7鴻巣宿から熊谷宿へ 歩行地図
 鴻巣駅−源経基館跡−追分−吹上−熊谷堤−久下−熊谷  23.7 km (宿間16.8km)
鴻巣宿
鴻巣は板橋宿から中山道と日光裏街道、松山街道の追分になっていることに加え、江戸からの初日の泊まりが鴻巣だったことが宿場の発展に寄与した。人形の町として有名だが、天正年間(1573〜)に京都の伏見人形の人形師がここに住みついたのが始まりとも言われる。

本陣1、脇本陣1、問屋場1、旅籠58軒 

2007年1月21日朝鴻巣駅到着。線路沿いに戻り、前回ちょっと見て終わった、勝願寺へ回る。
■鴻巣駅から二本木
●勝願寺

  文永年間(1264〜75)の創建で、天正元年(1573)に現在の地に再興された。浄土宗関東18壇林(僧侶の大学のような学問所)の一つ。将軍より御朱印が与えられ、徳川家の三つ葉葵を使用することを許されている。現在の堂宇は、本堂が明治24年、鐘楼同43年、仁王門は大正9年それぞれ再建されたもの。9:20

●伊奈忠次・忠治父子の墓
   勝願寺には、現在、徳川歴代将軍の朱印状、家康の家臣 伊奈忠次・忠治父子の墓。酒井忠次・榊原康政・井伊直政とともに徳川四天王と称され本多忠勝の娘で、 家康の養女となったあと真田信之に嫁いだ小松姫、真田信之の三男 信重とその室、豊臣秀吉の家臣で、後に家康に仕えた仙石久秀のなどがある。

  街道筋へ戻り旧道を進む。右手に中村氏宅という旅籠の雰囲気を残す旧家があるというが、左側を見ていたら通過してしまった。左側には●旧旅籠らしい家が残る。本陣跡は残っていない。駅前通りとの交差点が●脇本陣跡らしい。鴻巣駅前は大規模開発をしているが、市は中山道には関心がなさそうで、説明の類はなにもない。旧道を歩く前に、街道からははずれるが源経基館跡を見るため駅舎コンコースを越して県立鴻巣高校方面へ行く

●伝源経基館跡
   駅から西方1.2kmほど、鴻巣高校の南にあるこんもりとした林が源経基館跡になる。「城山ふるさとの森」という名称になっている。天慶元年(938)武蔵介である源経基が築いたと伝えられる館跡で、東西95メートル、南北85メートルの方形館跡で土塁が残っている。西側の土塁の上には「源経基公館跡の碑」が建っている。源経基は清和源氏の祖でその系統は源頼朝へつながっていく。10:00

  又1.2kmほど歩き駅舎コンコースを越え旧道に戻り次の熊谷宿を目指す。巣駅入口を左に過ごし、少し行った先左手に●土蔵造りの商家等数軒の建物群がある。この辺りは問屋場が有った所。
●鴻神社
   鴻巣の地名の由来になった「こうのとり」の伝説のある神社。明治6年に氷川社、熊野社、竹之森雷電社を合祀したもので、鴻三社と呼ばれていた。さらに.明治35年から40年にかけて、日枝神社、東照宮、八幡神社などを合祀して鴻神社と改めた。北側すぐの東へ向かう道筋は日光裏街道という。  10:25

■二本木から追分
●平等寺観音堂

   箕田観世音ともいわれるが、正式には吹張山平等院という。大江山酒呑童子を退治した話で有名な渡辺綱が、永延元年(987)開基したといわれる。本尊は源経基公が戦いの折に兜の中に頂いて出陣したという一寸八分の馬頭観音像といわれるが、見ることはできない。平成3年に本堂の改築を行っている。境内に●石仏、石碑群があったがどういうものかはわからない。 11:05

●氷川八幡神社
   箕田という地区に入る。氷川八幡神社があるが、ちょうど1月21日は埼玉県駅伝大会が行われて神社の前が中継所になっていた。この神社は渡辺綱の祖父渡辺仕(しこう)が勧請したものと伝えられる。
●箕田碑
   境内の柵の中に納められている。江戸時代宝暦9年(1759)に建てられたもので、文はよく読めないが、源経基と、箕田源氏の由来そしてこの地が武蔵武士の発祥の地であったことが記されているとされる。 11:25

●箕田追分
   武蔵水路を過ぎ、道は二手に分かれる。行田への追分けになっている。右方向は行田、忍道で行田を経て日光へ行く道。この道は行田へ入り、有名な埼玉古墳群の横を通り、行田の忍城へつながっている。途中石田三成の忍城水攻めのために築いた石田堤も残っている。追分真ん中には平成の道標が立ち、中山道の解説が書いてある。街道は左を行く。その左手にあるのが●地蔵堂。中にはおだやかな顔の石造りの地蔵が鎮座されている。やがて立場(茶店がある場所)である吹上へ入っていく。  11:45

