24八幡宿から望月宿へ 歩行地 図
 八幡神社−八幡西−百沢−爪生坂−望月  4.2 km
24八幡宿
塩名田宿から二十七丁余りで着いてしまうが、この距離は中山道の中では最も近い距離であった。この理由は当時塩名田宿〜望月宿間はかなりの悪路で、通行に難渋し、荷物の運搬にも支障をきたしたので、一宿を必要としたからといわれる。
小さい宿であったが、脇本陣が4軒もあった。
本陣1 脇本陣4 旅籠3

 2008年7月5日塩名田宿の続き
■八幡神社〜八幡西
●八幡神社
 宿場の名前の由来になったた神社らしく、立派な随神門、本殿を持つ。貞観元年(859)に開かれたと言われ、平安末期頃から武士の信仰があつかった。
●随神門
天保十四年(1843)六月、小諸藩主牧遠江守康哉が大願主となり数百本の材木を、また欅材は川西地方村々の寄進により造営された。17:25

●八幡神社本殿
 江戸時代の再建らしく、彫刻は見事で、こんな田舎?には全く珍しい。本殿は囲ってある例が多く、見ることが出来ない場合が多いが、ここは囲いもなく見ることが出来てうれしい。極彩色を施したと思われるが、その色も現在はかなり剥がれだしている。
●旧本殿高良社
天明3年の現本殿を作ったとき、旧本殿を高良社として移築ものれます。国の重要文化財に指定されています。三間社流造りで、屋根はこけら葺、室町時代の特徴を伝える。 説明版

 ●町並み
 宿間7町25間程度、東端に枡形があった。ここの特色は脇本陣が4軒もあったことで、千曲川を越えると悪路が続いているので休憩する大名が多かったせいであろうと考えられる。ところどころに古い家が残っている。

●八幡宿本陣門

 本陣を勤めた「小松家」。建物は建て替えられているが。本陣の門だけが残る。
18:45

 ●立派な屋敷門を持つ家もありますが、特に案内がないので、どういう家かよくわかりません。脇本陣4軒の場所はわからなくなっている。
 宿場町の中心部を抜けて八幡入口バス停の先から右へ旧道が200m程残っている。

■八幡西〜百沢
 ●「八幡西」交差点で県道に合流する。広い道路に変わってしまうが、しばらく歩いて行くと、望月町に入る。かなり時間がたっているので、本日30kmを過ぎるけど、急ぎ足になり、ずんずん進む。「布施川」に掛かる「百沢橋」を渡ると、右手に再び旧道入口があり、ここから旧道の雰囲気を感じながら、緩い登り坂を歩く。このあたり「百沢」と呼ぶ。
18:00

●百沢の道祖神
 旧道の出口付近に百沢の道祖神」と呼ばれて地元で親しまれている「道祖神」が見えてくる。ここの道祖神、地元では「祝言道祖神」と呼ばれており、珍しい宮廷貴族の装いをした「双体道祖神」として人気がある。バス停「瓜生坂」に変わると再び右手に●旧道入口があり、ここからはちょっとした山登りで、いささかつらかった。雨も降っている。
18:15

■百沢〜望月
 一里塚跡」が見えてくる。●「瓜生坂の一里塚」(望月の一里塚) と呼ばれていたもので、45番目の一里塚だった。里塚跡を出ると道路は左に曲がっていて、曲がると角に瓜生坂百万遍念仏塔」が見えてくるが、当時ここは眼下に「望月宿」が見おろせる景色の良い場所で知られていたという。かなり薄暗くなり、雨も降っているので、そんな雰囲気ではなかった。18:30

 旧道は狭く曲がりくねった坂道だが、途中には「石尊大権現」「道祖神」「御岳神社」「百万遍供養塔」「馬頭観音」など多くの「●石碑群」がまとめられていて、これらは「長坂の道祖神」」とも呼ばれている。石碑群の残る長坂を降りると「長坂橋」を渡り、さらに曲がりくねった細い道を歩くと、やがて望月宿が見えてくる。
19時前 宿の「山城屋」へ到着した。

 
23 塩名田宿へ  
 
25 望月宿へ