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 36 宮ノ越宿から福島宿へ 歩行地図
 葵橋-義仲館-本陣跡-原野-栗本-上田-木曽福島        7.8 km

36 宮ノ越宿
 中山道のちょうど中間地点に位置し、脇街道の伊那へぬける権兵衛街道との追分ともなっていた。宿はあまり特徴のある宿場ではなく、むしろ木曽義仲が挙兵した地として知られており、挙兵の地「旗挙八幡宮」、義仲の墓がある「徳音寺」など義仲にちなむ旧跡が多い所である。
本陣1 脇本陣1 旅籠21

2009年6月8日 藪原宿からの続き
 ■藪原入口~本陣跡
 ●宮ノ越宿の町並み
  ここは特に特色のある宿場ではない。明治16年に大火にあい、本陣以下焼失してしまった。その為あまり旧跡は残っていないが、出梁造りの家をいくらか見ることができる。
 木曽川水が用水として使われ、中央を流れていたというが、東側へ移されて往時の面影はないということです。月曜日とあって誰もいなかった。 10:50

 木曽川にかかる義仲橋を渡り、その先右側に平成4年に開館したという、義仲の生涯に関する歴史資料をおさめた●義仲館へ行ってみた。月曜日なので閉館だった。中庭を見渡しただけ。   門をくぐると正面に、左に長刀をもって立つ●巴御前と右に腰をおろした義仲との像が立つ。巴御前は武者のように勇敢だったという。
 義仲は近江の粟津で戦死をしていて、その墓は大津の「義仲寺」にあり、東海道を歩いた時見ている。隣の「徳音寺」の義仲と巴御前の墓があるといわれ、どちらが正しいのだろうか。 

 本陣跡一里塚
 元の道に戻り、さらに西へ進み左手に●宮ノ越宿本陣跡がある。案内によると・・徳川幕府により中山道69次の宿駅制度確立とともに整備され、明治3年(1870年)の宿駅制度廃止まで続きました。建物は明治16年の大火で全焼し、現在は本陣の跡地の案内看板が現存されております・・・
 その脇に「江戸より六十六里三十五丁」「中山道宮越宿」標柱が立つ。 またその先左側に、●明治天皇御前水の標札の立つ井戸があり、石積は当時のまま。1886年頃飲用水のため堀った井戸で、昭和初期まで近郷一の名水として生活を支えたといいます。 11:15    

 ■一里塚~原野
 すぐに宿場外れで、道はゆるい坂道を下る。途中左手に立派なナマコ壁の「土蔵」があり、その先に何と書いてあるかわからないような木柱が立っているが、「一里塚跡」の立板と思う。●「宮ノ越の一里塚」と呼ぶ。
  一里塚を過ぎると、●見晴らしの良い広い道へ出る。左側にJR中央線の線路が迫ってきて、右下には工場がある。やがて体育館などが見えてくると、線路を渡り、原野という集落へ到着。11:30

 ■原野~栗本
●原野はもと間の宿で、林昌寺のバス停辺りが宿の中心となっていた。両側に古い●出桁造りの建物が何軒かある。
 すぐ先の原野駅バス停の丁字路で、右折するとはJR原野駅と原野八幡宮や明星岩へ登る道の入口になる。
 駅の脇を通って、●原野八幡宮へ行ってみた。慶長3年に木曽家の旧臣が建立したという、ここの地域の鎮守。
  11:50

 駅前を通り越して、しばらく行くと左側に置かれているのが●「中山道中間地点」案内板で、ここが、江戸からも、京都からも「67里38町(約268km)の地点と書いてある。(一里=36町だから、68里2町ではないかと思うのだが)やっと半分という所まで来た。まだ先は長い。この先沢山の峠道が残る。やれやれ
 。道なりに進み、しばらく行くと正面に●「スーパーイズミヤ」 の所に突き当たる。左に行くと国道に行けるが、旧道は手前から右側の細い道に入り、そのすぐ先を左折する

  曲がって、すぐ左側に「中山道 この下の橋を渡り木曽福島へ」という●案内板が立っていて脇の細い道へ入るように案内される。。こんな場所でいいのか不安になるけど、一応行ってみた。入った先は草むらで全く道などなく、獣道みたいになっていて不安が募ってくる。 草むらを進んで行くと、前方に●橋が見えてきて一安心。
橋を渡って土手の上に上がると、国道19号線から分岐してきた旧道に出ることができた。 12:15

■栗本~木曽福島
  国道からの分岐道に合流して進み、木曽義仲を養育した中原兼遠屋敷跡案内板が立つ栗本集落を通る。集落を出て道なりに進み、巨大な二十三夜塔と平成8年再建の薬師堂。続いて中原兼遠が義仲の学問の神として勧進した●手習天神がある。
 また付近には兼遠の屋敷跡、義仲の元服松等の史跡があり、義仲を巡る史跡が多い場所でありました。
 天神を過ぎると、「上田」という集落に出るが、先の旧道はよくわからなくなっていて、線路の左側を通っているらしいが、通れないので一度国道へ出て、再び右折をして、保育園の所で国道へ合流した。右手に老舗の●「くるま屋」があるので、蕎麦でもと思ったら、月曜定休でした。

 「木曽警察署」看板のある所で、脇道へ入る。ここはすぐまた国道に合流してしまう。ここら辺は旧道へのこだわり。木曽の旧道は国道とJRと交差して、とのかくめまぐるしく国道へ出たり入ったりする。
 国道を進み、●福島トンネルの手前で右に分岐する道へ入る。そこからしばらく行くと、正面に巨大な関所跡を示す●冠木門が立っている。ここをくぐると左手に復元された「木曽関所」が見えてくる。福島宿はこの先から始まる。本日はここまでで、「木曽福島駅」はまだこの先なので、つらつらと駅へ向かった。13:15

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