中 山 道
 


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  12 倉賀野から高崎宿へ  歩行地図  
 追分-中町-上町-正六-佐野町-和田-新田  5.4 km

12倉賀野宿
倉賀野宿には、烏川を利用した舟運搬の河岸があり、河岸を合わせた宿場であった。さらに日光例幣使街道の分岐点として交通上の重要な地点でもあった。宿は「下町、中町、上町」で成り立っており「中町」が中心であった。街道は大名の宿泊や日光東照宮へ派遣される例弊使などで賑わを見せたが、例幣使はガラが悪く恐喝まがいの行為が目に余り宿は相当迷惑したといわれる。
本陣1 脇本陣2 旅籠32

2007.6.24の続き。雨やま
■下町~中町
●追分・常夜燈

 中山道は京から上がってくると、ここで右江戸へ、左日光へと分かれる。赤い閻魔堂と常夜燈と道しるべが立っている。常夜燈は道標の役目も果たし、文化十一年(1814)に例幣使道五科宿の高砂屋文之助が建てたもの。寄進者には雷電や市川団十郎などの名も見られるというが、残念ながら雨でもありそこまで確認はしていない。案内板
●道しるべ
 常夜燈の前に本当の道標が立っており、「従是 右江戸道 左日光道」と赤字で彫られている。設立年代は不詳だそうだ。ここから例幣使道が始まる。例幣使というのは家康の命日の四月十八日に行われる東照宮祭礼に朝廷から派遣される勅使のことで幣帛を運ぶことからこう呼ばれる。例幣使は中山道を下り、倉賀野から日光に向かうので例幣使街道と呼んだもの。この街道はいずれ歩くつもりでいる。15:00

●閻魔堂
 後ろの建物は正式には阿弥陀堂というが、明治初年に建て替え、阿弥陀の代わりに閻魔像を置いたので、今では閻魔堂と呼ばれる。
●庚申塔群
 お堂の裏手に庚申塔、馬頭観音などが集められている。建てられた年代などはよくわからなかった。

■中町~倉賀野神社
●街道の町並み
 道は倉賀野宿中心部に入ってゆく。現在、街道は交通量も多くなっているが、古い家もちらほら見える。当時の倉賀野は鳥川などを利用した物資の集積地で上州、信州、越後などの名産品だった、「米、煙草、砥石、麻、大豆」などが集まり江戸に運ばれた。倉賀野には土蔵が建ち並び宿場は繁盛し、また飯盛女も他より多かったといわれる。15:10

●本陣跡
 左側にあるスーパー、「ベイシアマート」の駐車場にひっそりと石碑が立っており、ここが倉賀野の本陣があったところ。
●御伝馬人馬継立場跡
 スーパーの先、倉賀野駅前交差点に倉賀野仲町山車倉という建物があり、その前に人馬継立場跡の石碑が立つ。ここが問屋場があった跡であろう。

●脇本陣跡
その先右手の連子格子のある、旅籠風の古い建物が脇本陣だった須賀家で建物は明治23年の築造といわれるが、門は当時のものといわれる。
●脇本陣跡
 向かいの民家の前に脇本陣跡の石碑が建っている。 もう1軒の脇本陣だったところであるが建物は失われていた。
15:25

●高札場跡
 脇本陣先には高札場が設けられている。これは復元されたもの。新しい札が掛かっている。
●伝説「樅の木」
 高札場のうしろにおもしろい案内板が立っている。一本の木が立っていて、伝説が残っている。・・・安政三年(1855)宿は大火に見舞われ、焼け野が原の化した。しかし只1軒焼け残った旧家があった。どこからか大天狗が現れ防火に努めたからという。家では古峯様を信仰していたので古峯の天狗が助けたのだそうな。この樅の木はその伝説に由来すると言う。・・・・樅の木は枯れてしまい植え替えられた。

■倉賀野神社~高崎駅
●倉賀野神社

 高札場から進み、左手の横町に入ったところにあるのが、昔は飯玉大明神といい、今は倉賀野神社という。倉賀野総鎮守。
 本殿は一間社流れ造り、江戸後期の寺社建築の特色である無彩色の彫刻を駆使している。
●茅輪くぐり
 ちょうど茅輪くぐり輪が作られていた。神社の鳥居や本殿前に置いた茅輪(ちのわ)をくぐって、知らないうちに犯した罪や心身のけがれを祓う年中行事。夏越大祓と呼ぶ。15:35

●安楽寺の異形板碑
  この寺に伝えられる板碑は将棋の駒型をした天引石(砂岩)に梵字で阿弥陀三尊に天蓋、花瓶二つが付けられている。風化が激しく年号が読めないが、南北朝時代を下るものではないとのこと。板碑とは板仏(いたほとけ)または平仏といい、正式には板石卒塔婆と呼ばれる。
●現代の松並木
 宿を出ると街道の左手の方には浅間山古墳などが点々と残っていたりするのが地図でわかるのだが、なんせ雨で訪ねる気も起こらず、通過することにした。高崎まで昔は杉並木が有ったらしいが、今ではなくなり代わりというらしく、松が点々と植えてある。並木と呼ばれるには何年かかるだろうか。この辺りは晴れたときに又来よう。高崎駅までゆるゆると歩き、高崎線で帰りました。
      16:20


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