34 奈良井宿から藪原宿へ 歩行地図
 奈良井宿−鉤の手−鎮神社−鳥居峠入口−中の茶屋−頂上−薮原  5.3 km
34奈良井宿
 難所:鳥居峠を控えて宿を取る旅人で栄え、また「漆器」作で有名でもあった。その様は「奈良井千軒」と謳われ木曽路一番の賑わいであった。奈良井川に沿って約1kmの中山道沿いに町並みが形成されています。江戸寄りから下町、中町、上町に分かれ、中町と上町の間に鉤の手がある。宿は江戸時代そのままに保存され、江戸時代の面影を色濃く残しています。
本陣1 脇本陣1 旅籠5

2009年6月7日贄川宿からの続き 14:0
■奈良井宿入口
  ●町なみ
 奈良井宿は明治時代の道路改修の際に、国道からはずされたため、江戸時代の町並みが保存され「伝統的建造物群保存地区」の指定を受けています。このような姿を見るのは東海道「関宿」以来。「漆器祭り」のおかげで車が通らず江戸時代にタイムスリップしたような風景を十分に楽しむことができた。宿の右側の建物は強烈な逆光で写真を撮ることは難しい。
江戸時代は平沢よりも漆器が盛んで、旅籠の数は天保14年の記録でも5軒と少ないが、商人の家が旅籠の役割を果していたといわれる。駅の脇に宿の案内板が立っている

●奈良井の建物
 建物の大部分は中二階建で、二階を少しせり出した「出梁(だしばり)造)とし、屋根は元来石を置いた屋根であったが、今日はほとんど鉄板葺きである。めずらしい形では「猿頭」が上げられます。これは庇板を押さえる桟木のことで猿の頭が重なったように見えるためこの名で呼ばれています。連子格子や二階正面に「袖うだつ」をもつものも多く、特徴のある町並みを作っている。
 左手の大きめの店は●「さわや漆器店」 

●再現・茶壺道中
 ちょうど祭のイベントの一つの「茶壺道中」の行列に出くわした。江戸時代に、「宇治茶」京都から将軍家に献上するため、茶を詰めた茶壺を運ぶ行列が行われ、東海道、中山道、甲州街道が使われた。
 これを「茶壺道中」と呼び、1633年から徳川幕府が倒れるまで延々と続いた。将軍と同列の格式を持ち、数百人から数千人の規模になったという。行列の間、沿道の農民は農作業もできず、かなり迷惑をしたようで、行列の様子は、童謡の「ずいずいずっころばし」で歌われている。

 ●「杉の森酒造」は奈良井宿にある典型的な町屋建築である。切妻平入りの中2階の建物で通常の2階建てよりは軒が低く、出梁造となっています。窓には千本格子を設え、袖うだつがあります。杉の森酒造は寛政5年(1793)の創業で軒の下にぶら下がる杉玉が造酒屋の歴史を感じさせてくれる。
 右手奥に●大宝寺がある。ここには、マリア地蔵尊があることで有名で、抱かれた子供が持つ蓮華の先が十字状になっているので隠れキリシタンが祀ったのではないかと言われているとか。  14:25

■本陣跡〜鍵の手
 寺の先左手に●徳利屋という江戸時代の旅籠屋がある。昭和初期まで旅館として営業し、正岡子規や島崎藤村、幸田露伴も宿泊したという。今は老舗の手打ち蕎麦屋となっている。内部を郷土館として公開もしている。
●上問屋資料館
 問屋と庄屋を務めた「手塚家」で古文書、道具類を展示しており、明治天皇がが宿泊した記念碑が立つ。

■鍵の手〜鎮神社
 宿を進んで行くと、右に曲る所があり●鍵の手と呼ばれている。再び左に曲る手前に「水場」がある。ここからすぐ右手に●中村邸がある。うだつ、出梁造り、蔀戸(しとみど)、鎧庇(よろいびさし)などに特徴がある。元櫛問屋で、天保8年(1837)の奈良井宿大火の直後に建てられたもの。
14:40

