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 60 柏原宿から醒ヶ井宿へ 歩行地図
 柏原東-柏原駅前-歴史館-仲井川-長沢-梓川-一色-醒ヶ井  5.7 km

60 柏原宿
 近江国に入り、最初の宿であり、東山道の時代から栄えていた宿だった。江戸時代は伊吹山から産出するヨモギを原料にした艾(もぐさ)を商うことで有名で、規模も大きく、中山道の宿場の中で、宿高で四番目、宿間の長さも13町(1.4km)もあり、東町、宿村、市場町、今川、西町、御茶屋、仲井町と続いていた。
本陣1 脇本陣1 旅籠22

2009年10月25日今須宿からの続き 13:00
■柏原宿~八幡神社
 ●柏原宿の町並
 柏原宿は規模が大きく、宿間が1.4km程もあり、真っ直ぐな道が続いている。相変らず人の姿が見えないが、宿の保存には気を配っているようで、昔の屋号を書いた●看板を出してくれている。古い家もあちこちあり、ベンガラの赤い色に塗ってあるのが特徴だそうだ。右手に「龍王院遺跡」碑というのがあったが、詳しいことはわからず。後ろに形が印象に残る石燈籠が立っている。

 続いて右手に●八幡神社がある。ここに案内板が立っていて、●芭蕉の伊吹山の句碑が建っている。案内によると、「奥の細道」では、伊吹山麓の北国脇往還を関ケ原へと通った。そのときの伊吹山の句を残し、その句碑は、この神社境内にある。伊吹山はただ単に聳立する孤山としてだけで、立派に眺め賞し得る山容を備えていると褒めている句である。

■八幡神社~歴史館
 左手に●問屋跡。柏原宿宿の問屋は江戸後期には6軒もあり東西3軒づつに分れ、10日交代で勤めた。ここはその内の一軒で、「杉野家」
 その先郵便局手前が●脇本陣の跡。柏原宿の脇本陣は、本陣「南部家」の別家が本陣同様江戸時代を通して勤めた。当家も問屋役を務めていたという。

 左手の古い建物に●旅籠屋「京丸屋五兵衛」の看板が掛り、そこに旅籠屋跡の案内板が立っている。それによると、柏原宿には旅籠が22軒あった。同じく「もぐさ屋」9軒、造り酒屋3軒などと書いてある。
 すぐ先右手の建物の前に、「中山道柏原宿」案内板と右側に「問屋役 年寄 吉村逸平」の看板が掛っている。ここは●画監督吉村吉三郎氏の実家で、祖父が柏原宿最後の庄屋であったそうだ。  13:10

 そしてその先が、「14代将軍、徳川家茂宿泊」と和宮も泊ったという●柏原本陣跡」。柏原宿本陣は南部家が江戸時代を通じて勤めた。
 本陣跡を出ると小さな橋を渡る。左手に「連子格子」の古い大きな家が見えてくるが、ここが「伊吹艾」で有名だった●「亀屋七兵衛左京」で、「伊吹堂」の大きな看板が掲げられている、。ここは創業350年を数える老舗で知られ、今も昔のままの姿で営業を続けているという。残念ながら本日は日曜日で店は閉店中。従って、店には巨大な「福助」人形が昔のままに置かれている姿を見ることはできなかった。  

■歴史館~丸山橋
 亀屋の前に建つのが●造り酒屋跡。「やいと塾」という看板が掛るが、「やいと」というのはお灸のことなので、お灸のすえ方でも教えるのだろうか。
 ●柏原宿歴史館は大正6年建築で、旧松浦久一郎邸を改築したもの。平成12年に国の登録有形文化財に指定された。喫茶室があったので何か食べようとしたら、満杯で入れなかった。こんな所に人が沢山いようとは・・・・・ここが唯一の喫茶室なのでしょうがないか・・・

 歴史館に隣接して●日枝神社。ここの本殿は茅葺で、苔むしており風格ある造りで好ましい。 少し行った左手にある「柏原宿福祉交流センター」が●西の荷蔵跡。と柏原銀行跡
 隣の宿へ当日継ぎ立てができない場合、ここで預ったという。東側にも荷蔵があった。柏原銀行は、山根為蔵により明治34)年設立。近郊の長岡、今須などにも出店。昭和18年滋賀銀行と合併するまで、この地方の経済基盤を支えていましたと。左手に薬師道道標がある。最澄が創立したという明星山明星輪寺への道標である。享保2年(1717)と古く、正面が漢文、2面が変体仮名、平仮名の和文で書かれている。  13:20

■丸山橋~長沢
   左手には●「郷宿跡」というのも残っている。郷宿とは脇本陣と旅龍屋の中間規模の宿で、身分の高い武士や公用で旅する庄屋などが利用したという。これは初めて目にした。 
 丸山橋を渡ると左手に●「柏原の一里塚」が復元されている。西見付付近に街道を挟んで南北にあったが、現存していない。 13:25

■長沢~一色手前
 一里塚跡から少し先が宿はずれだったといわれ、左手には●「西見付跡」と書かれた案内板が置かれている。道の両側に食違いの土塁があるという。
 しばらく松と楓の並木が続いている。その先右側に「北畠具行卿墓」という案内板があったが、山道で距離がわからず寄らずにすませた。 長沢集会所の所で分岐点になっており、右側が旧道。角に●小川の関跡の案内板がある。このあたり東山道が通っており、中世には「関」が設けられていたという。   13:42

■一色手前~醒ヶ井
 旧道は久々の土の道だが、やがて新道と合流している。この先は旧道と国道21号、名神高速道路が●並行している道であり、左側に高速、右側に梓川が流れている。このあたりに東山道の「横川宿」があった場所といわれる。
 国道と合流する先に、ようやっとコンビニがありお昼にありつけた。 国道を行くと、「左 中山道」の大きな石標が見えてきて、その先で●国道と分れ、左手に入っていく。一色という所である。 14:16

 旧道に入ると左手に「一里塚」の石碑が立っていた。●「一色の一里塚」という。
 「等倫寺」などを過ぎると、右からJR東海道線も迫ってきた。高速に挟まれたせまい道を行くと緩い下り坂に変わってくる。ここは●「枡形」に曲がっていて、左手に「鶯ケ端跡」という標識が置かれている。当時ここはとても見晴しの良い場所で知られ、このように呼ばれていたという。 ここで右に曲がり、左に曲るとが醒井宿の入口だった。  14:30

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