39 須原宿から野尻宿へ 歩行地図
 須原宿−本陣跡−定勝寺−岩出観音−旧道分岐−天長院−道の駅−野尻  6.9 km
39 須原宿
 須原宿も他の木曽の宿と同様に、戦国時代に成立していたが、駅伝制度が確立された慶長6年(1601)年、宿場として整備された。正徳年間に木曽川の洪水で流失し、享保2年(1717)一段高い現在地へ移転して。移転の際、他の宿場の良い特徴を取り入れて、宿場造りを行った為、宿場の特色を最も典型的に形作っている所として貴重な存在とされる。
本陣1 脇本陣1 旅籠35

2009年7月25日 上松宿からの続き 11:10
■須原宿〜本陣跡
 ●須原宿の町並
 駅前を通って宿場へ入っていくが、駅前の広い道は旧道ではなく、須原宿の看板の先を行き、細い道を左に入って、旅籠だった家の前に上がってくる道が本来の中山道だったという。
 須原宿は洪水で移転し、計画的に作られているので、宿の良い点を取り入れて効率的に造られている。
道幅を広くとり、真ん中に用水を通し、両方の入口を鍵型に曲げ、さらに中央でくの字型に曲げ敵の進入に備えている。

 宿は上町、本町、中町、茶屋町と続き、宿内には糸瀬山からの地下水が宿場で湧き出して、大木をくりぬいた●「水舟」があちこりにあり、冷たい水が溢れている。昔は多くの旅人がここで一服していたのだろうと思われる。
 須原は大火で昔の面影をかなり失ったといわれるが、それでも●古い格子の入った家もありかなり宿場の雰囲気が残っている。

■本陣跡〜定勝寺
 左手の●本陣跡は普通の民家で、何も残っておらず、看板が立つだけだが、「木村家」が務め、建坪136坪といわれた。
 その向かいの右手は●脇本陣跡「西尾家」で、庄屋、問屋も兼ねていた。現在酒造を営んでいて、「木曽のかけはし」というお酒を造っている。現在の建物は明治20年の火災で焼けた後の再建で、昔の面影は留めていないが、土蔵が焼け残り、宿関係の貴重な史料が残されているとか。
11:20

 宿を進んで、左手に「三都講」の看板を掲げる、古い旅籠の面影を残す家は、●旧旅籠屋「かしわ屋」で、「三都講」とは「御嶽山参拝」の講元という。ガラス戸以外は昔のままだそうだ
 この辺りで宿は終り、「枡形」の案内板が立っていて、右手の方へ下りて行くのが旧道である。
 現在では枡形の所を直進するようになっているが、昔は「お寺小路」と呼ばれ行き止まりだったという。左手に「定勝寺」がある。
 重要文化財というので立ち寄ってみた。
11:30

■定勝寺〜岩出観音
  定勝寺は1387年木曽親豊が木曽川付近に創建。その後木曽川の洪水で荒廃したものを、15988年犬山城主石川光吉がこの地に再建した。桃山時代建造物の●山門の外本堂・庫裏は国の重要文化財。明治天皇須原行在所にもなった所。●境内の庭園がよく手入れされ美しい。
 「枡形」の所へ戻って、真中に用水が流れ、左右に家があるという宿場の原風景をとどめるという中を下って行く。

■岩出観音〜道の駅「大桑」
 橋場の集落に入る。「伊奈川橋」手前で、左に入っていくと前方に●岩出観音が見えてくる。懸崖造りで木曽の清水寺と呼ばれているそうだ。橋を渡りしばらく行くと「初期の中山道」との分岐点へやってくる。ここを左折する。ここを直進する道は「初期の中山道」といわれ、洪水かなにかで消滅したので代わりに左折する道が造られた。この道は木曽川から離れた●山を回り込む道で、かなり歩いて行く。途中、左手に「天長院」があり境内のお地蔵様はマリア地蔵と呼ばれているそうだが、寄っていく元気がなかった。今日は「妻籠」まで行くのでこの先まだ長い。ようやく「大桑駅」の先で国道と合流する。12:00

■道の駅「大桑」〜野尻宿
 国道を行くと左手に●道の駅大桑がある。ようやく食事にあるつけた。トイレ休憩などして、道の駅を出ると●自動車工場付近から右手に入って行く。  旧道は途中線路を横切り、木曽川沿いに移って行く。この道もしばらくすると再び踏切を横切って、線路左手に出ると急坂で知られていた「くら坂」で、野尻宿入口である。
13:15

 
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