中 山 道
 






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 35 薮原宿から宮ノ越宿へ 歩行地図 
 藪原宿-藪原本陣跡-一里塚-吉田同門-巴淵-徳音寺-宮ノ越  7.2 km

35薮原宿
 鳥居峠越えのために京方から来る旅人で栄えた宿場である。永禄年間(1558~)にはその名が文献上に見られ、慶長6年(1601)宿場として整備されました。鳥居峠南に位置し、飛騨街道奈川道の追分けとして多くの旅人が行交いました。宿場の名産品「お六櫛」は浮世絵に描かれるほど当時の名物商品で、旅人のお土産としてもてはやされ、現在でも数軒の店で製造販売されている。
本陣1 脇本陣1 旅籠10

2009年6月8日。塩尻駅より藪原駅へ到着。
 前日宿内を少し撮り歩いていたのだけど、宿初めの●「飛騨街道追分の標柱位置まで戻ってみた。
 ■藪原宿入口~藪原神社
この先の中山道はJRの線路にさえぎられ、線路の向こうから続いている。その為向う側に行くには、追分から線路に出た所を、左折してガードをくぐるか、右折して●跨線橋を渡る必要がある。 前日ガードをくぐっていたので、今日は跨線橋を渡って行くことにした。線路を見ながら右折すると、人家の前に階段と側道があるので、下りていくと跨線橋に出会う。  9:00

●藪原本陣跡
   跨線橋を下りて続く道が中山道である。左手に見えてくる標柱が本陣跡を示している。ここは木曽の中でも最大規模の本陣だったという。和宮一行はここの本陣に宿泊されている。現在では建物はなく標柱が建っているだけ。
 本陣の先左手にあるのが、慶長13(1608)年創業の旅籠だった●「こめや」。大田南畝(蜀山人)もここに泊った古い旅籠だけど、現在も旅館として営業を続けている。表はガラス戸に変わっているが、往時の雰囲気を残す。昨日ここに泊まろうと申し込んだら、一人はダメですと断られてしまった。ちなみに駅前の「井筒屋」さんもだめで、やむをえず塩尻まで戻ることにした次第。

 こめやの前にあるのが地酒「木曽路」を作っている●「湯川酒造」。HPによると、創業は慶安3年(1650)。現在の当主は15代目というから古い。
 ●薮原宿の町並み
 薮原宿は度々の火災と鉄道による分断のため宿場の面影はほとんど残っていないが、わずかに名物だった「お六櫛」を商う店があったりして、往時を偲ぶことが出来る。ここも昔の看板を残すように努めている様子が見られた。
(前日の写真です)

 藪原神社~宿の終わり・枡形
「こめや」のすぐ先左手のJRのガードをくぐり、右折して、すぐ先に●薮原神社がある。天武天皇9年、三野王が勅使として信濃国を巡った際に熊野から勧請したのが最初と言われている。以来、熊野社、熊野大権現とも呼ばれたという。明治4年に藪原神社と改称された。
 一の鳥居は真っ赤に塗られた派手な両部鳥居であって、石段を上りきると、●石造の鳥居がある。本殿に特徴が見られ、三間社の流造。建築は立川流で、流麗な彫刻が多くあるという。建築は神明様式で簡素で美しい。
 隣に「お六櫛」を作ったといわれる、「お六さん」の墓があるという「極楽寺」がある。美しい庭園があることになっているのが、裏手はすぐ山になっていて、広いわけでもなく、とてもそのようには思えなかった。  

 ガードをくぐって宿内へ戻って来た。先に進むと左手に●防火高塀の遺構が残っている。
 元禄8年(1695)薮原宿大火の後、防火を目的に各戸の間口を一間に付き一寸の割合で出し合い、路地を生み出し広小路を設けた。現在の区画整理のようなものか。後年石垣を設け、その上に土塀を設けて防火に備えたもので、この石垣は当時のままのものという。
  その先右手のJA木曽の場所は、脇本陣のあったところ。左手にここにも●清水が湧いていたので、一杯飲んでおいた。

