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沓掛宿から追分宿へ 歩行地図
 中軽井沢−古宿−借宿−追分  4.3 km
19沓掛宿
 長谷川伸の小説の『沓掛時次郎』で知られる沓掛宿は、東山道の「長倉駅」があったいわれている。。最初は中軽井沢駅の南側に作られたが、安永2年の大火により現在地に移っている。沓掛」という名は「わらじ」を履き替える場所のことをいい、また難所などを越える手前にあった場所のこともこう呼んだ。碓氷峠を控えていたのでこう、呼ばれたのだろう。和宮が宿泊した宿としても知られる。昭和26年の大火で当時の面影が失われてしまったと共に、昭和31年に駅名が中軽井沢と改められ、沓掛の名前も失われてしまった。
本陣1  脇本陣3  旅籠17

 2008年7月5日軽井沢宿に続く
■中軽井沢〜古宿

●長倉神社
 中軽井沢駅の脇から国道へ出ると、国道の右手に「長倉神社」の参道がが見えてくる。創建は天長年間(824)頃と言われ、古くから地元の信仰を集めていた。結構広い境内を持ち、入口周辺には「石碑」や「庚申塔」なども集められて、奥に本殿が見られる。
9:40

●「沓掛時次郎」の碑
 神社奥には長谷川伸作で有名な沓掛時次郎の碑があり、「千両万両 抂げない意地も 人情搦めば弱くなる 浅間三筋のけむりの下で 男沓掛時次郎」と刻まれた歌碑が建立されている。いうまでもなく小説上の人物。 神社を出たあたりから「沓掛宿」が始まっていた。現在はさっと通過してしまうような、普通の町並みであった

●脇本陣跡
 宿場に入ると左手に「升屋本店」と書かれた旅館が見えてくるが、ここは元「脇本陣」の一つだという。建物は建て替えられているが、現在も旅館を営業しているとか。
●本陣跡
  駅前交差点を越えて、右手に立派な家が見えてくるが、ここが当時「本陣」を勤めていた「土屋家」で、今も表札に本陣」と出ている。建物は現代のものでかなり立派。 10:00

●草津道道標
 本陣跡を出ると上田信用金庫向かいに小さな「草津道道標」が残っているが、これは草津温泉道を示していたもので、当時この沓掛から草津までは約十里で出られたという。
 宿場を出ると旧中山道は道標先で国道から分かれて●左の側道へ入って行く。すぐ右手には道祖神がひっそりと残っている。
10:05

 下り坂から上り坂に変わると「古宿」と呼ばれていた集落に入るが、この付近の旧道沿いには道祖神」や「馬頭観音」「二十三夜塔」などが数多く残っている。こんなにもたくさんの馬頭観音が残っているのは、信州は古くから「佐久の三牧」と呼ばれ、元々馬の産地でも有名だったからだという。 10:20

■古宿〜借宿
 古宿の集落を過ぎ国道に合流した後すぐに、左側の集落へ入る。ここにも、色々と●石碑が残っている。
 左手に「女街道」が伸びていて、看板が立っている。この道は女性に厳しい詮索がある碓氷関所を避けて、和美峠、入山峠から上州に入る道であったそうだ。
 
10:40

●「遠近の宮」
 女街道と呼ばれていた入口を越すと「借宿」と呼ばれていた集落に変わっているが、ここの右手には「遠近の宮」と呼ばれていた神社がある。この神社は伊勢物語の業平の歌に関係していると言われている。ちなみに入口横にあるトイレは非常にきれいでおすすめ●杉玉を吊るした酒屋や、土蔵にも屋敷の瓦にも鶴の家紋が入った重厚な古い屋敷が残っている辺りは往時の繁栄がしのばれる。

■借宿〜追分
 先は緩い上り坂の続く所で、「湧き水」の出ている場所を通り越すと右手に●「馬頭観音」の大きな碑が見えてくる。借宿は中馬と呼ばれる陸上運輸に携わる人馬の宿として栄えた、従って「馬頭観音碑」も高さ4mを越える大きなものであった。馬頭観音を通り過ぎると再び国道に合流するが、合流する手前にも小さな馬頭観音群がある。
国道は交通量が多く、渡るのも大変だが、右手に渡ると●「従是左上州」と彫られた道標」も残っている。 11:00

●追分の一里塚跡
 この道標から500メートルほど歩く先に見えるのは「一里塚跡」で、この辺りでは貴重な塚跡だという。右手の塚(左の写真)が本物で、左手は国道拡張後に復元されたものだが、ここは「追分の一里塚」と呼ばれていて、日本橋から数えるとちょうど40番目だった。
11:05

 なお、この一里塚の先、右手に入るのが旧道で、ここからガソリンスタンド横へ入って行くと、追分宿入り口になる。
追分宿へ続く
11:10

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