■鎮神社〜鳥井峠
 宿もはずれになり高札場や水場がある。その先に●鎮(しずめ)神社があるその昔疫病に苦しむ人々が病を鎮めるために建立された。神社の隣に楢川村歴史民俗資料館があるが、時間がなく素通り。
 ここで奈良井宿を出て、いよいよ鳥居峠にとりつくこととなる。右手の●石段が鳥居峠の登り口になっているが、本来は資料館脇から急斜面を上がっていくそうだが、道がなく、この階段を上がっていく。
 14:50

■鳥居峠〜中の茶屋
 階段を上がり、一度道路へ出てしまい、道路を100m程上がった所に「旧石畳道」への入口があり、そこへ入って行く。●石畳道はほどよく整備されていて、歩きやすい。「漆器祭り」で奈良井も人出が多かったのだけど、ここへ来るとパッタリといなくなった。熊が出るらしいので、「熊ベル」を盛んに鳴らしておく。
 やがて、葬沢(ほうむりさわ)の案内板がある。1582年、が武田軍と木曽義昌が戦い、破れた武田方の戦死者500人を葬ったという所である。そのすぐ先、右手の●「中の茶屋」は、菊池寛の「恩讐の彼方に」の前半の舞台になった所といわれる。 15:15

■中の茶屋〜峠の茶屋
  中の茶屋から先の道は大部分が崩壊したということで、歩いている道は迂回路ということになる。そんなにけわしいわけではなく、普通の山道。
 やがて、左手に●「峯の茶屋」が見えてくる。中村利兵衛の茶屋があった所で、ここも新しくきれいな建物が建っているがこれは復元されたもの。脇に清水が流れていて、奈良井で水を買うの忘れてしまい、どうしようと思っていたけど助かった。ごくごくと飲んでおく。
 建物の裏を左手に登っていくのが本来の旧道とのことのようだけど、通行禁止になっていまて、●標識により左に入る明治道を行きます。

■峠の茶屋〜御嶽神社遙拝所
 この明治道を少し行くと、いつも話題になる●熊避けの鐘があり、これをガーンを盛大に鳴らしてから下ります。この辺りは栃の木の多く、「鳥居峠のトチノキ群」として木祖村の天然記念物に指定されている 。
 また少し行くと石段と鳥居があり、●御嶽遥拝所が見えてくる。このあたり沢山の石碑や石仏が残っている。ちなみに「鳥居峠の」の名前は「木曽義元」により「鳥居」が再建されたのでこう呼ばれるようになったとか。現在の鳥居は明治8年の再建になるもの。 15:40

■御嶽神社遙拝所〜丸山公園
 鳥居の奥に●御嶽神社がある。人っ子ひとりおらず、神社の周囲には貴族姿の神像もあり、鬱蒼として不気味な感じがした。
 急な坂を降りた右手、少し上った所に●「義仲硯水」の旧跡がある。昔、木曽義仲が平家打倒のため旗揚げして、北国へ攻め上がるとき、鳥居峠の頂上で、戦勝祈願の願書をしたためるのに使った水と伝えられている。

■丸山公園〜薮原
 硯水の旧跡がある場所は広場になっていて●「丸山公園」という。ここにはまた多くの石造物があり、また「鳥居峠古戦場の碑」や★芭蕉句碑などが立っている。案内板
 公園からは薮原宿へ向って下るだけであり、所々 熊よけのベルが立っているので盛大に鳴らしつつ下る。途中一部●石畳道も造られている。 

 やがて「鳥居峠」も終って、●舗装道路へ出た。入口の階段にとりついたのが14時50分で、ここへ着いたのが16時10分だったので、所要1時間20分ほど。峠では誰一人で出会わなかったので、少々心細い思いがしました。
 薮原駅に向って行くと●飛騨街道との分岐点に出ます。右手高台に尾張藩薮原御鷹匠役所跡の標柱が立っている。
 さてここから薮原宿へ入るわけだけど、宿をここに取ろうと思って、有名な「こめや」へ申込んだら、一人客は泊めてくれず、駅前の旅館もだめで、やむをえずJRで塩尻へ戻り、昨日と同じホテルへ泊った。「薮原駅」は700mほど先なので薮原の写真を撮りつつ駅へ向いました。  「薮原駅」着 16:40

 
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