37福島宿から上松宿へ 歩行地図
 福島関所-代官屋敷-上の段-福島駅-塩渕-神戸-桟跡-上松宿  8.7 km
37 福島宿
 現在は木曽福島市として、木曽地区第一の都市として栄えているが、戦国期に木曽氏の城下町として生まれた福島宿は、江戸時代に福島関所が設けられ、碓氷関所とともに江戸防衛の重要な拠点となった宿場である。 街道沿いには往時の面影が少ないが、「上の段」と呼ばれている地区には江戸時代が残っている。宿場の規模としては案外小さく、関所が厳しかったので、旅人は早々に立ち去ったといわれて、旅籠14軒の規模だった。
本陣1 脇本陣 旅籠14

2009年7月23日 塩尻経由で10時30分木曽福島駅着
 前回通過しただけで市内をよく見ていないので、少し時間をかけて見ておきたいと思って、本日の行程は15㎞程にとどめておいた。宿は寝覚ホテルの予定
■福島関所前~山村代官屋敷
 ●福島入口(冠木門をくぐると、すぐ左側は復元された●福島関所が石垣の上に建っている。何故頭上なのかというと、現在の道は川岸を切り開いて、下の方に造られたので、関所の位置が想像できないが、昔は山と川に囲まれ、すぐ下が木曽川だった。関所資料館の模型を見るとよくわかる。

●福島関所
 江戸幕府が江戸防衛のために、東海道の箱根関所や荒居関所、中山道の碓井関所などと並ぶ日本四大関所の一つとして設けた。木曽川の断崖に望む、険しく、狭い場所に設けられたので旅人も大名行列もここを通らざるを得なかった。特に鉄砲と女性には厳しく、通行するのに普通でも女性は1刻(2時間)ほど掛ったといわれる。石垣の途中に関所で使用された●井戸なども復元されていた。

 宿内を進む前に、木曽川を渡り、旧跡を見ておきたい。大手橋を渡ると左側の坂を下りた所に「木曽教育会館」があるが、庭に●「藤村文学碑」がある。「木曽路はすべて山の中・・・・」という「夜明け前」の冒頭部分がブロンズのレリーフとなって嵌め込まれている。会館の裏手に●「芭蕉句碑」がひっそりと立っている。上に上がってくると目の前に●山村代官屋敷が一部復元されている。
山村氏は鎌倉幕府の一族の流れを祖とし、関ヶ原で武功を立て木曽谷の徳川直轄支配をまかされる木曽代官となる。以後明治至るまで木曽谷を支配した。  11:10

■山村代官屋敷~役場前
  代官屋敷から東へ少し行くと、木曽三大名刹の一つで、木曽氏、山村氏の菩提寺である、「興禅寺」がある。室町時代の建築様式の●勅使門。義仲お手植え(二代目)の時雨桜がある。
 またここにも義仲の墓もある。宮ノ越とか、大津にもあった。
 ●福島宿の町並
  宿場は宿場は「関町」「上町」本町」と続き、宿の真ん中の本陣前で左折する。通りは普通の商店街に変わっている。結構和風料理など食べる所もある。左手に清酒「七笑」を造る「七笑い酒造」がある。現在の福島役場支所が本陣跡となっている。

■役場前~上の段
 「本陣跡」で、宿場はここで左折、坂を上ってすぐ先を右に折れ鍵の手とする。この先の道は今も昔ながらの狭い道で、上り坂途中には●「高札場跡」も残っている。
 また、坂を上り切ると「上の段」と呼ばれていた場所に変わっている。ここは宿はずれに当たる場所である。

 11:45

■上の段~木曽福島駅
 ●上の段の町並み
 坂を上ると、「上の段」と呼ばれる地区に入っていく。古い町並みが残る地区で、「枡形」がそのまま残ったり、古民家が並んだり、風情がある町並みになっている。上の段は木曽義昌の居城「上之段城」があった場所で、郭内の多くの道筋が残されており、由緒ある小路名が残っている。 案内図
 町並みの終わりから道は左に下っていくが、途中で●「江戸時代の井戸」がある。江戸時代中頃に造られた井戸で、昭和の中ごろまで町民の飲み水として使われていたのだそうだ。旧道は中八沢橋を渡り、旧国道に合流してJR木曽福島駅前へと向かっている。

