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 38 上松宿から須原宿へ  歩行地図 
 上松宿-上町-本町-上松小-寝覚の床-小野の滝-立町-倉本-上郷-須原    12.7 km

38 上松宿
 日本橋から38番目の宿場で、江戸寄りから上町、本町、仲町、下町の4町から成り、たびたび火災に遭い、町並みは新しいが、上町だけ焼失を免れ、宿場時代の町並みを残している。
 上松宿は木曽の木材の中心として栄え、江戸時代、尾張藩は材木役所を設け、明治時代国有林となった。上松駅付近は木材の一大集散地となり大いに発展をとげた。上松町の「赤沢自然休養林(赤沢美林)」は、木曽檜をはじめサワラ・アスヒ・ネズコ・コウヤマキ(木曽五木)が林立する天然林で、伊勢神宮などの御神木を切り出す場でもある。
陣1 脇本陣1 旅籠35

2009年7月24日福島宿からの続き 
 15:50
 福島からずーとやって来て、上松の宿入口に着いた。午後4時前で次の須原宿は13㎞ほどもあり、途中の「寝覚ホテル」で泊まる予定。暗くならない内に「寝覚の床」も見ておきたいと思う。
■十王橋交差点~玉林院
●上松宿入口
十王橋の交差点の左側に●「中山道上松宿入口」の標柱が建っており、左斜めに行く道が上松宿の入口である上町になる。 ここに高札場跡があり、その後ろに●石仏群が沢山並んでいる。ここにはかつて十王堂があった場所だが、慶応2年
(1866)の洪水で流されてしまったのだが、そのとき一緒に流され、下流で発見された石仏を集めて祀ったのだそう

 ●上松宿の町並み
 上松宿は戦後何回も火災にあっているが、特に昭和25年(1950)の大火では上町以外の上松宿がほとんど焼失してしまったという。その為全町ほとんどが耐火建築になってしまったが、火災からまぬがれた上町には●出梁造りの家が並び江戸時代の雰囲気がよく残っている。道幅も昔のままであり、大戸や格子戸などがよく残されている。また宿中央で「くの字」型に曲げてある。  15:50

■玉林院~上松駅前
 右に曲がった先左手に木曽家16代目義元の二男玉林が創建した玉林院という寺があり、ここの山門は明和3年(1766)の造営。上松町指定文化財だが写真撮るの忘れた。
 この寺の裏山に町指定史蹟●天神山木曽氏館跡がある。それによると木曽家19代義昌の弟義豊が上松蔵人と称して、この天神山に居館を構えていたとこのと。
 この辺りは本町で、右手に、●脇本陣だった「原家」 「脇本陣 総庄屋 問屋役」と看板が掛っているというけどわからなかった。

 左手には本陣だった●塚本歯科医院がある。現在は歯科医院を開業していて、昔の面影は全くない。建物も焼失して新しい家であるが、裏の土蔵は焼け残って資料が保存されているという話。
 道が桝形に右に曲る角に●一里塚跡がある。京より65里、江戸より72里という。桝形を右に曲がると国道に出る。仲町、下町と昔は宿の中心であった所。今も町の中心街となっている。「下町」交差点を左折して、左の細い道を上がっていく。正面に「旧中山道、目覚め床」への案内板が見える。16:15

■上松駅前~寝覚の床
 坂を上がった左手に「上松小学校」があり、校門に「藤村文学碑」があり、校庭の脇に●「尾張藩上松材木役所御陣屋跡」の碑と案内板がある。尾張藩は、木曽総山検見を行い、に山村代官から管理権を取り上げて藩直轄とし、この向かいに材木役所を置いた。
 同じく校庭の脇に●諏訪神社の鳥居が建っている。上松宿の鎮守の神様として古くからあった。諏訪からではなく、教徒から勧請したため、御柱は立っていない。拝殿はなんと校庭の奥にあった。お参りするには校庭を突っ切って行かないといけないようだ。  16:27

 この先、やがて有名な「たせや」と「越前屋」が見えてくるが、4時半を過ぎたので、遅くないうちに寝覚の床を見ておこうと、この2軒の間の急坂を下りて行く。
国道を横切ると、寝覚の床の入口で、おばさんに「何時まで?」と聞くと「まだ大丈夫」というので、200円を払い入った。ここは●臨川寺の庭園でもあり、見晴台から眼下に寝覚の床の全景が見える。川まで結構な距離をぶっ飛んで下りて行って、●「寝覚の床」の奇岩風景を撮影した。
 臨川寺には「浦島太郎」が玉手箱を開けた場所という伝説があり、宝物館には他党の使用した「釣竿」があるという。庭には、尾張藩第四代藩主が建てた弁財天などがある。ここで本日の行程は終り、国道の脇にある「寝覚めホテル」でゆっくりした。 17:10