●宮川漆器店(宮川家史料館) 
 大きな櫛の看板が特徴的なので、てっきり「お六櫛」の製造元かと思ったら、木曽漆器を扱うお店なのでした。奥の土蔵に「宮川家史料館」を開設している。宮川家は代々医師を務め、かって使用されてきた医療道具や先祖代々伝わる家宝が展示されている。
 左手に●お六櫛問屋篠原商店がある。二階の屋根付き、吊り行灯風な看板と面格子に昔の雰囲気を感じる。このような屋根付き看板は「北原製菓店」にもあった。

 ■枡形~吉田洞門
宿の西はずれ、現在は直進して、駅へ向かっているが、かつてここには●枡形が造られ、右折していた。またここには「高札場」もあった。現在は民家の門前に、赤いポストと標柱があるのみ。枡形が通行不能ということで、ここは直進します。
 直進して行くと、、SLが展示された「木祖村村民センター」内に●一里塚碑があります。「荻原の一里塚」と呼ばれ、67番目のもの。宿を出ると「犀勝橋」を渡って、国道と合流する。右側に木曽川が流れ、なかなか景色が良い。     9:20

 吉田洞門~山吹トンネル
旧道は「獅子岩橋」の手前で●左の道(廃道になった旧国道)を行くので、入って見る。新しい国道を歩くような者もいないのだけど、さすがにここは寂しく、枝が垂れ下がり不気味な感じがする。ここはすぐ国道と合流してしまう。
 やがて国道を覆う,●「吉田洞門」というのが見えてくる。本来の中山道はこの上方を通っていたといわれているが、もちろん通行ができないので、洞門に沿って造られた歩道を歩くことができる。洞門の中は排気ガスが充満しているので歩道が無いと大変だ。  9:45

 山吹トンネル~巴淵
洞門を過ぎ、さらに進むと、吉田橋が見えてくるが、歩道が左側にしか付いていないので、手前の横断歩道を渡り、左側に渡っておく。橋を渡ると、国道は●「山吹トンネル」へ入っていくが、旧道はトンネルの手前を右に入り、山吹山を巻くようになってたという。 この旧道も今は崩壊して通行不能であるので、旧道に近い、トンネル手前の旧国道を行くことにした。●川沿いの静かな道で、歩く人もおらず、なによりトンネルを通り、排ガスを吸わなくてすむのは助かる。出口はネットでふさがれていたけど、人一人通る隙間があった。山吹トンネルの宮ノ越側口脇で現在の国道に合流。

 山吹橋を渡ったら「宮ノ越宿」の看板が立っている●交差点を右折する。この交差点を右折せず、直進すると木曽氏の氏神「南宮神社」があるが寄る時間がなかった。JRのガードをくぐると●巴橋に到着する。このあたりは木曽義仲の愛妾、「巴御前」の伝説が残っている場所で、木曽川は「巴淵」と呼ばれていて、川幅がせまく、急流でもあり、淵がえぐられてこのように呼ばれていた。  橋手前の右側に「巴御前」に由来する
・・粟津野に 討たれし公の 霊抱きて 巴の慕情 淵に渦まく・・ と彫られた石碑が立つ。  10:30

 ~葵橋
 ●巴淵
は川が巴状に渦巻いていることからこの名がつけられたが、伝説ではここに龍が住みついており、その龍は「巴御前」の化身で、木曽義仲の生涯を守り続けた…と言われている。
法号を龍神院殿と称えられ、この先の徳音寺に墓があるという。  巴橋を渡ると、突き当たりに義仲が産土南宮神社を拝するとき手洗い水としたと言われる「●「義仲手洗水」があり、石垣から清水が湧き出している。江戸時代の中山道は山吹山を巡ってこのあたりに出てきたといわれている。

 道は左に曲り、この先は徳音寺という。義仲菩提寺の「徳音寺」に由来するのだが、寺自体はこの先に移転してしまった。現在川沿いに残った古い集落には「昔の屋号」が掲げられていて、途中の「紺屋」には●「有栖川宮小休所跡」碑も建立されているので、ここは庄屋か名主だったのだろう。
 この先は道なりに進み、右手に●「葵橋」(昔は青木橋とも呼ばれていた)が見えてくる。今は橋を渡るしかないが、昔は橋の手前の木曽川右手を歩いて宿に入っていたといわれる。橋を渡って旧道に曲ると宮ノ越宿であった。  10:50

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