■木曽福島駅~発電所
 ●JR木曽福島駅前を過ぎると緩く下って、高架橋の脇で、とても中山道と思えないような脇道がある。右手は●御嶽神社があり、「御嶽教山の本部」という看板が下がり、白衣の信者さん達が大勢参拝中であった。その神社の裏塀に沿った細い道に入ると、「木曽町役場」にぶつかり、右の脇道を曲がっていく。ここら辺がちょっとわかりにく所である。
 役場脇の細い、いかにも旧道という感じの坂を下って行く。
  12:40


 まもなく「塩渕の集落」に入るが、塩渕公民館の前に●「塩渕一里塚跡碑」が建てられている。江戸より70里、京へ67里と刻まれている。ようやく半分より少し前進してきた勘定になった。
 すこし先の上の方に「二十三夜塔」「勢至菩薩」などがかためて置いてあったので、上っていって見たら、土台が草で隠れていて、足を踏み外し、あやうく転落の憂き目にあうとことだった。
 一旦国道へ出ると、右手の木曽川に●発電所があった。川の流れを利用した、小型の発電所であろうか?。
 そして左手の旧道を上がっていく。  13:05

■発電所~御嶽遙拝所
 坂を上りきると比較的広い道路に出る。ここら辺が「中平立場跡」で、案内板があるというので、付近を探したけどなかったように思う。その先の国道19号の陸橋下の右側の当たりを入る道が旧道であるというが、通行不可能なので、左側上方の明治43年に開通した●「旧中央線トンネル」が、旧道に近く、少々気味悪いながら通ることにした。
 トンネルを出てしばらく歩き、国道に合流する。本橋交差点の先で、左折して中央線のガードをくぐって行く。くぐった先は「神戸(ごうど)」という集落で、家が数軒建っていた。しばらく行った右側に階段のある高台で●「御嶽山遥拝所」跡である。寛永2年に再建された鳥居が立ち、常夜燈、祠など祀られている。遥拝所とはいえ、樹が邪魔をして御嶽山は見えなかった。14:00

■御嶽遙拝所~木曽桟
 遥拝所の先は上り坂になり、線路や国道は右下方に見える。右手の遙か先には●御嶽山がうっすらと見えていた。
 しばらく歩くとまた国道19号に合流。合流したあたりに、「白川阿古多丸の墓」があるはずというので、当たりをさんざん探したけど、わからずじまいだった。案内板も立っていなかったし、ここは案内板がほしいね
 国道からすぐに左へ入り、「板敷野の集落」を過ぎると、JR中央線と平行して●「旧中山道」が残っている。細い草道で、家の庭先をかすめて行く道で、とうてい中山道とは思えないけど、案内板ではこうなっている。 14:50

 線路際の草道を行くと前方にお堂が見えるが、ここが「●沓掛観音」という。この観音様には木曽義仲の伝説が残されている。・・伝説の案内・・。
 写真は側面で正面はガケ。正面から撮ろうとすると落っこちてしまう。実は正面から国道へ続く道が旧中山道なのであって、今は通れない。国道の合流点に「沓掛一里塚碑」がひっそりと座っている。
 一里塚跡から国道に合流してしばらく行くと、●「木曽の桟(かけはし)」が見えてくる。ここは中山道最大の難所といわれて、桟というのは、断崖や川に平行して100m程、テラスのように架けられたもので、木造の簡単なものを、尾張藩が石垣に変更して築造した。これは対岸から見るとよくわかる。対岸には、芭蕉の句碑やさまざまな碑がある。桟自体は現存していないので昔の図で雰囲気だけ感じたい。  15:00

■木曽桟橋~上松
 桟を過ぎるとひたすら国道を行くだけ。右手には●木曽川が流れ、眺めが良い。足下の歩道を見ると、国道から突き出して造られており、足場パイプが組まれ、仮設の歩道のようだった。ちょうど現代の「桟」みたいな感じ。
 途中から旧道は左折して進むようなのだけど線路を越すし無理である。国道に歩道が無い所も進まないといけなくて、危ない思いもした。
  ●トンネルの手前で国道19号線と分かれて右に行く。
 15:35

 坂を下って行くと左手に墓地があって、やがて上松宿入口だった●「十王橋」交差点が見えてくる。
  左手の道が上松(あげまつ)宿の入口で、●「中山道上松宿入口」の標柱が建つ。




15:50

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