■追分から荊原
●吹上神社

   踏切を渡って吹上駅を左に見ながら進む。本町交差点で急角度に左折する。角に手打ちうどん店があり食べてみようという気になったが、やめたら、この先熊谷まで、コンビニはおろか食堂もなく往生した。左折してすぐ吹上神社がある。祭神は大山咋命、倉稲魂命、大物主命、菅原道真で、前身は近江国大津の日枝大社(山王社)を奉奏する日枝社である。 宝暦六年七月火災により焼失。 その後再建年月不詳。 明治四十年、稲荷社、八坂社、氷川社、琴平社、天神社の五社を合祀し、現在の名前になった」 と、あった。右のプレハブに赤い●御神輿が収納してある。

●吹上間の宿の石碑と案内板
   神社の先は高崎線に少し平行しており、街道は線路に分断されている。踏切がない為、ここの高架橋を渡らないと先に進めない。橋の下に吹上間(あい)の宿」の説明板があった。ここは忍道と松山道との追分で、立場茶屋があった所。
説明板によると「吹上が重視されたのは日光東照宮を警護する武士達の日光火の番道(忍道、松山道)と中山道が町の中央で交差したこと、そして熊谷宿と鴻巣宿の距離が長かったため、中間に休憩する場所として立場を設置することが必要だった。 12:35
●権八地蔵堂(荊原)(ばらはら)
   歌舞伎の鈴ヶ森に登場する白井権八が旅人を切って金を奪った。そのとき現場をお地蔵さんが見ていた。「このことを誰にも言うなよ。」とお地蔵さんに言ったところ「わしは言わぬがおまえも言うな。」と答えたという。別名「物言い地蔵」ともいう。権八地蔵堂はこの先、久下地区にもある。白井は平井のことで、平井権八は実在の人物で元鳥取藩士のやくざであって結局鈴ヶ森で磔にあった。

■荊原から熊谷
●熊谷堤

   地蔵堂の横から荒川の堤の上を歩くことになる。ここから久下に至る2.7kmが熊谷堤です。天正2年(1574)鉢形城主北条氏那がつくったという。築堤工事中嵩上げされており、もちろん昔はこの高さではない。右は荒川の広い河原敷きであるし、右下は用水堀のように元荒川が流れている。途中にあるのが●荒川決壊の跡碑で昭和22年9月カスリーン台風の襲来の時この地点で決壊した。利根川も決壊し埼玉から東京まで甚大な損害を与えた。現在は堤下にマンションも建つが決壊したら大変でしょう。  13:10

●権八地蔵堂(久下
   熊谷市久下で堤を降りていく。久下は熊谷直実と久下直光が所領を争った場所で直実が敗れて出家したといわれる場所である。旧家も残る。新久下橋の橋脚の下を潜っていくと又今度は標柱に民族資料権八地蔵と書いてある、権八地蔵堂があるどちらが本物かというと、参考書には荊原と久下の方といろいろでどちらが本物かわからない。荊原の方には標柱も案内板も何もなくこちらのが本命なのかも。

●撤去された旧久下橋
   旧中山道は権八地蔵の裏を通っているが、堤防築堤工事で立ち入り禁止となっていた。「みかりや」という茶店跡碑があるのだが見ることができなかったので、手前の車道に戻り熊谷に向かった。  かってこの地点には久下橋という橋が存在した。2003年6月、ここから500m下流に新久下橋が建設され、撤去されてしまって現在は見ることができない。25000分の1の地図には新久下橋ではなく旧の久下橋が掲載されている。この付近は地図の様子がかなり違っている。
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 HPから記事と写真を引用させていただく 
(http://www.geocities.jp/fukadasoft/bridges/kuge/)
・・・・・埼玉県が管理する冠水橋(洪水になると水没してしまって通行不能になる橋、潜水橋)である。これほど大きな木製の冠水橋(しかも県道の道路橋)は、日本では他に例がないと思われる。昭和30年の竣工時には、河川敷内の左右岸側に長さ約90mの2つの橋が架けられたのみで、中央部に橋は架けられていなかった。中央部は砂州を道路として利用していたというから驚きだ。その後、久下橋は洪水のたびに被災し数度の修復を得て、昭和42年6月に現在の形となった。中央部約100mは、この時に継ぎ足されたものである。・・・・・・

●東竹院
 寺の前に安政五年の庚申塔、馬頭観音の碑、石仏が2体祀られていた.。寺は久下直光の開基で、境内左手に直光とその子重光の墓や、荒川の洪水で流れてきたという達磨石があるが、前面門扉が閉じられ、脇から入るようになっており、由来などの説明版も見当たらないし、あまり気安く入れるお寺ではなさそうな感じ。 
  14:40

●熊久橋
 小さな橋を渡る。ここを流れる川が元荒川である。とても小さいが水のきれいな川で、ここから岩槻を経て越谷の先で中川に合流しているとは思えないくらい。ここには熊谷市にしか生息が確認されていない天然記念物の「ムサシトミヨ」が棲息している。埼玉県の魚でもある。水草も繁茂している。
●熊谷宿入口
 秩父鉄道と高崎線の踏切をわたり国道17号線に出会う。左折すると熊谷宿入り口。次回はここからはじめることにして、JR熊谷駅から帰りました。今回はあちこち寄っていたので延べ23.77km程度ありました。鴻巣宿からは4里6丁 16.8km程度です。 15:10

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