中 山 道
 






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 1 板橋宿から蕨宿へ   歩行地 図  
 板橋平尾宿-仲宿-石神井川-本町-清水街-志村-戸田橋-岸川-本町-蕨  10.4  km

1板橋宿
 江戸より2里。板橋という名前は宿中程の石神井川に架かる橋を板橋と呼ぶことに由来する。入口から平尾宿、中宿、板橋から先を上宿と称し、三宿を総称して板橋宿と呼ぶ。 中心は本陣や問屋場、旅籠が軒を並べる中宿である。日本橋が各街道の形式上の出発点であるが、実際は品川、千住、新宿、板橋の各宿が出発点で、各宿は見送り人、飯盛女目当などの人々で非常に賑わった。
本陣1 脇本陣2 旅篭54

2017年4月16日の続き
■板橋駅~東光寺
 埼京線「板橋駅」を過ぎると●平尾宿に入る。現在はその面影は無く、●平尾宿の幟が下がるだけ。国道17号の高架をくぐり、右手に入ると●東光寺がある。前回訪れた時とは感じが違い、山門が改築されていた。境内に●宇喜多秀家の墓がある。八丈島に流された秀家の子孫が 遺骨を持って明治2年、本土に帰り、前田家の縁で下屋敷にあった東光寺へ分骨した。 14:15

■東光寺~観明寺
 ●板橋宿と描かれたゲートをくぐって●仲宿商店街に入って行くが、宿としては平尾宿が続いている。 右手に●観明寺があり、その入口に●寛文元年((1661)建立の庚申塔が立っている。青面金剛像が彫られた物としては都内最古のもの。  14:20

■観明寺~仲宿
 観明寺の先を右手に入ると●平尾宿脇本陣跡の看板が立つ。豊田家は平尾宿の脇本陣、問屋、名主を務めた名家で屋敷は現在マンションになっているようだ。近藤勇は処刑される前にこの家に幽閉されていたという。
 その先を進むと●旧中山道仲宿交差点で、仲宿の看板が架かる。板橋宿の中心に入って来た。すぐ右手に●遍照寺がある・・はずのところ、本堂が改築されるということで、何もない広場にになっていた。境内は宿場の馬つなぎ場で、幕府公用の伝馬、普通継立馬など50匹がつながれていた。又●寛政10年(1798)建立の馬頭観音などが置かれている。  14:35 

■仲宿~石神井川
 寺の直ぐ右手に●風格あるレンガ作りの商店があり、旧道らしい面影を感じることができる。その先スーパ-の手前が中町の●本陣跡で、飯田家の屋敷跡である。●板橋宿本陣跡の標柱が立つ。皇女和宮が降嫁される際にも宿泊した。明治天皇も昼食に寄られたとか。建物は明治の大火で焼失してしまった。
 その先石神井川に架かる橋が●板橋である。板橋宿の名前はこの橋の名前に由来している。往時は板で作られたが、現在はコンクリート製ながら模擬木に作られている。    15:00

■石神井川~縁切榎
 橋を渡ると●本町商店街に入る。昔は「上宿」があった所で、木賃宿などが多くあったといわれている。左手の●酒店の建物は表面は普通の作りながら奥に旧家らしい木造の建物が隠れている。
 その先右手にあるのが有名な●縁切榎。男女の縁を切りたいときや、断酒したいときなどに、その榎の樹皮を削ぎ取って、煎じて密かに相手に飲ませるとその願いが成就すると伝えられてきた。和宮が降嫁したときも縁起が良くないとしてわざわざ迂回したとされたくらいである。  15:10

■縁切榎~志村一里塚
 街道は●国道17号に合流して、戸田橋へ向かう。しばらく国道を歩くことになる。
 右手に●氷川神社がある。蓮沼村の鎮守で、慶長年間に大宮の氷川神社から勧請された。隣に別当であった南蔵院がある。
 10分程行くと志村一里塚に出るが、右手手前に●風格ある旧家が一軒建っている。三階建てのようだ。  15:40

★志村の一里塚
 中山道の本郷、平尾に続いて第3番目の一里塚として築かれたもので、今日、2基一対で残っている一里塚は全国的にも貴重で、国の史跡に指定されている。道幅が昔と違い広がっているし、ちょうど道幅ぴったりに並んでいるので、移動させているではないかと思うところだが、塚は中山道からやや離れた位置に築かれていたため、拡幅工事によって移動したり、削ったりはしていないと区のHPに載っていた。

■志村一里塚~清水坂下
 旧道は塚のすぐ先の●志村坂上交差点を左斜めに入って行く。台地から荒川、新河岸川の河川敷にできた低地へ急激に下って行く。この坂は●清水坂と呼ばれている。途中右手に大きく曲がっていて、富士を右手に一望できる名所であったと云われている。このあたり清水が湧く所が何ヶ所もあり、坂の名前もこれに由来する。
 途中●都営三田線のガードをくぐるが、このあたりが「志村立場」があって、茶店が沢山出て賑わっていたという。現在では清水の湧く場所もあまり残っていないが、三田線線路脇の公園内に●ちっちゃな湧水が涌く所が残っている。  16:00

■清水坂下~戸田橋
 その先の中山道は国道に分断されてしまい消滅してしまっている。そこで交差点の歩道橋を渡って、●国道の一本東側の旧道に入って行く。この旧道はわずかしかなく、再び国道に合流してしまう。
 国道を少し歩くが、当時はさらに右手に入る道があり、それは現在の「三軒家バス手停」あたりから右手へ入って行く道だと思われる。当然今では歩けないが、●志村橋と平成橋の中間あたりを通過していたらしい。
 志村橋を渡ってすぐ右折して旧道らしき道を通るが、左手に●舟渡の板碑というのがあった。柵内の板碑はこのあたりにあったものを集めて祀ってあるもので、付近には町が作られて賑わっていたという。旧道が通っていたという証拠の一つ。
 ここで本日時間がなくなり、この先右へ曲がって埼京線「浮間舟渡駅」から帰ることにした。 16:30終了。
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 2017年5月4日

■浮間舟渡駅~戸田橋
 再び「浮間舟渡駅」から板碑のあったあたりへやって来た。真っ直ぐ北上すると荒川土手にぶつかる。左へ曲がって●戸田橋を渡る。         9:00 

■戸田橋~戸田市川岸
 戸田市側に渡って土手上を右へ折れた。荒川は昔戸田川と呼ばれ、●戸田の渡しがあった。江戸時代当時は橋より100m位下流に設けられて、舟賃は1人6文であった。堤下中央部分に●戸田の渡しの記念碑が立っている。その下に●水神社がある。このあたりの氏神さま。
 渡しの石碑から真っ直ぐ北上しているのが●旧道である。途中に「歴史のみち 中山道」という説明板が立っていて、この道が旧道であると説明している。ただこの道は「菖蒲川」という運河に遮られてその北側は消滅している。    9:20

■川岸~蕨宿入口
 迂回して●川岸橋を渡る。本町1丁目交差点当たりまでの旧道は無くなっているので適当に北上して国道に合流する。今回は「さつき通り」という通りを通って国道へ出た。その後●国道17号線を1.6km程進む。
 国道が左斜めに進むあたりに、●「中山道 本町通り」への分岐が見えてきて、ここが「蕨宿」の入口となっている。入口左手に大きな●中山道蕨宿の」石碑が立っている。    9:50

日本橋  2 蕨宿