町と続いていた。
本陣1 脇本陣1 旅籠10

2009年10月25日 醒井宿からの続き
番場~蓮華寺下
 楓並木をくねくねと歩いて行くと、交差点にぶつかった。右手に「中山道番場宿」と書いた大きな石碑がある。角に「明治の道標」があり、右へ行く道は「米原道」といい、米原へ通じている。米原は琵琶湖の埋立てにより内陸になってしまったが、江戸時代は「琵琶湖湖岸」にあって物資輸送基地として栄え、ここから一里ほどだった。現在でも米原駅へ行く主要な道路となっている。その先は東番場地区で、右手に「問屋跡」の標識のある家がある。問屋は6軒もあったという。15:30

蓮華寺下~西番場
 東馬場地区には本陣・脇本陣のあったけど、見るべきものもなく、静かな町並みが続きます。道標を越えたすぐ右手の家が「脇本陣」だった。ここには「明治天皇番場御小休所」碑が置かれている。本陣の方にはすでに何も残っていないという。
 蓮華寺
 番場で一番大きなお寺で、聖徳太子の創建と伝えられる。この寺で有名なのが鎌倉時代後期の元弘3年(1333)、京都合戦で敗れ、ここまで逃れてきた「六波羅探題北条仲時」一行430人余が集団自刃した事件と「長谷川伸」作、「瞼の母」の「番場の忠太郎を記念した「忠太郎地蔵」である。行きたいと思ったが、すでに4時近くなりこの先の「摺針峠」を越さなければいけなく、暗くなると困ると思って断念した。機会をみて来ようと思う。

 蓮華寺を出た宿場の道路は緩く上っているが、この先が鎌倉時代に宿駅だった「西番場」地区で、現在の西番場もすでに古い家もほとんど残っていない。人の姿も見えなかった。
 西番場公民館の隣に北野神社がある。ここの本殿が造が荘厳な感じがするもので、常夜燈も沢山立並び、歴史を感じさせた。
15:45

西番場~摺針峠
 北野神社の境内に面白いものがあった。「まぼろしの礎石」というもので、菜種川で発見された、大きな建物の礎石と見られる、大きな穴の開いた石で、往時に繁栄した番場の姿を彷彿させるということだが、かなり苦しい理由と思う。中山道は緩い上り坂に変わっていて、高速道路がだんだん近づいて来る。

  しばらくは左手を走る「名神高速道路」と並行する。元々の旧道は高速道路上にあったらしい。ちょうど上り切った頂上付近(現在は高速道路のトンネル)を昔は「小摺針峠」と呼んでいた。このあたりが彦根市と米原市との境界にあたる。
 さらに民家が見えてきて、上っていくと、「明治天皇磨針峠御小休所」の石碑がある建物が建つ。ここが峠の頂上で摺針峠の望湖堂跡である。「神明宮」という神社が建っている。望湖堂は峠に建つ茶屋で、旅人は絶景を見ながら、「すりはり餅」を楽しんだという。朝鮮通信使や和宮が休憩されたところで、本陣のような造りあったが、平成3年に火災に遭い、焼失してしまったというのは残念だ。 16:15 

摺針峠~下矢倉町
 階段を上がって、琵琶湖方面を見てみた。夕方で薄暗く、ぼーっとしていた。琵琶湖の水面は埋立てで、見えるはずもなく、水田の向うが琵琶湖なのだろう。当時の摺針峠は琵琶湖を見下ろす絶景の場所で有名だったという。
 峠から下りになるが、途中左手に降りる所があり、「旧中山道」の標識があるので、降りて行った。

下矢倉町~鳥居本
 旧道は手すりのついた細い山道ですべりやすい。一度舗装道路に出て、横断して行くと山道を進むことになった。こちらが本来の中山道だろうと思うと気持が良い。
  旧道はやがて国道8号と合流するが、合流地点には「摺針峠望湖堂」と書かれた石碑が立っている。  16:30

 国道に出ると橋を渡り、すぐ左手に入って行く。これが旧道である
 左手に「おいでやす彦根市へ」と書かれた「モニュメント」が立っている。
  先には「松並木」もわずかに残っているが、そこを歩いて行けば、まもなく鳥居本宿に到着する。この先薄暗い中少し写真を撮りつつ、近江鉄道「鳥居本駅」から彦根駅へ向い、駅前「コンフォートホテル」に泊った。17:00

 
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