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諏訪宿から塩尻宿へ  歩行地図
 番所跡-本陣跡-富士見-東堀-今井-塩尻峠-東山-柿沢-塩尻宿  11.45km
29 下諏訪宿
 中山道唯一の温泉場として知られ、和田峠を越えてきた旅人にはくつろぎとなる宿場であった。諏訪大社秋宮の門前町としても栄えた。また甲州街道の終点でもあったので、甲州街道からも人々が大勢集って賑わい、宿場の規模も大きかった。


本陣1 脇本陣2 旅籠40

 2009年6月6日。あずさ号により下諏訪駅、10時02分到着。ほぼ1年ぶりの中山道になります。今年の1月に東海道を歩き終り、今年は中山道を終えたいと思います。本日は洗馬あたりまで行って、ホテルがないので塩尻で泊る予定。
■下諏訪駅~来迎寺
 下諏訪駅を降り、北上して「武藤工業」の脇を行き右折すると「御作田神社」付近へ出る。ちょっと行くと、●番所跡があり、ここが宿の入口だった。ここから上坂になり、国道に出るが、左側に●来迎寺がある。ここは「和泉式部」の伝説が残るお寺です。 10:35 

 ・・・・畑に届ける弁当の一部を地蔵に供えていた心優しい娘「かね」が、ある日主人に見つかり火箸でたたかれて額を負傷したが、地蔵にすがると地蔵の額へ傷が移り、自分は傷ひとつなくなった。かねは後に京へ上り、和泉式部となり、この地蔵を本尊としていたという・・・・。詳しい内容は寺の前に案内板が立っており、そちらを読んでほしいけど、境内には後に都から背負われてきたという銕焼(かなやき)地藏堂●式部の歌碑●式部供養塔などが立っている。

来迎寺~高札場跡
 来迎寺の先、左手には問屋も兼ねていた●岩波本陣跡がある。ここには和宮が宿泊をしている。建物の半分と中山道随一と言われた庭園が残されているといわれているが寄る時間がなかった。
 その先は甲州道中・中山道合流之地であり、碑が立っている。その奥には●綿の湯の記念碑がある。諏訪明神の「八坂刀売神」が綿に含ませて湯玉にして、温泉を運んだと言う伝説からこの名が付いた。 10:40

 甲州街道との分岐点を右折して、中山道へ向います。右手の角にあるのが脇本陣だった●「まるや」跡。現在も旅館を経営している。前回和田峠を下りてきた時、くたびれたので休憩をした所。その向かいは旧旅籠「桔梗屋」がある。このあたりが宿の中心地であったと思う。また綿の湯記念碑の隣に、賑わっていた時代の宿のタイル絵が架かっていて、当時の雰囲気を感じることができる。
 右折した左手には●「民俗資料館」がある。ここも昔は旅籠屋で当時の建物のままだという。  

■高札場跡~富士見橋
 宿内を歩き、右手に「時の科学館」などがあり、先の左手には●「高札場跡」なども復元されている。
 高札場を出ると国道に出てしまう。
国道を進み、少し先で道は2つに分かれ、左手の道を進みます。少し行くと左手に●「魁塚」というのがある。ここは幕末、相楽総三率いる赤報隊がにせ官軍との汚名を着せられ処刑させられた場所で、その隊員を慰霊している。  11:00

■富士見橋~東堀交差点
 旧道はやがて突当ってしまうが、正面民家の間に中山道の標識があり、狭いところを通り抜けて、●砥川の堤防に上る。昔はここに道があったということだけど、川で通行不能で、右に見える「富士見橋」を渡って行く。
  旧道部分に戻ってから、進んで行くと右手に●「平福寺」がある。ここに「中山道の案内図」が立てられ、境内には「日限地蔵尊」という変ったお地蔵さんがいて、日を限ってお願いすると願いがかなうという。 11:25 

