67 守山宿から草津宿へ 歩行地図
 吉身3丁目-吉身西-今宿町-大宝公園-葉山川橋-渋川-大路-追分     5.9 km
67 守山宿
 比叡山の東門として山を守るという守山の語源になった「守山寺東門院」の門前町として発達し、江戸時代には朝鮮人街道や東海道石部宿へ至る交通の要所とし栄えた。また「京立ちの守山泊り」と呼ばれ、西から江戸へ向う人々の最初の宿泊地としても賑わった。宿としては守山村を本宿として町並続きの吉身村、今宿村を加宿とした。宿間1053間(1900m)と長く、吉身、本町、西町、中町、東町、今宿と続いていた。
本陣2、脇本陣1、旅籠30

2010年1月29日武佐宿からの続き
吉身3丁目~慈眼寺
 「吉身3丁目」交差点を過ぎると、守山の加宿であった「吉身」で、道幅は中山道の時代と同じと推定される。
 「吉見小南」交差点の左角に益須(やす)寺跡の標識が立っている。説明板では「日本書紀の中に、この地で湧く泉が病気に効くので水田などを寺に献上した」などの記述がある。

 その先に、高札場跡があり、ゲンジホタルが棲むという伊勢戸川のほとりに吉身の案内板がある。吉身は「吉水郷」と称し、豊かな森林と、きれいな水に恵まれた「天下の景勝地」であったそうだ。
 このあたりから慈眼寺までの街道に面する民家は、直線的に並列せず、1戸毎に段違いにする屋敷割りをした、稲妻型道路になっていたとあり、甲州街道「韮崎宿」や中山道「本山宿」などにある、一戸毎に段違いに配する形式だが、現在では改修でよくわからくなっている。  15:12

慈眼寺~吉身西
 左手に入るとある慈眼寺は天台宗の無檀家の寺で、本尊は11面観音像で秘仏とされていて、通称、「帆柱観音」の名で親しまれる。崩壊寸前であった本堂は改築されて全く新しくなっていた。 
 「吉身西」を過ぎると守山宿の中心地で、一番賑わった所である。ここも稲妻型屋敷割りということで、吉身と同じ形式となっている。理由としては・・・問屋、庄屋、本陣、市屋敷などを管理するため、あるいは怪しい人物が隠れても反対側から容易に発見できるなど治安維持のための町づくりであった・・・・とある。  15:25

吉身西~今宿町
 
左手に「石部道」への道標」が残っている。 これは東海道石部宿にある「新善光寺」への道標である。
 左手に立派な酒屋があるが、ここが宇野本家で、元首相宇野宗佑氏の実家である。 
 右手に「天満宮」がある。本殿が立派な構えであった。天徳3年(959)の創建になる。裏に「源内塚」という、源義朝を討とうとして返討ちにあった「源内兵衛真弘」を弔った塚があるそうだがわからなくて見逃してしまった。

 左手には甲屋(かぶとや)之址」碑がある。守山宿本陣のあった場所で、謡曲「望月」で知られた仇討ち伝承地でもあるということだそうだ。隣は「守山宿の井戸跡」ということぐらいしかわからないが、宿場の井戸を復元したものだろう。
  この先は三叉路になり、右手に石造道標がある。「右中山道 并 美濃路」「左 錦織寺四十五丁 こ乃者満ミち」とあり、右が美濃へ、左は 真宗木部派総本山錦織寺への参拝道、及び琵琶湖の木浜港への道を示している。   15:35

 三叉路を左に行くと、右手に比叡山東門院守山寺がある。守山の地名の由来となった寺である。延暦13年(794)、最澄が延暦寺を開いたとき、東方の鬼門を守るために建立されたと伝えられる寺で、守山観音と呼ばれる。
 「守山銀座西」信号を過ぎると、土橋と書かれたコンクリートの橋が架かっている。江戸時代は土橋で、渡ると加宿の今宿になる。広重の「守山宿」はこのあたりの風景が描かれているが、絵では川に沿った茶屋が描かれていて、現実の風景ではなく、意図的に描いたといわれる。  

  今宿町~大宝公園
 「今宿町」信号を越えれば宿はずれで、普通の道路となってしまう。左手には一里塚跡が残っている。 これは「今宿の一里塚」と呼ばれていたもので、左側しか残っていないが「滋賀県下」で塚が残っているのはここだけという貴重なもの。
 「焔魔堂町」信号を過ぎると右手に十王寺」があり、閻魔堂がある。「小野篁」開基と伝わっている寺で、焔魔堂町の名前の由来になっている。しかし何故か地名は「魔」という文字が使われている。昔は立場で賑わっていたそうだ。   15:55

大宝公園~葉山川橋
 守山市が終わり、栗東市に入ったら、「大宝」の名前があちこち出てきた。左手に大宝公園があるが、大宝神社の境内である。大宝神社はその名のとおり「大宝(701~)」年間の創建と伝わる神社で、素盞鳴尊である牛頭天王を祭神とし、近江国守護佐々木氏の庇護を受けて隆盛し、江戸時代以降は氏子が50余村にもおよんだ”といわれる
 公園内には松尾芭蕉が、元禄3年(1690)、北陸方面に旅をした帰りにここで足を留め、惜春の情を詠んだ
           「へそむらの まだ麦青し 春のくれ 」 という句碑がある。    16:15    

葉山川橋~渋川
 左手奥の「栗東駅」を過ぎ、花園、笠川を過ぎると「草津市」へ入る。旧道はJR高架線の人や自転車だけが通れる小さなトンネルをくぐってすぐの、線路脇の細い道を右折して行く。
 道は「渋川」に変り、マンションの中を通過して、立体道路をくぐると、「ベージュ色」の舗装路になり、「歴史街道」の看板が立っている。

渋川~大路
 左側に伊砂砂(いささ)神社がある。祭神の石長比売命、寒川比古命、寒川比売命の頭文字を取って付けられたというもので、本殿は、一間社流造檜皮葺きで、国の重要文化財に指定されている。やがて十字路があり、右折すると草津駅である。 ここは「きたなか」という商店街を入って行く。  16:45

大路~追分
 商店街を歩くと、草津川トンネルが現れた。トンネルの上は「草津川」で、天井川になっていて、現在の草津川には水は流れていない。昔はここを乗越えて行ったわけである。トンネルを越えると左側に常夜燈と道標が立ち、左側のレンガ色の「草津公民館」側から東海道が合流している。

 東海道と中山道との追分
 右から来るのが東海道で、トンネルをくぐって来るのが中山道である。つまり京方面から来ると、ここで左右に分れて、右は東海道で、左は中山道となって、江戸へ向っている。逆にここから京都・三条大橋へは東海道と同じ道をたどって行くことになるので、中山道としてはここが終点であった。         16:55
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 そんなわけで4年間、延24日かけた中山道歩き旅も、ここで一応のゴールとしたいと思う。日本橋から軽井沢までは日帰り、軽井沢からは2泊3日の旅を繰返し到着しました。
  
                    *** 中山道の終り ***

 
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