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熊谷宿から深谷宿へ 歩行地図
 宿入口-熊谷寺-新島一里塚-玉井-東方-見返りの松  10.9 km
8熊谷宿
 熊谷次郎直実に由来する熊谷宿は、秩父などへの脇道も多く、日本一の規模の本陣を持つなど、交通の要衝として大いに栄えたと伝えられている。宿の規模では中山道69宿の中では本庄に次いで大きかったが、旅籠が19と少なく領主の忍藩の方針で飯盛女が置かれず、隣の深谷宿へ泊まる旅人が多かった為といわれる。昭和20年8月最後の空襲を受け、市内の七割が焼失してしまって、宿場的な遺構はあまり残っていない。
本陣2、脇本陣1 旅籠19

■熊谷駅から石原
2007年4月8日
、熊谷駅8時45分着。前夜の雨も上がり、快晴。早速前回の宿入り口へ向かう。今日の目的は2宿先の本庄まで。本庄といえばその昔早稲田大学、本庄間100キロハイクというのがあったけど、熊谷まではたしか24キロくらいと記憶している。本日もそれ以上の歩きとなると思う。まずは高城神社をめざし市役所方向へ歩く。市役所手前に戦災に免れたような商屋がある。畳店でありました。

●高城神社
 市役所通りの左手にある。大里郡の総鎮守にして、熊谷直実の氏神であった。延喜式式内社で大変古い。社殿は石田三成の忍城攻めの際の兵火で焼失。後に忍城主阿部播磨守が寛文11年(1671)に再興。
●熊野神社
 入り口左手にある小さな祠で、熊谷の地名の起こりを伝える。永治年間(1141~)この地方を荒らし回っていた熊を直実の父の直貞が退治して熊野権現堂を箱田に築き、明治にこの地へ遷したもの。このことにより熊谷の地名が起こったとのこと。
●常夜燈
高さ275cmの青銅製。天保12年(1841)に150人ほどの紺屋により奉納されたもの。江戸時代当地は染色業が盛んで、盛況を知る貴重な資料となっているとあります。8:55

●本陣跡
 本町1丁目の西端。竹井本陣があったところ。敷地1600坪、建坪700坪、47部屋もあって日本一の規模であった。が明治の火災と、戦災で失われてしまった。
●星渓園
 本陣の別邸にあった庭園で慶応年間に竹井澹如(たんじょ)によって作られた。
9:25

●八木橋百貨店を通る旧道
 明治創業の古い店だが、現在の建物は旧中山道を遮断する形で建設された。このため、入口は旧中山道の位置にあり、店内通路が旧道替わりであるそうだが開店前であったので入れずじまい。電柱脇の小さな石は熊谷道路元標です。
●熊谷寺
 寿永3年(1184)熊谷次郎直実が、一の谷の戦いに於て、平敦盛を討ち、世のはかなさを悟り、法然上人の弟子となり、名を蓮生と改め念仏修行し、自分の誕生の地に小さな庵を建てた。その後幡随意上人が寺として再建しその後の発展を見た。幕末焼失し現在の寺は大正年間の再建のもの。しかし開門は日曜日と法要の日のみということで、本日、日曜日であったけれど開いておらず、フリの一般客はおことわりですと。寺の裏道を歩いてみらレンガ造りの味のある教会に出会った。

■石原から農業試験場
●秩父道標

 この後しばらくは国道17号線を歩く。原交差点の左側。亀の置物が置いてある公園に道標が置かれている。左側は明和3年(1766)の碑で 「ちゝぶ道、志まぶへ十一り」とある。志まぶとは秩父三四カ所巡礼道の第一番四万部寺のことと後で調べた。中央は安政5年の碑で「秩父観音巡禮道、一ばん四万部寺へ、たいらみち十一里」とある。右側は弘化4年(1847)の碑で「寶登山道 是ヨリ八里十五丁」で江戸講中が初登山記念に建てたもの。   説明板
●東武鉄道熊谷線跡地
  昭和58年まで熊谷駅と妻沼町を結んでいた、東武熊谷線という鉄道があり、1両きりの車両が往復していた。以前妻沼町の歓喜院を見るため、これに乗ったことがある。現在は廃線跡が遊歩道として整備されているらしい。地図では「かめの道」という名前がついている。10:10

●新島の一里塚
 国道を歩き、熊谷警察の先で旧道は左に分かれて行く。分かれてから右手に残るのが植木の一里塚で、普通は榎木を植えるが、ここではケヤキが植わっている。
●忍藩領地石標
 一里塚の先にあるもので、忍藩が他藩との領地区分するために立てたもので、安永9年(1790)に木材から石標に立て直された。「従是南忍領」と彫られている。10:35

■農業試験場から東方
●玉井窪川越場跡?

 新島を過ぎ、県農業総合研究センターの所で、17号線と合流し、すぐ右手へ入っていく玉井という地名になる。「細見」では玉井窪川越場といって、満水の時は往来を人足にて渡すことあり・・かなりの川があったことを記す。現在は付近に川など見あたらず、ちょっと先の筋交橋に細い水路が通っているばかりで川跡とは思えないが。17号バイパスまでには黒塀の旧家もある。この先高柳、別府、東方と特に見るものはないので早足で距離を稼いでおく。

■東方から原郷交差点
●熊野大神社

 東方という所の西端に立派な長い参道を持つ神社があるので寄ってみる。由来によると延長五年(927)この地に枇杷の木を棟木にして小社を建て、上野国碓井郡熊野本宮より奉遷し東方と号す・・・とある。現在の本殿は上野台の領主、秋元但馬守景朝長朝が、天正年間に寄進したものである。本殿は塀により近寄れないが、正面の彫刻が見事で、又入母屋造りにして千鳥破風、軒破風をそなえ、複雑な形になっている。参道は300mくらいあり、両側に最近のものだが寄進の常夜燈が並んでいる。

●国済寺
 地名が国済寺となり、17号線に合流する手前に、地名の起こりとなった寺が国道に面して建っている。康応2年(1390)深谷上杉氏の祖、上杉憲英が開いた寺で、総門、三門、本堂が直線的に配置された禅宗様式の簡素な禅宗らしい美しい建物である。特に三門が美しい。

●見返りの松
 中山道はやがて国道と交叉して深谷宿へ入ることになるが、この交差点にあるのが「見返りの松」。深谷に泊まった旅人が江戸に向かう時、振り返って前夜ちぎりを交わした女と別れを惜しんだといわれている。しかし残念なことに排気ガスに負けてしまったか、平成18年2月枯死してしまったそうで、国道事務所の手で二代目が植えられた。初代は樹齢300年とも500年とも言われたそうだ。
深谷宿に続く
13:10

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