 「長池中町」交差点の向いに「右中山道 左いなみち」と書かれた●道標があり、ここを左折するのは、伊那街道と「呼ばれる。慶長7年制定の当時の中山道はここから「三州街道」の小野に出て、牛首峠を越えて木曽の「桜沢」へ出ていたといわれる。しかし元和2年(1616)現行の「塩尻」を通るルートに変更された。この変更には中山道開通の奉行「大久保長安」の失脚が絡んでいるということだが。交差点を過ぎると●緑が深い生垣が多くなって気持の良い道が続いていた。 

■東堀交差点~今井・茶屋本陣跡
 
「東堀」交差点を横切るとすぐ右手に「東堀一里塚跡」がある。工事車両が止っていて、あやうく通り過ぎるところだった。江戸より五十六番目のもの。塚は残っていない。
 横河にかかる大橋を渡り今井という所に入る。途中のあちこちに道祖神が立っている場所であった。
 左手に●「明治天皇今井御膳水」と「今井番所跡」の碑がある。ここが塩尻峠を控えて賑わった「今井立場」で、向側に●「今井茶屋本陣」だった今井家の大きな屋敷がある。「明治天皇今井御小休所」という碑も立つ。   12:15

■今井・茶屋本陣跡~石舟観音
 この先段々上坂になってきて、峠に入って来る。岡谷ICジャンクションの上を通り、かなり急な上り坂になる。このあたりきちんと「中山道」の案内板があって、迷うことはなく安心だった。右手に●階段が見え、上がった先に「石船観音」がある。●お堂には、わらじが多数奉納されている。足腰に御利益があったどうだ。観音を右手に入って行くのが旧道で入るとすぐ右手に●「金明水」と呼ばれる清水が落ちている。飲める用でカップも置いてある。飲んでみたけど味はうまくもなく、まずくもなく・・・というところ。  12:35

■石舟観音~塩尻峠頂上
 いよいよ●峠道に入り、左手にある「大石」という不思議な石を見ながら、急坂をどんどんどんと上がって行く。頂上までの距離は長いとは思わなかったけど、峠道を行くのは昨年の[東海道・鈴鹿峠」以来で結構汗かいた。20分くらいで到着した。●頂上には浅間神社石碑や明治天皇塩尻御野立所」などの碑が立っている。「熊出没注意」などという物騒な看板もあった。頂上付近は「塩嶺御野立公園」という公園で展望台がある。 12:55

塩尻峠~長野自動車道・みどり湖PA
 展望台に上がって見た●風景は絶景で、「諏訪湖」全体がよく見えた。天気があまりよくなく、コンパクトカメラではうまく撮れなかったけど、案内板の写真ではこんな感じだ。 
 案内板に沿って降りはじめた。下りの坂道も急坂で、すぐ右手に、「明治天皇塩尻嶺御膳水」の碑があり、使用したと思われる●井戸が残っていた。左手茶屋本陣跡の家があるが、普通の民家で現在も住んでいるようではあった。 13:00

■みどり湖PA~塩尻宿入口
 しばらく行くと右手に2体の地蔵がある。その横に「伝説夜通道」と書いた標識があり、この辺の美しい娘が親しい仲になった岡谷の男に会うためにこの道を通ったという伝説が書かれているが、それらしい道もなく、地蔵とも関係なさそうでなんのことだかよくわからなかった。
 やがて左手に●東山一里塚跡が見えてくる。ここは塚が残っていた。この後国道に合流し、また右手の山道へ入っていく。途中「お釜」が逆さに置いてあったりするおかしなこともある。やがて●「長野自動車道・みどり湖PA」の上を通過する  13:55

 PAを過ぎると「柿沢」と呼ばれている集落で、昔は「立場」で賑わっていた場所といわれる。
 左手に「首塚」の案内標識があるので、左に入って行くと案内標識があり、畑の中に●「首塚・胴塚」がある。天文17年、武田信玄と小笠原長時とが戦った塩尻合戦の戦死者両軍合わせて千余人葬った跡碑である。
 下柿沢の交差点を過ぎ、二つに分れた右の道を行くと右手に●永福寺観音堂がある。木曾義仲が信仰した馬頭観音を本尊としており、仁王門は堂々としたつくりで、市の文化財指定である。ここを過ぎると次の「塩尻宿入口」が見えてくる。  14:25

 
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