2009年7月25日 少々の雨模様
■寝覚の床~小野の滝
 ホテルから急坂を上がり「たせや」脇へ戻ってきた。8:07
●「たせや」と越前屋
 ここの場所は「寝覚」と呼ぶ立場で、「寿命そば」が名物でとても人気があったそうだ。「たせや」と「越前屋」という茶屋が江戸時代そのままの姿で残っている。赤いポストのある方が「たせや」。現在は両方とも民宿を経営し。越前屋の方は、そば屋を今ではこの下臨川寺前の国道で営業を続けている。

■小野の滝~串ヶ下
 この先ずっと歩き、滑川橋を渡り、老人ホームの脇を通り、下りの道が続き、やがて中央線のガードをくぐり国道19号線に合流する。合流してすぐ左手に●小野の滝がある。広重の浮世絵の「上松」はこの小野の滝が描かれている。明治42年に鉄道の橋脚が架けられて往年の面影が無くなったというが、これはこれで趣が感じられる。
 小野の滝を出るとしばらくは国道を歩くことになるが、左に入るわずかに残った旧道部分があり、入口に●「荻原の一里塚跡碑」が立てられている。この旧道はすぐに国道に合流する。  8:45

串ヶ下~立町
 串ヶ下の先で●左に折れ、中央線のガードをくぐる。線路左手に続く集落は「宮戸村」で、ここから上り坂になる。上り詰めた先の民家の庭先の様な所を抜けると道は●細い草道になり、こんな所が中山道かと不安に思うような道を下って行く。道そのものはのどかで右側にJRが走り見晴らしの良い道だった。
 草道を下ってJRのガードをくぐり国道に出る。すぐ先で左に入るが、すぐに国道へ出て、立町歩道橋で国道を渡る。

■立町~倉本駅
 歩道橋脇に●明治天皇立町御小休所の石碑がある。歩道橋の所から右手に入った先は、「立町立場」があった立町。●道は下り坂で古い家屋も少し残って風情のある町並が続く。ここにも●昔の看板があちこち下げられていた。「唐沢橋」を渡ると、再び国道に合流するが、左手に「JR倉本駅」が見えてくる。昔はちょうど駅手前を左手に入る道があり、「倉本」集落に出ていたという。ここもすでに通行不能で、今は倉本駅を通り越し、先から入って行くしかない。  9:20

■倉本駅~大沢橋
 無人駅の●倉本駅の先を迂回して行く道は上り坂で、古い家が数軒見える。左折して右折した下り坂を下りて行く。左側に●庚申塔が見えてくる.「天王様の石仏群」などと呼ばれている。この先の民家の駐車場脇の草道を行くのが旧道で、そこを行き、沢ぞいの道へ降りる。本来の旧道は30m程左から大沢川を跨いで国道へ直線的に通っていたものが、消滅してしまったので、右に行って国道へ向かうと大沢橋に着く。  9:45

■大沢橋~上郷
 国道をしばらく行くと、右手に駐車場があり、その一角に●倉本一里塚の跡碑がある。それから又行くと,「池の尻」で国道から右折して坂を下りる。右手木曽川の対岸に●桃山発電所が見える。再び国道19号に出るが、このあたりが上松町と大桑村との境になる。
 さて次は中央線、線路の踏切のない所を越えて、左に行くのが旧道で「上郷のエドヒガンザクラ」があるというのだけど、線路を跨ぐのは問題があり、案内書でも「行かないように」と注意しているので、行くのはやめといた。歩道のない国道を進み、左手に「歩道案内」の標識があり、左に上っていく。ここは段々高くなり国道の歩道という感じではなかった。 10:40

■上郷~須原
 国道と合流する左手に●須原宿の大きな看板が見えてきた。看板に従って左手を行ってしまったが、残念ながら旧道ではなく、旧道は看板の先の細い道を上がっていくらしかった。
 ●須原駅隣に●幸田露伴文学碑がある。それによれば、幸田露伴は、明治22年冬木曽路を旅して須原に泊まり、その経験を基に出世作「風流仏」を著した。
 文学碑の前に大和屋があり、昔からの名物桜の花漬けを売っている。駅の先から須原宿に入る。 11:10

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